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ある男|16−1|平野啓一郎

北千住のボクシング・ジムから戻ると、城戸は、走り書きのメモを元に、二人から聴いた原誠の話を、記憶している限り、文章にしていった。それだけでなく、これまで雑然と記録していたこの一年あまりに亘る調査を、彼の生涯に関連づけるかたちで、一から整理し直した。

里枝に報告するためで、ようやく、その段階に達したと感じた。そして、作業を通じて、これまでなぜか思い至らなかった、一つの単純なことに気がついた。

城戸が、小見浦憲男の存在を知ったのは、二〇〇七年に、東京都足立区の五十五歳の男性が、六十七歳の別の男性と戸籍を交換していた例の事件だった。

この裁判を傍聴した〝法廷マニア〟のブログによると、小見浦が「過去のロンダリング」の仲介を始めたのは、前年の二〇〇六年のことらしい。きっかけは、意外にも、一九九三年にイギリスのリバプールで起きた「ジェームズ・バルガー事件」の報道だったという。

当時十歳だった少年二人が、ショッピング・センターで誘拐した二歳のジェームズ・バルガーを惨殺したこの事件は、イギリス国内のみならず、世界中に衝撃を与え、憤激を巻き起こし、ほとんど厭世的なやるせなさを横溢させた。

二人は、十八歳になると、八年の刑期を終えて、猛烈な反対運動が起こる中、残りの人生を〝別人として〟生きるための、まったく新しい身許を与えられ、釈放された。

この元受刑囚二人のうち一人が、周囲に感づかれないまま結婚し、とある企業のオフィスに勤務しているという情報が、タブロイド紙に暴露されたのが、二〇〇六年六月だった。小見浦は、このニュースに「ピンと来て」、戸籍の売買や交換を思いついたらしい。

発覚している以外にも、かなりの数の仲介をしているらしく、小見浦がやたらと「朝鮮人」と連呼していたのも、顧客の中に実際に在日や外国籍の人間が含まれていたか、或いは、その需要を当て込んでいたからだろう。気に入らない場合には、数度に亘って戸籍を交換した者もあったらしく、城戸が今更のようにハッとしたのは、そのことだった。

彼は、〝X〟こと原誠が、どうして田代昭蔵のような知的障害のあるホームレスに、死刑囚の息子としての自分の戸籍を押しつけたのか、ずっと疑問だった。城戸はそれに失望し、この長い〝探偵ごっこ〟に、一種の徒労感を覚えていた。ナイーヴすぎる期待ではあったが、里枝の思い出の中に生きている夫は、決してそのような人間ではなかったはずだった。

しかし、田代が戸籍を交換した相手は、そのいかにも不安定な証言を信じるならば、原誠ではないらしかった。少なくとも、彼が会ったのは原誠ではなく、「原誠」を名乗る別人だった。

つまり、最初の推理とは少し違って、恐らく、こういうことだった。

原誠は、最初にまず、田代ではない誰か別の人間と戸籍を交換しているのである。そして、死刑囚の息子という厄介な「原誠」の戸籍を引き取ったその男が、それを、田代と交換したのだろう。いずれも、小見浦の仲介によって。

そして、城戸の推理では、その原誠が最初に戸籍を交換した相手こそが、小見浦が件のヌードのハガキに書き込んでいた「曾根崎義彦」なのだった。

これを、原誠の立場から改めて考えると、こういう話になる。

彼は、ネットか何かで小見浦の存在を知り、最初はまず、「曾根崎義彦」という人間になった。次に、谷口大祐と知り合い、彼と二度目の戸籍交換を行って、「谷口大祐」としてS市に行き、そこで里枝と出会うのである。

もしそうだとするならば、谷口大祐は、やはり今は、「曾根崎義彦」と名乗っていることになる。勿論、彼がその後、更なる戸籍交換を重ねていなければ。

そして、そもそも彼が、まだ生きていれば。──

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