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『マチネの終わりに』第六章(34)

【あらすじ】東京の蒔野とパリの洋子は、結婚後の二人の生活に思いをはせる。だが蒔野は自らの音楽の停滞に焦り、洋子はリチャードとの婚約解消交渉の難航とバグダッドで遭ったテロのPTSDに苦しんでいる。洋子は蒔野のマネージャー、三谷に嫉妬を感じ始めるのだった。
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 あまりクラシックもギターも詳しくないと、自分で言うところは不安だったが、会社からは優秀だと見込まれて、この不採算部門を何とかしろと発破を掛けられているのだという。工学部の情報工学科出だという変わり種で、一方で哲学や社会学に興味があるそうで、自己紹介がてらにメディア論だの何だのの話をしていたかと思うと、いつの間にか、本題に入っていた。
 色々込み入ったことを言っていたが、野田が考えているのは、こういうことらしかった。
 芸術の価値は、カントの定義以来、〈美しいbeautiful〉か〈崇高sublime〉かのいずれかだったが、二十世紀後半以降、取り分け顕著に現代のネット社会では、それがそのまま、〈カッコイイcool〉か〈スゴイawesome〉かになっている。これは、世界的な現象で、現代アートの中でも人気があるのは、やはり、ゲルハルト・リヒターのような〈カッコイイ〉作品か、アンドレアス・グルスキーのような〈スゴイ〉作品だが、クラシックは、その評価基準から取り残されてしまっている。そこにアクセスしない限り未来はなく、せっかく素晴らしい作品を発表しても、世間からは認知されない、と。
 蒔野は、耳の痛い話に何度か苦笑したが、隣で聴いていた三谷は顔を顰めて、
「だけど、蒔野さんの音楽は、美しいでしょう? かっこいいとかすごいとか、そういうのは浅い話じゃないですか? 音楽に感動するって、そういうことじゃないと思うんですけど。」
 と反論した。野田は動じずに首を振った。
「それは、順番の問題です。もちろん、蒔野さんの音楽は美しいですよ。僕が言ってるのは、最初に何を感じるのか、その入口の話です。〈カッコイイ〉も〈スゴイ〉もなければ、その先の〈美しい〉にも辿り着けないですから、今の人たちは。」


第六章・消失点/34=平野啓一郎

#マチネの終わりに

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