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ある男|20−2|平野啓一郎

コーヒーが来ると、城戸は頷きながら口をつけた。

彼が原誠を理解しようとして考えていたような他者の傷の物語を生きることで自分自身を生きるといった話とはまるで違っていて、そういうものだろうかと思うしかなかったが、それにしても、ここに来るまでの間、美涼から聞いていた谷口大祐の印象とは随分と異なっていた。

顔だけ見ると本人に間違いないが、城戸には彼が語る通り、同一人物とは思えなかった。

「曾根崎さん……は、その、どちらの出身なんですか?」
「山口県のとある町ですよ。元々は、ヤクザの子供です。」
「……なるほど。曾根崎さんは、……何て言ったらいいのかな、その戸籍を誰と交換したかは知ってますか?」
「原誠さんでしょう?」
 谷口大祐は、意外にも当然のことのように言った。

「そうです。仲介したのは、小見浦っていう男ですか?」
「そんな名前だったかな、……なんか、フグみたいな顔した、いかにも怪しい感じの。」
「ああ、じゃあ、そうですね、多分。」
「なんか、二百歳まで生きた人間を知ってるとか、メチャクチャ言ってましたよ。」
 城戸は、思わず吹き出して、手に持ったコーヒーを零しそうになった。

「僕には三百歳って言ってましたよ。」
 谷口大祐は、ニヤッと笑って、初めて打ち解けた様子を見せた。

「あの人、今何してるんですか?」
「刑務所に入ってます。」
「本当ですか? 何やったんですか?」
「詐欺罪です。」
 大祐は、片目を瞑って、また愉快そうにタバコの煙を吐き出した。

「原誠さんの生い立ちはご存じですか?」
「知ってますよ。父親があの殺人犯でしょう?」
「そうです。彼は、二回、戸籍を変えたってことですね? 最初に曾根崎義彦になって、そのあと、……」

「俺と交換したんですよ。」
「なぜ二回交換したんですか?」
「なぜって、結構、あの界隈では普通だったんですよ、それが。俺みたいに一回だけってのは、どっちかって言ったら少数派じゃないですかね。」
「そうですか。」

「原さんの経歴は、ヘビーだから、交換相手は選べなかったみたいだけど、曾根崎が暴力団員の子供だったってことより、どっちかって言うと、本人に会って好きになれなかったみたいですよ。」

 城戸は、なるほどと納得した。田代というあの知的障害を持つ人物に、原誠の戸籍を押しつけたのは、その男のはずだった。

* * *

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