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『マチネの終わりに』第八章(10)

 バグダッド大学出身という学歴は、まったく役に立たないまま、彼女は今、パリ郊外のサン・ドニのスーパーでレジ打ちの仕事をしていた。洋子も一度、知人のウェブ・デザイナーに彼女をアシスタントとして紹介したことがあったが、採用には至らなかった。

 生きているだけ幸福なのだと、ジャリーラは信じようとしていた。しかし、だからこそ一層、自分がなぜ、その幸福に値するのか、わからないと言った。

 洋子は、自分のPTSDを振り返って、心情的に、ただ優しく寄り添おうとすることも無駄ではないと知っていた。それはそれで、今の不安定な精神状態の支えとなるはずだった。

 しかし同時に、ジャリーラが自らの感情を客観的に把握し、それが、社会的には既知であり、共有されたものであると知ることも必要だった。決して彼女だけが孤独に苦しむべき問題ではないのだ、と。

 洋子は、「生存者の罪悪感survivor's guilt」と呼ばれる心理学の用語の話をした。アメリカでは、9・11以降、再び注目され、最近では、イラクやアフガニスタンからの帰還兵のPTSDに関連して、時折、言及されることがあった。

 多く生命が失われる戦争や自然災害、事故などを経験し、九死に一生を得た生存者が、その後、自分だけが助かったという事実のために、むしろ激しい苦悩に苛まれ、時には自ら命を絶ってしまうという逆説的な現象で、洋子は、ジャリーラに対しては米兵の例は避け――彼女のアメリカへの憎悪は、イラクにいた頃よりも募っていた――、むしろホロコーストや広島、長崎の原爆の生存者たちを例に挙げて説明した。

 洋子は初めて、自分の母親もまた、実は長崎で被爆していることを語った。ジャリーラは、その告白に衝撃を受け、洋子に対してほとんど縋るような共感を示した。母の場合は、生き残ったということもさることながら、長崎から逃げてしまったということも負い目となったという話をして、不合理だが、死者や死者の間近にいる者たちが経験出来ない幸福は、生存者にとっては、しばしば、自己への呵責の原因になるのだと言った。


第八章・真相/10=平野啓一郎 

#マチネの終わりに

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