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新書『「カッコいい」とは何か』|第10章「カッコいい」のこれから|1「カッコいい」とは何か

「カッコいい」について考えることは、自らの「生き方」を考えることである。…しかしだからこそ、他者との分断の引き金ともなり得、また「生き方」をコントロールされる危険も孕んでいる――。平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売に先駆けて、序章、終章、そして平野が最も重要と位置付ける第3章、4章を限定公開。 「カッコいい」を考えることは、「いかに生きるべきか」を考えることだ。
※平野啓一郎が序章で述べる通りの順で配信させていただきます。
「全体のまとめである第10章にまずは目を通し、本書の肝となる第3章、第4章を理解してもらえれば、議論の見通しが良くなるだろう。」

1.「カッコいい」とは何か

 長らく、しかし、かなり大掴みに「カッコいい」とは何かを、時代と場所を移動しながら考えてきたが、そろそろ、議論の整理に入ろう。

「恰好が良い」とは何か
 まず、「カッコいい」の語源は「恰好」であり、これは『白氏文集』とともに9世紀半ばには日本に輸入されていたが、使用され始めたのは、室町時代から江戸時代にかけて、五山の禅僧たちが漢籍の再読を行った時期である。その意味は、「あるものとあるものとがうまく調和する・対応する」という理想的な状態を指すものだった。

 その後、「恰好が良い」、「恰好が悪い」という同義反復的な表現で、調和の程度が意識されるようになる。まず一般にその理想像が理解されている前提で、それとズレているかどうかだけでなく、標準的なモデルを中心に、その上下が序列化された。「恰好が悪い」というのは、理想に満たないというより、標準以下という意味である。

「恰好」は、今日の中国語では使用されておらず、これは日本で独特に発展した概念である。

「恰好が良い/悪い」の判断が出来るのは、良い趣味を備えた通人である。マスメディアが十分に発達するまで、この限られた人たちの評価が全国的に共有されるということはなかった。従って、各分野の「恰好が良い」の影響力も限定的だった。

「恰好が良い」ものは、見る者を快くする。一方、「恰好が悪い」ものは、気持ちが悪く、殊にそれが自分に関することであるならば、羞恥心を覚える。その場合、理想的なほどに秀でることまでは望まれず、せめて標準的であることが出来れば、羞恥心は解消される。

「恰好」とは別に、宋学を通じて発展し、日本に輸入された「義理」という概念も、個人のあるべき姿、という意味では、恐らく「カッコいい」という言葉の源流の一つとなっている。重要なのは、これが社会の「人倫の空白」を埋める機能を果たしたことであり、一方では武士道に於ける主従関係の規範を形成し、他方では庶民の日常生活の規範へと転じた。

個人の生き方そのもの
「カッコいい」という言葉が爆発的に流行したのは、1960年代以降である。戦後、数多くの流行語が生まれては消えていったが、「カッコいい」は、今日に至るまで一度として廃れることなく、日常の会話に定着している。

 この言葉を戦前から逸早く使用し始めたのは、音楽関係者だという説が有力である。

「カッコいい」は、「恰好が良い」が形容詞化したものであり、その〝理想像との合致〟という意味は残存した。

 他方で、ある対象が、「しびれる」ような生理的興奮をもたらし、強い所有願望、同化・模倣願望を掻き立てる時に、私たちはそれを「カッコいい」と表するようになった。

「恰好が良い」が、あるジャンル内の評価であるのに対して、「カッコいい」は、ジャンルを前提とせずに下せる評価である点に特徴がある。その根拠は、長年、専門家の間で培われた趣味や理論ではなく、素朴な〝体感〟であり、だからこそ、評者の資格は、身体を備えたすべての人間に開かれることになる。

 社会はつまり、個人の生理的機能をそのシステムに組み込んで、近代以降、次々に生み出されるようになった多様な新しいものの価値判断を、「しびれ」の有無を通じて、分散処理的に行うようになったのである。

