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『マチネの終わりに』第七章(40)

 蒔野はそれを、自分の演奏に対する、最も鋭利な批評であるように感じていた。祖父江が言っていた、「もっと自由でいいんですよ。」という一言とも呼応し合っているようだったが、実感としてよくわかる割に、言葉で考えようとすると、雲を掴むようだった。

 どうして洋子といつもスカイプで会話していた頃に、この本を読んでおかなかったのだろうかと、彼は後悔した。彼女と話がしたかった。そういう話題を、あまりに多く抱え込みすぎていた。

     *

 武知とのリハーサルが始まると、蒔野は改めて、復帰の難しさを痛感させられた。

 自宅の練習部屋に籠もっていた時とは、やはり勝手が違い、舞台に立った時のことを思うと、これまでやってきたことが、本当に使い物になるのだろうかと不安になった。

 武知は、

「短期間で、よくそんなに戻ったねえ。すごいよ、やっぱり蒔ちゃんは! 本当は、楽器に指一本触れなかったっていう時期も、ちょっと弾いてたんじゃない?」

 と励ましたが、蒔野は、あと少し復帰への決断が遅れていたなら、自分はもう一生、コンサートは出来なかったのではないかと、空恐ろしい気分になった。

「いや、……なかなか難しいね。武知君が一緒で、助かるよ。」

 それは、本心だったが、武知とのコンビネーションも、しっくりとは来ていなかった。

 それぞれに弾きたい曲を持ち寄って、リハーサルを通じて絞ってゆく予定で、このデュオのために、新たに編曲した作品も幾つかあった。

 蒔野は、武知の編曲に、どうしても抵抗があった。彼が楽譜を書き下ろした三曲は、どれも手堅いが面白みに欠け、一言で言うとパッとしなかった。その色気のない、地味な印象は、そのまま武知の演奏にも言えることだった。

 「華がある」というのは、こう言って良ければ、やはり一種の才能だった。その有無は誰の目にも残酷なほど明らかだが、いざ、それが何であるかを説明しようとすると、結局は、「華があるというのは、つまり、華があるということだ。」という同語反復に陥るより他はなかった。


第七章・彼方と傷/40=平野啓一郎

#マチネの終わりに

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