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『マチネの終わりに』第八章(21)

 洋子は、早苗の意図がわからなかった。早く本題に入ってほしかったが、適当な理由でこの場を切り上げてもいいのではないかと思った。

 早苗は、しきりに汗をかくアイス・カフェラテのカップで、その手を濡らしていた。

「難しいわね。神に対して活動的な生と観想的な生と。……」

「わたし、マリアは絶対、わかってやってるんだと思うんです。姉が忙しく準備してるのは百も承知で、その上で、ただずっと、イエスの側にいたんだと思うんです。マリアは心の中では、姉を馬鹿にしてるんですよ! イエスって、どうしてそういう女の狡賢さがわからないのかなって。」

 洋子は、早苗のナイーヴさが嫌いではなかった。初対面の時にも好感を抱いたが、今も、聖書のエピソードに、そんなふうに易々と感情移入し、それを我がことのように語る彼女の衒いのなさに、幾分、眩しささえ感じた。

 洋子の脳裏には、マルタの処女性という聖書の原典には記述のない特性に強く拘った、マイスター・エックハルトの奇妙な解釈が浮かんだ。彼は、処女の無垢な「とらわれることのなさ」を賛美しながら、それに留まらず、女としてイエスを受け容れ、「父である神の心の内に生みかえす」精神の高貴さを称揚したのだった。その美しい神秘のヴィジョンが、向かい合う、一人の妊婦の姿を透かし見せながら揺曳した。

 蒔野の妻として、自分は早苗を愛することが出来るのだろうかと、洋子は不意に考えた。その懐妊を祝福することが出来ないというのは、どうかしているのではないか、と。

 今はもう、そうするより他に、自分の幸福はないことくらい知っているはずだった。

「そうかもしれないわね。……」

「洋子さんはどう思います? 洋子さんの考えを知りたいんです。」

「――わたしの?」

「はい、教えてください。」

「そうね、……わたしの理解は、早苗さんとは違うの。やっぱり、信仰の問題だから。イエスは、神の子でしょう? ただのゲストじゃない。マリアが、ただイエスの側にいることを選んだっていうのは、よくわかる。他の選択肢はなかったでしょう。」


第八章・真相/21=平野啓一郎 

#マチネの終わりに

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