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『マチネの終わりに』第九章(3)

 ようやく寝ついた我が子の寝顔を見ながら、この子には、両親が真に愛し合って生まれてきたのだと安心して信じさせたいと蒔野は思った。自分を抱きかかえていた父の心には、実は常に、母ではない別の女性が存在していたなどというのは、許されないことではあるまいか?

 早苗の福岡の両親も訪ねてきて、特に母親はしばらく寝泊まりして家事や育児を手伝った。蒔野に対しては、結婚当初は遠慮気味で、その後の長い不調の時期には困惑し、とりわけ父親は不満を抱いていたが、優希の誕生を機に互いに打ち解ける努力をした。

 早苗の母親は、娘はそそっかしくて我が強いので、とても芸術家の妻など務まらないのではないかと心配していたが、こんなにかわいい孫に恵まれて本当に喜んでいますと、早苗が寝室で授乳してる間に、蒔野にしんみりとした笑顔で語った。

 妻を赦すべきであることはわかっていた。

 自分は決して、洋子を失い、その代わりとして仕方なく早苗と結婚したのではなかった。彼女という一人の人間を確かに愛していたからこそ、今日まで生活を共にしてきたのだった。彼はその事実に拘った。そして、気を許せば今にも変わってしまいそうな脆い過去を、努めて元の姿のままに留めおいた。

 蒔野の家族に対する思いは、三月十一日の東日本大震災を経て一層強いものとなった。

 彼はその日、自宅の二階でギターの練習をしていた。早苗は、優希を連れて、近所の保育園に四月からの入園の手続きに訪れていた。

 激しい横揺れで、久しぶりに少し弾いて、スタンドに立てかけておいたフレドリッシュが一本倒れて、共鳴板に罅が入ってしまった。メインで使用しているフレタは、咄嗟に庇って辛うじて無事だった。

 書棚が傾き、床に散乱する本を踏み分けて、すぐに早苗に電話をしたが繋がらなかった。保育園に駆けつけると、二人とも無事だったが、園内は騒然としていて、余震の度に緊迫した避難指示の声が上がった。

 それからは、テレビで津波被害の映像を見続け、水や食べ物を確保し、原発事故の報道に神経質になった。海外の友人からは、ひっきりなしに、なぜまだ東京にいるのかという忠告のメールが届いたが、蒔野は、本当に避難の必要があるのか、判断がつかなかった。


第九章・マチネの終わりに/3=平野啓一郎 

#マチネの終わりに


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