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『マチネの終わりに』第九章(15)

 〈ハイパー・ロマンティシズム〉というブローウェルのコンセプトを体現したような第一部と違って、蒔野の演奏も、より構築的で、音に漲る生気には客観性の優しさとでも言うべきものがあった。

 洋子は目を閉じ、彼の〈アランフェス協奏曲〉の演奏を聴いた五年半前の記憶を脳裏にちらつかせた。あの夜、二人で交わした会話と微笑み。別れ際にタクシーの窓越しに見つめ合った、名残を惜しむような目。……それから、パリでの彼の愛の告白、リチャードとの結婚生活、蒔野とのスカイプでの会話、東京のホテルのベッドで眺めた豪雨の夜空、ケンの出産、早苗との対面、長崎の母の横顔、サンタ・モニカで自分を抱きしめてくれた父、……と、様々な記憶が、時間の前後を問わず、断片的に脳裏を過ぎった。

 蒔野と自分との間に流れた時間の記憶が、彼女の胸を押し潰した。洋子は、閉じ合わされた瞼の隙間に涙が満ちてゆくのを感じ、眉間を震わせながらそれを堪えた。そして、『――なぜなのかしら?』と、無意識にまた問うた。『なぜなのかしら?……』

 それは、蒔野の演奏によってこそ、再び喚起された問いだった。彼は、バッハの音楽の無限とも思われる形式的な試みの中に、何か恐ろしく慎ましやかな、わからないという疑問を探り当て、静かに共振していた。二十代の頃の演奏よりも、蒔野は、遙かに深く、わからなくなっていた。発せられる問いは、一つ一つがあらん限りの創意に満ち、そして、呼応する答えには、彼の探り当てたものに対する神秘的な優しさがあり、肯定があった。

 洋子はこの時、蒔野がどこにいるのか、はっきりとわかった。そして、目を閉じたまま、彼女は小さく頷いた。拍手の彼方で、イラクで毎日のように聴いていた第三番のプレリュードに、新しい光が注がれるのが感じられた。もっと明るく、もっと穏やかな光。それでも、彼女はこう問わざるを得なかった。なぜ自分は、彼と別々の人生を歩むことになったのか、そして、なぜ彼との愛は、あそこで絶たれなければならなかったのかだろう、と。……

 第一部とは違った、何か存在の奥底に深く沈んでゆくような説得力に打たれて、蒔野を凝視する聴衆の表情に、苦しげな明るさが萌していた。体を揺すって拍子を取る代わりに、何か本人にしか知り得ない秘密のために、音にならない言葉を口にしている者もあった。


第九章・マチネの終わりに/15=平野啓一郎 

#マチネの終わりに


▲アランフェス協奏曲

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