 多くの人間が鳥肌を立たせる存在は、「カッコいい」のであり、それは、資本主義と民主主義とが組み合わされた世界では、絶大な力を発揮するのでった。

 他方で、個人の側からすると、自分の人生の時間を費やす対象を、上から画一的に押しつけられるのではなく、「しびれ」を通じて、主体的に選択できるようになったのである。

「カッコいい」は、この決して疑いようのない体感を通じて、個人のアイデンティティに深く根差すことになる。なぜなら、すべての人間が、その時「しびれて」いるわけではなく、自分はこういうものに鳥肌が立つ人間なのだということは、一つの自己発見だからである。そして、ビートルズのように、多くの人がその音楽に「しびれて」いる時でも、その強度の競争によって、自分が特権的なファンであることを信じたくなるのである。

「経験する自己」のこの「しびれ」は、「物語る自己」によって言語化される。

 実際には、美しい絵を見ても、崇高な自然に接しても「しびれる」ことはあるが、「カッコいい」という言葉は、その多くを引き受けている。

 この時、外部環境が大きな意味を有しているので、そこに介入することがあり得る。意識的、無意識的を問わず、「カッコいい」存在は、この生理的興奮を複合的な要因で引き起こし、言語化を誘導している。

「しびれ」が快感として自覚されると、それを反復的に経験したくなる。なぜならそれは、快楽であり、自分の生に実感を与えてくれるからである。自傷行為的な痛みが、自己に対する否定的な「生きている」刺激であるとするならば、この「しびれ」は、肯定的な刺激である。

 私たちは、この鳥肌を立たせてくれる対象に魅了され、夢中になり、「カッコいい」という言葉を得て、憧れを抱き、同化・模倣願望を抱くようになる。自らその世界観を再現しようとし、必死の努力を重ねる。あるいは、その人のいる場所に足を運び、その人を想起させるものを買い集める。「カッコいい」対象の一挙手一投足に注目し、その言動に注目する。

 これに対して、「カッコいい」存在に、何かしら自分と共通する点を見出し、共感を抱いた人は、その対象を理想化する。あとから、それが自分の求めていたものだと気がつき、以後の価値判断の尺度とするようになる。ここに至って、60年代以降の「カッコいい」は、その原義である「恰好が良い」に接続され、非日常体験は日常化されるわけだが、ただし、その理想像は、「恰好が良い」のように他者に共有されているわけではないので、事後的に同意する〝仲間〟が求められることになる。それが、著名人や人気商品のファン・コミュニティであり、それを実現するのはメディアである。

 今日のマーケティングでも、ファン・コミュニティの重要さは喧しく強調されているが、なぜならば、その場所がないと、個々の「しびれる」ような体験は、孤立したまま放置されてしまうからである。そして、このコミュニティは、内的には強い結束を実現するが、しばしば排他的であり、他のコミュニティとの相互の理解には困難が伴う。

 とはいえ、実際に多くの人間にとって重要なのは、「カッコいい」ことよりも、「カッコ悪くない」ことであり、「ダサい」と目されることの羞恥心や屈辱感も、否定的な意味で極めて体感的である。

「カッコいい」が60年代以降、日本で一気に広まったのは、戦後社会に「自由に生きなさい」と放り込まれた人々が、その実存の手応えとともに、個々の多様性に応じた人生の理想像を求めたからである。社会的には、これにより、大きな「人倫の空白」が、複雑なパズルのピースの組み合わせのように埋められることとなった。

「カッコいい」人やものを求めるのは、言わば〝自分探し〟である。だからこそ、私たちは、自分が「カッコいい」と信じている人を誰かから「カッコ悪い」と笑われると、まるで、自分自身を侮辱されたかのように腹が立つ。

 メディアはその発見の手助けをするし、一度「カッコいい」と感じた感情を、継続的な情報で強化し続ける。結果、個人主義時代の多様な価値観は、ガイドとしてのマスメディアの影響で、流行としてしばしば統一、または画一化される。それは、キャリア女性のファッションといった、「恰好が良い」という意味に近いお手本の役割から、韓流スターの鳥肌が立つような「カッコよさ」を紹介する役割まで、様々である。

