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ある男|19−2|平野啓一郎

それから美涼は、「谷口大祐」名義のフェイスブックの偽アカウントも、恭一にしつこく言い寄られて大げんかになり、放置していたのだと呆れながら言った。

「あの人、ダイスケを探したいっていうより、アレで、わたしと連絡を取り続けたかったんですよ。結局、本当にダイスケが連絡してきたから、複雑な心境ですけど。」

「弟が殺されてるかもしれないってあれだけ言ってたのに、そういう風になるのかな。……僕は、あの人は悪い人だとは思わないけど、そういうところがよくわからないんです。」

「今回のことで、そうなったわけじゃないんですよ。昔から。……言ってなかったけど、あの兄弟の仲違いには、わたしも多分、ちょっと関係してるんです。わたし、恭一くんに好かれてたから。」

「ああ、……やっぱり、そういう話ですか。」

「恭一くんはモテるんですよ。わたしはチャラすぎて駄目なんですけど。ダイスケは、不器用で、風采も上がらないし、けっこう人からバカにされるタイプで。本人も、悪いんですよ。からかわれ役を喜んでるようなフリをするから。いつもニコニコ笑ってるのに、どっかで我慢できなくなって、爆発するんです。そしたら、みんな引くでしょう? 何なのこいつ、急に?って。でも、急にじゃないんですよ。」

城戸は、美涼が語る谷口大祐の人物像は、恭一が語るそれとも、里枝が原誠から伝え聞いたそれとも、まるで違うのを感じた。

「例の生体肝移植の話も、そういう性格的なことが背景になってるんですかね?」

「そうでしょ、きっと? でも、同級生がお金貸してって頼むのとは、わけが違うでしょう?」

「勿論。」

「恭一くんは、弟をバカにしてたから、わたしがダイスケとつきあいだしたことが、どうしても許せないんです。」

「プライドが高そうですからね。」

「それもあるし、……」と、美涼は情けないような苦笑を浮かべて、周囲を気にしながら続けた。「高校生くらいの男の子って、性欲がすごいじゃないですか。」

「はは、まぁね。」

「だから、ダイスケがわたしとセックスしてるってことが、もう我慢できないんですよ。なんか、彼の中で何かが猛り狂って、暴れ回ってる感じ。」

城戸は、思わず吹き出して、しばらく笑った。美涼も、つられたように笑い出した。

「だから、その頃から、わたしのこと、ずっと好きでいてくれたとかって、そういうきれいな話じゃないんですよ。とにかく、わたしとやりたいんですよ。もうこんなおばさんになってるから、何にもいいことなんかないのに、今のわたしがどうとかって関係なくて、一回でもやったって事実がないと、収まりがつかないって感じで。」

「自分の過去の屈辱を、それでチャラにしたいんでしょうね。……」

「わかります、そういうの?」

「うん、……理解を絶してる、とも言えない。」

「わかります? えー、城戸さんもそういう征服欲みたいなのって、あります?」

「いや、程度の問題だろうけど、ないと言ってはいけないんじゃないかな。女性をそういう風に傷つける可能性がある以上、自覚しててもしてなくても、反省しないといけないと思う。あと、男同士のそういう惨めな嫉妬と競争心も。……『三角形的欲望』って知ってます? ルネ・ジラールだったか。人間は、一対一で欲望するんじゃなくて、ライヴァルがいるからこそ、自分もその相手をいいと思うんだって話。」

「あー、……でも、そのライヴァルは、どうしてまず最初にその相手を好きになるんですか?」

「ん、鋭いね。……錯覚するんじゃないですか? ライヴァルがいるって。それか、一種の天才か、変人か。」

「じゃあ、ダイスケも、恭一くんへの対抗心からわたしを好きになったんですか?」

「うーん、……失礼、いい話じゃないね、これは。」

美涼は、城戸の顔を見ていたが、特にその話を続けようとはしなかった。そして、笑みの名残を片づけかねているかのような曖昧な表情をしていたあとで、

「城戸さんって、真面目ですよね。」と言った。

「そうかな。いいとこ見せようとしてるんだと思う。」

「色んな顔があるんですもんね。」

「したね、そんな話。」と城戸は笑った。勿論、美涼という存在への意識のために、自分が谷口兄弟に対して抱いていた心情的な屈折などは、おくびにも出さなかった。そして、それを隠そうと、ルネ・ジラールなどを持ち出してくる自分を、つくづくみっともなく感じた。

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平野啓一郎新作長編小説『ある男』9月28日(金)発売。
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