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ある男|20−3|平野啓一郎

大祐は、右手で百円ライターを弄りながら続けた。

「谷口大祐の戸籍は、人気があったんですよ。犯罪歴もない、きれいな過去だったから。何回か戸籍を変えて、わらしべ長者みたいに俺の戸籍に辿り着いた人までいましたからね。俺もその頃は、とにかくあの家族と縁を切りたい一心で、相手は誰でも良かったんですけど、前科があるのは嫌だったし、財産目当てで、あとで谷口家と悶着を起こしそうなヤツも困るし。で、原さんに会って、色々話をして、この人の人生が良くなるならって思って。」

「原さんの方は、谷口大祐さんの過去に共感したんですか?」

「してましたよ。すごく親身に話を聞いてくれましたし、がんばって、その続きの人生を僕なりに生きてみたいって言ってくれましたし。どうせなら、そういう人に人生を譲りたいですよ。俺は、二度しか会ってないけど、好きでしたよ、あの人。純粋な目をしてたし、苦労してきた人だから、優しそうだったし。せっかくこの世界に生まれてきたのに、こんな人生で終わるのは嫌だって気持ちが、ひしひしと伝わってきて。」

「原さんはその頃は、曾根崎義彦と名乗ってたと思いますけど、原誠のそもそもの人生については話してました?」

「話してました。ボクシングやってたとか。あと、二回自殺未遂してるとか。」

「二回?」
「――って言ってましたけど。」

 城戸は、件の転落事故を、原誠自身が「自殺未遂」と語っていたことを知って深い溜め息を吐いた。そして、二回目があったということも。

「ボクシングを辞めたあとは、どうやって生きてたんでしょうね?」

「いや、しばらくは飲食店とか、色んなとこで働いてたみたいですけど、ネットで情報が出回り始めてから、段々難しくなってきて、あとはずっと派遣だったみたいですよ。」

 淡々と答える大祐を見ながら、この人が殺害されているのではないかと疑ってきた、この一年数ヶ月のことを思い返していた。

「曾根崎さんは、……今は何されてるんですか?」
「俺は、……まあ、色々。いいじゃないですか、それは。」
「すみません。」
「いいですよ。」

「いや、暴力団員の子供っていうのは、それはそれで不自由なんじゃないかと思いまして。」
「それは隠してますよ、もちろん。リアルにヤクザの息子だったとしても、カタギで生きていきたい人たちはそうじゃないですか?」
「ええ。」

「一回だけ、職場の飲み会で、あんまりうっとうしいヤツがいたんで、言ったことあるんですよ。大きな組だから、具体名も出して。それ以来、俺に対する態度が全然変わって。俺もなんか、自信になってるところもあるんですよ。本当は、スゴいヤバい家に生まれてるけど、それを隠して、まっとうに生きようとしてるって思うと。」
「……なるほど。」

「昔の俺とは違いますよ、だから。――俺は、本物の曾根崎さんに会ってないから、イメージ湧かないんですよね。だから正直、原さんがベースになってるんですよ。原さんがもしヤクザの息子だったらって考えて、そこからイメージを膨らませて。俺も昔、ボクシングしてたことになってるんですよ。」

 城戸は複雑な笑みを過ぎらせた。

* * *

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