つれづれエッセイ

さて、最近「ジエンドオブエヴァンゲリオン」と「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見返しましたが、ヤマトは1977、、エヴァは1997の作品。どちらも、ある意味では病的な作品ですが、肌触りが全く違う。そして現在はもうすでに「エヴァンゲリオン」から23年もの時が経って来ました。今はcovit時代、、ますます平和で病的な世の中になったと感じました。今度来る「新エヴァンゲリオン」もますます病的な内容になることは想像できますが、、、いくつか考察を、、、
 まず、登場人物の「やる気」が全然違う、、、エヴァのシンジ君は、かるいうつ状態でやる気がない、のに対し、ヤマトの乗組員はやる気満々、、「じぶんも戦場に連れてってよ」という前半部。とにかく、みんな自ら進んで死にに行く物語、、、ある意味ジハード的思想の美しさが表現されるヤバい世界観。対して、エヴァの方は「戦う意味」をとにかく考えて終始、問答する内容。「生きる意味」と言い換えてもいいが、ヤマトは「地球を救うために軍人は死をも覚悟する」という非常にシンプルな哲学である。
 ここで気づくことがある。生死観の違いです。つまり、エヴァではすでに「死」というものを絶対的に否定している。生きることを前提に、生きることの意味を考え続け、苦しみ続ける。対してヤマトは「死」がすぐ隣にある状態。登場人物は本当にどんどんたくさん死んでゆく、「死」がすぐそばにある状態では人は「生きる意味」など考えない。死への恐怖と怒りだけだ。
 ただ、精神的には非常に健康である。
現代の価値観、特に日本は「死」というものに対して絶対的な否定をしていると思う。死ぬことは悪なのだ。今回のパンデミックでできた歪みの根元はここにあると思います。スウェーデンという国はそういう面では珍しいのかもしれません。
 「死」というものを否定し続ける限り、「生きる意味」という答えのない、終わりなき問答を繰り返し、苦しみ続けなければならないのです。
 生きる意味など考えてはいけない、と僕は思うのです。今、目の前にある課題、と、今この時、必死に戦うことこそが、命の本質なんだと僕は考えています。
 ヤマトの乗組員の、真っ直ぐな、ひたむきな、一所懸命さが、シンプルで、バカだけど、美しいのです。ある意味危険ではありますが、、、
 子供向けのアニメは、未来の社会形成にとって、とても大事な役割を果たしていると僕は考えています。子供の頃にみるアニメ番組は、ある意味では経典になりうる、そこの価値観を学び、人生観を形成していくのではないかと思う。
 という、マジメな書き込みでした。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?