「カッコいい」対象は、古く硬直した体制を揺さぶり、新しい価値観を提示する。彼らは、「起源」になり得る、という文字通りの意味で、オリジナリティoriginalityがあり、それがあまりに一般化し、マイルドな模範となった時には、「カッコいい」は「カッコ悪い」へと転落し、次なる「カッコいい」存在が必要とされる。

「カッコいい」には、表面と実質との乖離と一致という問題が常につきまとう。これは、西洋思想史の伝統的な「見かけ」と「本質」という二元論と相似的である。

アフリカ、欧米、日本
 メディアの観点から言えば、ラジオとテレビ、レコード、書籍の普及が大きかった。これによって、「恰好が良い」の限られた趣味の世界から、「想像の共同体」全般に、その「カッコいい」が共有され、更に国内に止まらず、国境を越えて流通し、グローバル化された。基本的に、戦中から日本人が「カッコいい」と憧れていたのは、ジャズやロックに象徴される欧米の文化であり、更にそのルーツはアフリカにまで伸びている。日本語の「カッコいい」という言葉には、「ヒップ」や「クール」という英語の意味内容が多分に反映されている。

 日本の60年代は、大西洋を横断しつつ、この時期に醸成された欧米の「カッコいい」ブームに巻き込まれていったのだと言って構わないだろうし、だからこそ、その後、日本からも「カッコいい」文化を投げ返すことが出来たのである。

 では、その欧米中心の「カッコいい」ブームとは何だったのか?

 創造性という点では、私たちはビバップ以降に一つの頂点を迎える、アメリカの「ヒップ」という価値観の伝統を重視した。これは、今日では「クール」とも言われる「カッコいい」の源流であって、そのダイナミズムは、アメリカ建国の物語とも深く関わっている。

 アメリカのヒップ・カルチャーは、レコードや映画、進駐軍のキャンプやラジオを通じて、日本にも輸入されたが、より大きな波は、イギリス経由で、ロックを通じてもたらされた。

 イギリスでは戦後、主に労働者階級の若者たちが、父親世代とも上流階級とも違う自分たちの新しい文化を求めて、モッズやロッカーズといったファッション・ブームを巻き起こし、アメリカのブルースやロックを貪婪に吸収して、独自に発展させていった。そこから登場したビートルズやローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンといったロックバンドは、今度はアメリカで絶大な成功を収め、60年代以降、日本もその有力な市場と化していく。

 政治的にも、アメリカのヴェトナム戦争やパリの五月革命、また日本の安保闘争や学園紛争など、愛と平和、自由、既存の体制への反抗が顕著な時代であり、ロックは取り分け、その「様式戦争」の象徴的な存在となった。

〝体感主義〟の始まり
 18世紀までのヨーロッパでは、「美の多様性」は許容されていたが、その趣味判断は、非常にエリート主義的だった。

 状況が変わったのは、ドラクロワ=ボードレール的な〝体感主義〟の導入である。

 彼らは、作品の前で、まず「素朴に」感じることに徹し、自分の身体が、それに「戦慄する」かどうかに注意を払った。美は多様である。なぜなら、決して画壇の中心が主張するように、ラファエロだけが素晴らしいのではなく、ルーベンスの前に立っても、レンブラントの前に立っても、「しびれる」からである。

 この美の評価の〝体感主義〟は、美術史を多様化し、同時に、その判断を下す権利を一気に民主化した。深い美術の知識を有していなくても、誰でもこれは美しい、これは美しくない、と主張することが可能となったからである。なぜか? 身体に備わった生理的興奮という機能は、普遍的だからである。

