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ある男|20−5|平野啓一郎

城戸は、見た目こそ違うが、結局のところ、恭一と彼とは似たもの同士の兄弟なんじゃないかと感じた。少なくとも、美涼とつきあっていた時の大祐は、そうではなかったらしいが。……

ヤクザの子供だという〝自信〟が、彼をそうさせているのか? それとも、無意識に、どこかで兄の態度を模倣しているのか。いずれにせよ、彼の性質にのみ帰すことは出来ないような、境遇の不幸が齎した、一種の精神的荒廃を感じた。

 後悔しているのだと、城戸は思った。〝塩漬け〟にしておいた株が、損切りした途端に値上がりしたのを知った素人投資家のような顔をしていた。谷口家の人間には、もう決して会いたくないというのは本心だろう。けれども、もっと別の良い人生と交換していればと、自分の浅慮を恨んでいる風だった。

 城戸は、ここに来るまで、美涼と大祐との再会の光景を想像し、若干の悋気を抱いていたが、それが些か感傷的すぎたことを思った。

 十年という時が、二人の間に広げた人生の隔たりを感じたが、彼が今は、別人の人生を生きていることを思えば、当然だった。

 城戸は、恭一が今もどうしても美涼と寝たがっているという話と、今し方の大祐の言葉とが頭の中で結び合って、言い知れぬ不快感を覚えた。彼が谷口家を飛び出した事情には、心からの同情を寄せていた。そして、その過去を、ひたむきに自らの過去として生きた原誠の人生を思い、遣る瀬ない気持ちになった。

 城戸の携帯が鳴った。美涼からの着信で、今向かっているのだという。城戸はふと、それでも美涼と再会すれば、彼もまた、何かが変わるのかもしれないと思った。美涼が幻滅し、深く傷つくのか、それとも、力になってやるのかはわからなかった。或いは、「愛し直す」のか。いずれにせよ、城戸はその光景に耐えられない気がした。

 同席するつもりだったが、もう自分は関知すべきではないのだと考え直して、「後藤さんが来られるみたいなんで、僕はここで失礼します。」と頭を下げた。

「え、帰るんですか?」
「ええ。ちょっと、このあと予定があって。」

「そうですか。ヤバいな、緊張してきた。……いやあ、城戸さんに会うのも、最初はどうなることかとドキドキしてましたけど、良かったです、気になってたことも聞けて。」

 手を差し伸べられて、城戸は先ほど触れた美涼の手のことを思いながら、握手に応じた。そして、この汗ばんだ、荒れた手は、つまりは、誰の感触なのだろうかと考えた。

 七年前、「曾根崎義彦」の名でこの男と会った原誠も、「谷口大祐」としての新しい人生を手に入れ、最後はこうして握手でもして、別れたのかもしれない。城戸は、その時のことを内からなぞるように想像しながら、会計を済ませて独り足早に店をあとにした。

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