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『マチネの終わりに』第六章(36)

 楽譜と、蒔野さん自身の演奏動画をオフィシャルサイトにアップして、参加者には、クラシックギターに拘らず、手持ちのギターでそれを弾いてもらいます。世界中の“ギターを囓ったことがある人”を集められたら、結構な規模になるはずです。――これは、クラシックギターだからこそ可能な方法です。チェロやヴァイオリンとなると、ちょっと難しいですから。」
 野田は、そのために、やはり《この素晴らしき世界~Beautiful American Songs》を完成させてほしいと提案した。アルバムを出すだけではなくて、今説明したような仕組みをネット上に作って、ファン層の裾野を拡大したい。三谷が言うように、蒔野のバッハやロドリーゴを聴いてもらうのは、その先の話だと。

 蒔野は、野田の言わんとするところを理解できた。テレビ番組などで、ロックやジャズのギタリストたちと共演する時には、こちらが意外に感じるほどに、クラシックギターの技術に興味を持たれたし、アレンジに関する意見交換は有意義だった。ピックで弾くか、指で弾くかという問題は小さくはなかったが、アルペジオ主体の遅いテンポの曲なら、楽譜を共有することは、さほど難しい話でもなかった。
 《この素晴らしき世界~Beautiful American Songs》に改めて着手するというのは、億劫だったが、このアルバムを、ジャリーラに捧げるというアイディアを思いついてからは、やる気を取り戻していた。あの晩、彼女が自分の演奏を喜んでくれた表情が忘れられなかった。どんなに洗練された愛好家に称讃されるよりも、彼女が感動してくれたという事実は、今の蒔野にとっては、自分の音楽を信じるための一つのよすがだった。

 アルバムのクレジットに、自分の名前が献辞として入っていたなら、きっとジャリーラは喜んでくれるだろう。その笑顔のためだけでも、完成させる価値はあるのかもしれない。
 ジャリーラだけでなく、彼女に寄り添い、その生を支え続けている洋子も、賛同してくれるに違いなかった。


第六章・消失点/36=平野啓一郎

#マチネの終わりに

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