 モダニズムを真に準備したのは、この〝体感主義〟だった。なぜなら、これによって、ピカソやデュシャンのような、言葉では説明のつかない、どれほど新規な表現が登場しようとも、社会は鳥肌が立つかどうかという実感を根拠に、その評価を下すことが出来るようになったからである。

 それを受け止めるのは、エリート批評家の洗練された趣味だけでは、決して十分ではなかったし、そういう者たちは、新しい芸術に対しては、しばしば保守的にボロカスに批判をした。ただし、社会の感じ取った「しびれ」が何だったのかを巧みに言語化し得た批評家たちの言葉は、その後、個々人の「経験する自己」を「物語る自己」にとって、大きな示唆を与えることになった。

 20世紀後半にイギリスの若者がアメリカのロックやブルースを、日本の若者がジャズやロックを受容できたのも、この〝体感主義〟に他ならなかった。そして、正式な音楽教育を受けていないような才能ある若者たちが、大量に音楽の創造に参加し、楽理とは異なる根拠によって、「カッコいい」作品を生み出していったのである。

 創作物ではなく、生き様の「カッコよさ」に関しては、19世紀のダンディズムが一定の影響を日本にもたらした。しかし、その保守的な受け止め方は、三世代にわたって展開されたイギリス・フランスでのムーヴメントとはかなり異質なものとなった。ダンディたちの基本的な姿勢は、資本主義と民主主義がもたらした社会の混乱、俗悪さに対する抵抗だった。

自由、個性的、優しさ
 戦後の欧米、更には日本の若者たちが、自らが生きる指針として「カッコいい」存在を求めたのは、ヨーロッパが、近代以降、脱宗教化の過程で個人の模範を模索していたことの一種の反復である。

 では、具体的にどういう人間像が、理想的とされていたのか?

 長らく男性中心社会だったヨーロッパでは、古代ギリシアの「アンドレイア」以来、「男らしさ」の変遷に、それを見て取ることが出来る。戦いに於ける勇敢さ、正義のための反抗、弁論の巧みさ、セックス・アピール、家族を守ること。──これらは時代と場所によって変化しつつ、今日に至るまで、私たちが「カッコいい」と感じる人間像にかなりの程度、影響を及ぼしている。

 更にフランス革命末期に創設された徴兵制が、自己抑制的な美徳を、国民一般に広げる要因となったという説も確認した。

 アメリカのクール然り、自分をコントロールできるというのは、「カッコいい」要素としては、普遍的な広がりを持っている。

 しかし、実際には兵役が悪しき「男らしさ」をその世代全体に広めてしまった、という側面も否めない。

 当然のことながら、こうした「カッコよさ」は、20世紀の両大戦のプロパガンダに最大限、活用されることとなった。それと、1960年代以降の「カッコいい」との断絶と連続性とに自覚的であるべきことは、幾ら強調してもし足りない。

 今日、「カッコいい」の担い手は、当然のことながら男女を問わない。取り分け90年代以降、女性誌は、女性にとっての理想像を試行錯誤しながら提案してきたし、女性を主人公にした国内外のドラマや映画には、「カッコいい」特徴が随所に見受けられる。

「アンドレイア」の五項目には、勇壮さの印象が強く、後のフランスの宮廷で見られた優雅さには欠くところがある。「カッコいい」は、時代と共に変遷があり、新たに付け加わったものもあれば、廃れたものもある。

 何よりも、60年代以降の「カッコいい」にとって、決定的に重要だったのは、「自由」である。そして、「個性的」であるということだった。そのため、新しい価値観を提示し、オリジナルであることが強く求められた。

 また、「優しさ」も、現代の「カッコいい」人間像に於いては不可欠だろう。

 今日、何が「カッコいい」かの判定に大きな存在感を示しているのはSNSである。その最高のバズワードは、「カッコいい!」と「スゴい!」だが、日常生活の一コマとして多くの人の心を捉えているのは、バスの運転手が、橋から飛び降りようとしている人を見つけて説得し、降りていって抱擁する場面だとか、理不尽なことで店員を罵倒している迷惑な客にピシャリと言ってやる場面などで、これはアメリカのリアリティ・ショーなどでも、見所の一つとなっている。

