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ある男|18−5|平野啓一郎

「はい。伝えておきます。」

「それから、依頼人は、谷口恭一には、この連絡先を決して教えないでほしいとも言っています。」

「わかりました。──いずれにせよ、曾根崎さんに面会して、詳しい話をさせていただきたいのですが、ご本人にお伝えいただけますか? 場所は、どこでも伺いますので。」

「はい。……」

「よろしくお願いします。」

「はい、……じゃあ。……」

回線が切れると、城戸は天を仰いで、しばらくそのまま、ぽかんと口を開けていた。

美涼がストーカーだったら、という中北の尤もな懸念は、杞憂のようだった。「謝罪」というのが何を意味しているのかはわからないが、恐らくは、何も言わずにいなくなってしまったことだろう。

言葉少なの会話だったが、城戸は、彼の中に、美涼に対する強い未練を感じた。しかもそこには、近年になって寧ろ膨らんできているような艶があった。

城戸は、あまりいい生活をしていなそうな彼に同情しつつ、かつて宮崎のバーで、「谷口大祐」と名乗って、見知らぬバーテンに美涼との恋愛関係まで喋った自分を思い出し、羞恥心を抱いた。そして、自分の中に、嫉妬と呼ぶより他はない感情の燻りを感じた。

翌日の日中、美涼に電話をかけ、やりとりの内容を伝えると、

「絶っ対、それ、ダイスケですよ! なんかもー、目に浮かぶ。……第一、わたし、曾根崎義彦なんて人、知らないですし。」

と言った。彼の謝罪の言葉を伝えると、美涼はただ、力なく笑っただけだった。

「城戸さん、会いに行くんですか?」

「そのつもりですけど。先方は多分、承諾すると思います。僕も、そろそろこの〝探偵ごっこ〟を終わらせたいですし。」

「わたしも、一緒に行こっかな。」

「ああ、……行きます? 訊いてみましょうか。」

「嫌だって言ったら、『謝るなら、ちゃんと会って言ってほしい。』って、わたしからのメッセージ、伝えてください。絶対、わかったって言うと思う。」

城戸は、Yoichi Furusawaに美涼の意向を伝えた。彼の依頼人である「曾根崎義彦」は、会いたくないと言っているらしく、美涼に言われた通りのことを伝えると、しばらくして、「曾根崎氏は、後藤さんも来ることに同意しました。」という返事が届いた。

三月第一週の土曜日を指定された。面会場所は、名古屋だった。

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