『マチネの終わりに』第六章(66)
自分はそして、いつまで、このバグダッドでの生活に適応してしまったままのからだを生き続けなければならないのだろうか? 雷鳴をテロの爆発と聞き違え、見つめられることを脅迫されているかのように錯覚してしまう、こんな滑稽な、馬鹿げた自分を!……
洋子は、蒔野に会いたくないという自分の気持ちの中に、初めて、何か羞恥心に似たものが混ざっていることを発見した。
こんな自分を見て欲しくなかった。彼が自分を買い被りすぎているという思いは常々あったが、その高すぎる理想には見合わないまでも、女として、せめて彼の期待に幾分なりとも見合う姿でいたかった。
洋子は、健康でないということの劣等感を、今ほど身に染みて感じたことはなかった。恥ずかしいという感覚だった。それはまったく不合理な意識で、自分がもし、病身の友人からそんなことを聞かされたならば、
「どうして? 何も恥ずかしいことなんかないでしょう?」
と首を傾げながら励ますに違いなかった。
彼女は、そういうかつての自分に、健康な人間ならではの傲慢な眩しさを感じた。
同情されたくないというような、強い自意識の抵抗ではなかった。ただ、発作に襲われてパニックに陥っているような無様な姿を、蒔野には見てほしくなかった。
しかし、そんな関係が本当に愛という名に値するのだろうか? 結局、自分たちは、そのまだ遥か手前にまでしか、辿り着いていなかったのではあるまいか。
母は、どんなふうに被爆の事実を父に打ち明けたのだろうかと、洋子は想像した。恐らく母も、愛する人の前で、自分の体が一度は深刻に放射能に“汚染された”ということが、恥ずかしかったのではあるまいか。自分のこの体では、もう健康な子供は産めないのかもしれないという、何度打ち消してみても頭を擡げてくる、その暗い不安。……
体調が落ち着くのを待って、帰国前に、せめてもう一度、蒔野に会いたいと洋子は願っていた。しかし、長崎での穏やかな時間の中で、幾分、心の平穏を取り戻すと、むしろこのまま、彼への思いを吹っ切るべきではあるまいかという考えに、次第に移っていった。
第六章・消失点/66=平野啓一郎
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