分人主義的な対処
 これと関連して、慈善活動や環境運動への取り組みを「カッコいい」とするメンタリティも、「アンドレイア」にはなかったものである。

 所謂「ノブレス・オブリージュ」は、社会的分配の機能不全が意識化された19世紀以降の比較的新しい伝統であり、また慈善活動の主体となったサロンの女主人たちが依拠したのは、キリスト教の伝統だった。

 海外では、ジョージ・クルーニーやマット・デイモンのようなハリウッド・スター、更にはミッシェル・オバマのような「セレブ」が、そうした新しい時代の「カッコいい」を体現しているし、日本では俳優の杉良太郎の長年にわたる慈善活動が、東日本大震災の時に改めて賞賛を浴びた。杉が「カッコいい」のは、殊に、彼がそれを決してひけらかすことなく、長年、黙々と継続し、「売名行為と言いたいなら言えばいい。」と、否定的な声に対して、頑として己が正しいと信じていることを貫いている点である。

 また、マザー・テレサやアフガニスタンの不毛の荒野に用水路を建設して緑地化したペシャワール会の中村哲などは、かつての感覚では「カッコいい」という言葉で表現するのは不適当だっただろうが、今日では、そう評して違和感を覚えない、という人も少なくない。

 彼らには、勿論、立派だとか、素晴らしいといった称賛の言葉も似つかわしいが、自らの感動と憧れを含んだ「カッコいい」という言葉には、より能動的な意味が込められ得よう。彼らは、人間のあるべき姿として、個人が理想像と見做し得る人物であり、その活動に「鳥肌が立った」人も少なくないだろう。

 また、ミルトンのサタン的な暗い情熱とは対極的に、爽やかで、快活で、礼儀正しく、気さくであることにこそ、「カッコよさ」を感じる向きもある。メジャーリーガーの大谷翔平などは、その代表例だろう。

 そこまでの天才でない、身のまわりにいる「カッコいい」人のカジュアル路線では、「カッコつける」こと自体が「カッコ悪く」、自然体であることが求められる。ほんの少し「ダサい」くらいの方が、キメキメよりも「カッコいい」という感覚は、微妙だが一般によく理解されているだろう。これは、言い換えるならば、「カッコいい」に常について回る表面と実質とのギャップがない、ということである。勿論、それは表面よりも実質が劣っていない、という意味であって、クレージーキャッツ的な、あるいはスーパーマン的な、普段は三枚目だが、いざとなると圧倒的な力を発揮する、というギャップを「カッコいい」とする感覚は健在だろう。

 その他、冒頭の辰𠮷𠀋一郎を巡るバーのカウンターでの大ゲンカ然り、「カッコいい」は非常に多様性があり、細かな議論をし始めればキリがない。

 しかし、ともかく、こうは言うことが出来るだろう。

「カッコいい」について考えることは、自らの「生き方」を考えることである。それは、身体感覚に根差した共感によって人を導き、他者と結びつける。しかしだからこそ、他者との分断の引き金ともなり得、また「生き方」をコントロールされる危険も孕んでいる。

 私自身の提案としては、やはり、分人主義的な対処が望ましいのではないか思う。

 モッズにせよ、ヒップにせよ、60年代以降は、現実的には、仕事とアフターファイブという二元論で生きられており、それは「カッコいい」も同様だった。

 自身の分人の構成比率の中で、「カッコいい」存在と深い関係を有している分人を、どのように維持するか? しかし、それが他の分人によって相対化されているということもまた、自分の人生を開放する上で重要だろう。たった一つの「カッコいい」存在に忠実である必要はなく、むしろ、「カッコいい」を巡る自分の自由な変化にこそ、忠実であるべきである。新しい「カッコよさ」の発見は、新しい自分自身の発見であり、また、それに魅了されている他者との新しい出会いでもあるのである。

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