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『マチネの終わりに』第八章(35)

 「でも、コンクールで演奏聴いて、度肝を抜かれちゃって。そのあと、蒔ちゃんは、パリ国際でも優勝して、どんどん活躍していって。……」

 武知は、笑顔の名残を残したまま、頬を強張らせて蒔野を見つめた。蒔野は、経験的にその一瞬の間を知っているような気がした。

「僕はずっと、蒔ちゃんのことが、本当に嫌いだったんだ。とにかく、……嫌いっていうか、存在自体が耐えられないっていうか。もうなんか、ある日、急に死んだりしないかなとか、消えていなくなってほしいとか、……思ってた。蒔ちゃんのこと、意識するだけで胸が苦しくなって、……嫉妬だよね。でも、本当に辛いんだよ、それは。才能自体もそうだし、その才能をまた世間が愛しているっていうことも。」

 蒔野は、浴衣の裾を気にするふりをして視線を逸らすと、ぎこちなく微笑んで頷いた。そうした不意打ちのような告白を、実のところ彼は、これまでの人生でも、もう何度となく経験していた。

「だから、蒔ちゃんの代役として、台湾のコンサートの話が来た時には、複雑な気分だった。蒔ちゃんが、ギターが弾けなくなってるっていうのは耳にしてたし、……喜んでたわけじゃないけど、何て言うのかなァ、ほっとしてたっていうか。……卑屈だよね。」

「いや、……いいよ、そこまで言わなくても。」

「だけど、デュオに誘ってもらえたのは、本当に嬉しかったんだ。一緒にやってて、毎日、やっぱり、すごいなぁって感動してたし。蒔ちゃんが、ギターっていう楽器にモテるのが、よくわかったよ。」

「モテる?」

「同じギターでも、僕が弾いてる時と、蒔ちゃんが弾いてる時とでは、なんか、楽器の態度が全然違うんだよなあ。」

 武知は、おかしそうに笑った。そして、

「弾けない間の苦しさも、改めてわかったしね。」

 と言った。

 蒔野は、せめて穏やかな表情を保ちながら、武知の言葉を辛い思いで聴いていた。そして、この会話の辿り着く先を探っていた。

第八章・真相/35=平野啓一郎 石井正信・画

#マチネの終わりに

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平野 啓一郎

小説家です。著書は小説『ある男』『マチネの終わりに』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』、エッセイ『私とは何か「個人」から「分人」へ』など。

『マチネの終わりに』後編

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