らんちゃん001

「銀河自転車の夜2019」個人アナログファンディング120万円越え記念! 120キロ走行、本当のお話。



1996年夏、僕は「由美香」という映画を林由美香と共に自転車旅しながら、主に北海道を舞台に撮影していた。

自分にとって自転車による長距離はこの旅が初めてだった


それまでは自転車生活者であり、自転車は映画の重要なモチーフではあったが「長い旅」などとは無縁、特に興味もなかった。
スポーツ用自転車の世界などもちろん知らず、地図もまともに読めないような人間だった。32歳の時だ。
しかし、この最初の旅で、その面白さのあまり、新しい扉が開いてしまい、今では自転車での旅と撮影は自分の中での大きな中心部となっている。

当時、なぜ自転車で特に興味も無かった旅に出ようと思ったのか?

実はこれにはキッカケのキッカケのお話があるのです。
この話はほとんど語られた事がなかったので、これからお話しようと思います。


〇転機
自分の人生を振り返ると、大きな転機になっているのが、3回あると思う。
ひとつは「狂った触角」という8ミリ映画を作った時、もうひとつは「由美香」という映画を作った時、もうひとつは「監督失格」を作った時、だろうか?「監督失格」に関しては、今思うと1990年から始まったAVなど21年に及ぶ大きな流れの総括的な感覚があった。
詳しい事は避けるけど、今回のアナログファンディングは「狂った触角」の時の気持ちにかなり近い。

キッカケはつまらない理由、今も昔もフラれた事によるものだが、そもそも今回の女性は自分がいささか強引に事を運んだとはいえ、彼女は本命の彼氏がいるのに自分としばらく関係していた事もあり、実際には向こうは本気ではなく、自分の映画にまつわる企画などに参加する事だけが狙いで、かなりの打算があった事、自分は本気だったが向こうは遊びで片想いだった事、嫌になったら簡単に切り捨てられた事、など、「狂った触角」の時の状況とよく似ている。

打算もへったくれもない自分は、撮るべき対象がなくなり自転車で走り始める事もよく似ている。


今回の企画が大きな転機になるかはわからないが、原点回帰しているような感覚はとても強い。


今まで付き合った女性とは、揉めて別れた事は何度もあるが、その後、なぜか仲の良い戦友みたいなお友達になる事が大半だった。しかし今回の彼女とは永久にそれはないだろう。


〇天のアネキ(らんちゃん)

今回、120キロ走行で千葉まで会いに行った天のアネキは、古い仲間である。会うのは約23年ぶりだ。

天のアネキは、90年代、天野蘭という名前で、SMの女王様の仕事をしていた。AVにも女王様でよく出ていたと思う。

自分は天野蘭を撮影した事はない。
95年頃、何かのイベントで最初に会ったと思うが、よく覚えていない。
個人的な付き合いはまるでなかった。
イベントなどで会っただけだった。

しかし、これがオレの悪いクセで、どういうわけか、一目ぼれ??してしまい、短期間だがドハマりしてしまったのである(笑)

ほんと、毎度毎度、恥ずかしい話で思い出したくもないのだが、当時(今もだが)トチ狂ってしまい、おかしくなった(笑)

1995年、年末か1996年頭の冬の話だ。

トチ狂ったと言っても、何をするわけでもなく、どうしたらいいか?もわからず一人悶々としていた。
なんだかよくわからないけど、とにかくらんちゃん(天野蘭さんをらんちゃんと呼んでいたし、今でもらんちゃんって呼んでる)に、何かを伝えたかった。

そんなある日
シネマユニットガスの事務所で、スタッフの村岡に悩みを打ち明け相談した

「村岡さぁ・・どうすりゃいいんだろう?・・悶々としてんだよ」

村岡はしばらく考えたあと(この男は突然、凄いアイデアを出す時があって、「わくわく不倫講座」の撮影中、「かわいそうな平野ってどういうのだ?」っつて聞いたら「高槻さんのフェラチオじゃないですか?」って言ったのはこの男である)

「平野さん、いつも自転車乗ってるんだから、自転車で千葉まで会いに行ったらいいじゃないですか?」

この発言から全ては始まった
(たしか、もう一人、お友達のAV女優にも同じようなこと言われたのを今、思い出した)

「え?オレ、そんな遠出した事ないし、道とかよくわからんよ、地図あんまり読めないし」

「大丈夫ですよ、コンパス持ってひたすら東とか行けば着きますよ」
「そうか、それいいな!」

この会話がきっかけで単純なオレは本当に行くことにした。
悩んでるより実行するのがモットーだった。

寒い日の朝、ほんとにコンパス持って花束を用意して、千葉まで走り始めた。
わからないとこは道路標示を参考にした。
ビデオカメラも用意してその様子も撮影している。
当時、らんちゃんは船橋に住んでいて、片道35キロぐらいだった。

ちゃんと駅に着いた。昼過ぎぐらいだっただろうか?
その日、らんちゃんとは駅前で待ち合わせして喫茶店でお茶して、お花を渡しただけ。
特にドラマチックな事もなく、普通の世間話をしただけだった。
別におおげさな告白とか、そういう事はしなかったはずだが、好きなのは伝えたと思う。
だから付き合おうとか、そんな話もなく、普通にニコニコしていた感じだった。

