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ある男|22−1|平野啓一郎

羽田から宮崎までの二時間弱のフライトの間、城戸は、窓の外を眺めながら独り考えごとに耽っていた。

四月の春らしい陽気の日で、宮崎はもっと暖かいだろうと思うと胸が躍った。

窓からは、水平の視線の先に青空が広がっていて、薄い雲が、巨大な地図めいた日本列島を、繊細なレースのように覆い隠している。北側の窓なので、眩し過ぎず、ただ明るいばかりの光だった。

機体が安定し、シートベルト着用のサインが消えると、城戸は少しだけ背もたれを倒して、機内に持ち込んだオウィディウスの『変身物語』のページを捲った。幸い隣が空席だったので、独りの時間をくつろいで過ごすことが出来た。彼は、二年越しの宿題に回答すべく、あれからすぐにネットで検索し、その岩波文庫版を本屋で買い求めていた。

ナルキッソスの神話には、幾つか異説があるらしかった。城戸が『変身物語』を選んだのは、ギリシア神話を知るにはそれが一番詳しく、わかりやすいとネットに書いてあったからだったが、いざ手にしてみると、颯太にはとても説明できないような複雑を極めた象徴の世界が広がっていて当惑した。

しかし、彼は自分自身の楽しみとして、この本に強く魅了されつつあった。

オウィディウスによると、ナルキッソスは、そもそも河の神ケピソスが、「青い水に住む妖精レイリオペ」を「うねった流れ」に巻き込み、「水の中に閉じ込めて乱暴を働い」て出来た子供らしかった。城戸は、その出生の秘密を初めて知って仰天したが、そうなると、長じて彼がじっと水を見つめていることの意味も、単なる自己愛とはまったく違うのではないかと感じた。

水はつまり、彼の両親そのものであり、同時に両親の間で起きた事件であり、しかもそれはあるべきではなかった暴力なのだった。彼はしかも、その暴力がなければそもそもこの世界に存在していないのである。ナルキッソスは、自分を見ようとすれば自分の出生を見ないわけにはいかなかった。そして、いずれにせよ、その過去を、なかったことにすることは出来ず、彼はそれに触れることも、そこに帰ることも出来ないのだった。

ナルキッソスの神話は、勿論、恋の物語である。彼はずっと、そんな自分に対する「恋の炎」に身を焦がしている。けれども、彼を愛していたのは、山というまったく異なる世界に住んでいた妖精のエコーだった。

エコーは、女神ユノーによって、相手の「話の終わりを繰り返す」ことしか出来なくされている。

つまりこういうことだった。

ナルキッソスは、ただ自分の姿の反射だけを見て、自分しか愛することが出来ない。エコーはと言うと、他人の声を反響させるだけで、自分自身の存在を愛する人に知ってもらうことが出来ないのである。

自分だけの世界に閉じ込められているナルキッソスと、自分だけ、この世界から閉め出されているエコー。──けれども、この孤独な二人は、ナルキッソスが死ぬ瞬間、ただ、「ああ!」という嘆きの声で呼応し合い、「さようなら。」という別れの挨拶は交わすことが出来たのだった。

哀れなナルキッソスは、最後に歓喜しただろうか? 水に映った「虚しい恋の相手だった少年」から、遂に同じ嘆声が漏れ聞こえたことに。しかし、エコーは? その「ああ!」という悲嘆も、「さようなら。」という別離の言葉も、それまでとは違って、愛するナルキッソスの言葉でありながら、同時に、その時、彼女が真に発したかった言葉ではなかったか。……

そして、最後には、水に映っているのが自分自身だと気がついて、「ああ、この僕の体から抜け出せたなら!」とナルキッソスが叫ぶ件を読みながら、城戸が考えていたのは、原誠のことだった。もしそれが可能なら、ナルキッソスは、自分自身を愛することが出来る。原誠は勿論、その体から抜け出し、自分ではない誰かになり、他の誰かを愛し、またその誰かから愛されたかったはずだった。しかし、赤の他人になることで、結局は彼も、自分自身を愛せるようになりたかったのだろうか。そもそもは、原誠という固有名詞とともに、この世界に存在を開始したはずの自分を。

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