なんとなく空しさを感じながら、陽が暮れていく街を再び自転車で帰っていった。寒かった。ちょっとだけ悲しい気持ちになっていたのを覚えている。

その後、らんちゃんとは、特に進展があるわけでもなく、恋はいつのまにか下火になっていった。

しかし、この行動は思わぬ方向へと進んでいった。

「なんだ、こんな自転車(当時は変速機も付いてない街乗りだった)でも、ちゃんと遠くに行けるじゃないか!」

これに面白さを感じ、自信が付いていた。自転車旅の面白さに気付いた瞬間だった。
この行動がキッカケで、自転車で全国を放浪して映画を撮ってみたくなった。
その頃、AVをやり始めて6年目。一度、AVを切り離して「狂った触角」の頃に戻り、壮大な日記映画を作ろうという発想になっていった。

早速、知人のプロデューサーに相談した。
聞いてはくれたが、どんな映画になるかもわからないので、「うーん」みたいな感じだった。
ちょうどその頃だった。
林由美香と仲良くなっていたので、全国一人旅が実現したら、出発の時に林由美香に見送ってもらおうと思った。
その構想を居酒屋で由美香に話をしたら

「おもしろそう!!私も一緒に行きたい」と言われた。

「ええ!!??」

その時は面食らったし、一人旅ではなくなるが、それはそれで大変だけど面白そうだ、と思った。

この後はご存知のように、事はアレヨアレヨと進んでいき、ついに「由美香」という映画までできてしまい、その後もいろいろな事があって現在に至る。


以上が顛末である。

〇23年ぶりの再会


だから、自転車での長距離は、らんちゃんに千葉まで会いに行ったのが最初なのである。
これがなかったら「由美香」も今の自転車旅の一連もなかったかもしれない。

最近、ツイッターでらんちゃんと繋がった。
実に20年以上も交流はなかったので「え?まさか、あのらんちゃん?」と思ったら、やっぱり本人だった。
今では20歳の息子もいる立派な母親になっていた。

いずれまた自転車で遊びに行こうと思っていた。
そしたら、タイミングよくこのアナログファンディングが110万を越えた。

これは距離的にも気持ちとしても行くしかないだろう。


<blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ja" dir="ltr">昨日の支援万歳目指せ110キロ走行の実況中継の様子ですー!今現在ガラケーしか無くて、外ではツイートできないのでカンパニー松尾に代理でツイートしてもらいましたーいつもいろいろありがとー!!旅の出発前にはタブレット用意します!前にタブレット持ってたけどイライラして叩き壊したの(笑) <a href="https://t.co/V9ZzuUkWnp">https://t.co/V9ZzuUkWnp</a></p>&mdash; 平野勝之 (@hiranokatsuyuki) <a href="https://twitter.com/hiranokatsuyuki/status/1163940585008332800?ref_src=twsrc%5Etfw">August 20, 2019</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>


行きは61キロだった。


<blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ja" dir="ltr">アチィ中 <br>変なおじさんが駅にいた。<br><br>平野勝之監督が千葉県上陸 <a href="https://t.co/CBBmTf2qTN">pic.twitter.com/CBBmTf2qTN</a></p>&mdash; 天ten✎アネキ (@turu_tenten) <a href="https://twitter.com/turu_tenten/status/1163648252232605696?ref_src=twsrc%5Etfw">August 20, 2019</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

23年ぶりの再会だった。

汗みどろだったので、シャワーを借りて着替えた。

美味しい中華を食った。

<blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ja" dir="ltr">このクッソ暑い中自転車で来たお兄ちゃんに中華料理を食べさせる。<br>「とりあえず生で」😂 <br><br>行くたびに私が注文する大根餅<br>美味いと絶賛。<br><br>(1杯飲んで腹いっぱいでソファで爆睡中)<br><br>数時間後には残り50キロか?また出発するんだそうだ <a href="https://t.co/YkNGfwcTdj">pic.twitter.com/YkNGfwcTdj</a></p>&mdash; 天ten✎アネキ (@turu_tenten) <a href="https://twitter.com/turu_tenten/status/1163703371787673601?ref_src=twsrc%5Etfw">August 20, 2019</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>


23年前と同じように他愛ない話をした。

何がどーという事はない楽しい会話。

お互い年を取ったが生きてりゃそういうもんだ。

昔の写真をプレゼントして1時間ほど昼寝した。

<blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ja" dir="ltr">本当に嵐だ... <br>ザバーッと夕立が通り過ぎて雨が止んだところで、残り50キロの旅に出ましたよ<br><br>頑張れ〜平野監督( ´ ▽ ` )ノ<br><br>良い映画撮りんしゃいよ <a href="https://t.co/BjaQgwLQ7s">pic.twitter.com/BjaQgwLQ7s</a></p>&mdash; 天ten✎アネキ (@turu_tenten) <a href="https://twitter.com/turu_tenten/status/1163739234181582848?ref_src=twsrc%5Etfw">August 20, 2019</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>


元気そうでよかった。

相変わらずカッチョいいキャラだった。
腕の刺青もそのままで嬉しくなった。

会えて本当に良かった。

18時頃に再び東京に向け走り始めた。

行きと帰りでトータル120キロだった。

この距離を1日で走ったのは、自分記録としては初だった。

アナログファンディングの金額も、この段階で120万越えていたのでちょうどいいと思った。

23時半ごろ、ふらふらでやっと到着。

ベットに転がって寝る前

オレは何も変わっていなくて恥ずかしいと思った。