見出し画像

もうひとつのデザインの可能性

本稿は2018年9月4日(火)に赤坂のヤフーLODGEにて「Designs for Designers(D4D)」が主催するイベントで登壇したデンマークでの在学研究(2017-2018)で気づいたことの文章です。当日のスライドは下記よりご覧になれます。

はじめに

主戦場がビジネスシーンではない「デザイナーの姿やデザインの力もあるのではないか?」特に「社会」といった領域にデザインを活かすとはどういうことなのだろうか?この文章は、こういったことに興味がある人に向けたお話です。そんなことに興味がある人が、北欧やスカンジナビアにきて、もうひとつのデザインの可能性を学ぶことに、エールを送りたいとおもいます。

***

著者の紹介

こういった話を始めると「大きな話をするよりポートフォリオで示す方が大事!」や「クラフトマンシップを持つデザイナーがやりずらくなるから、控えてもらいたい!」「クールなデザインだけを語るべき!」といった話が、僕の耳に入ってきます。

そう感じている方は、この文章を読むと、かえって混乱するだけなので、読み進めないで欲しい。読むことで、モヤモヤさせてしまい、日々の大事な仕事に支障がでることは、僕が願う姿ではないし、混乱させてしまい、本当に申し訳ないとさえ感じています。

ちなみに、僕自身のことに対して少し補足すると、僕は美大出身であり、審美性がどうでもいいなんて考えてもいません。また、今回の在外研究先だったDesign school Kolding(以下、DSKDで表記)は、クラフトマンシップが根底にあるデザインスクールです。学長のエリザベスは「クラフトマンシップとデザインシンキングの融合こそが、目指すべきプロフェッショナルの姿」といった見解も述べたりもします。

ここ2〜3年のポートフォリオは、RICOH THETAのUXやUIにフルコミットしてきたことです。このお仕事を通して、全天球の映像体験を世に送り出せたこと、世界的なデザイン賞を受賞できたことは光栄でした。でもそれ以上に、デンマークでRICOH THETAを使っている旅行者を見かけることの方が、その100倍は嬉しかったです。(もちろん、その結果に貢献した部分は、ほんの一部です)

※なお、ポートフォリオに関しては契約依存になるので「すべての案件」を公開しているとは限りません。また、ポートフォリオの写真に映る価値よりも、ポートフォリオの写真には映らない価値に、僕が関わる案件は、特におもむきを置いています。

以下より、本編が始まります!

***

ビジネスシーンでのデザイナーの可能性

この世は、UIデザイン・UXデザインの全盛期。 デジタルプロダクトを中心に展開するデザイナーの市場価値は右肩上がりで、3年前の「UIデザイナー不要説」が嘘のように、その価値がメディアを駆け巡る。

さらに、『「デザイン経営」宣言』が経済産業省から発表され、デザインを企業価値向上のための重要な経営資源として活⽤することの良さが述べられている。

このようなデザインの潮流の中で、UIデザイナー、UXデザイナーの進化の矛先のひとつにCDO / CXOがある。スタートアップ企業のCDO / CXOとして、デザイナーが経営層に入り込み、デザイナーの知と技をつかって、その企業の成長を加速させ、価値を高め、利益を生みだすのだ。いま、ビジネスに対するデザイナーの可能性は大きく開き、デザイナーの力が再定義されている。

しかし、デザイナーの再定義やデザインの力の拡張をビジネスシーンだけに限定するのは、少々もったいない。「社会(society)」に対しても、デザイナーの再定義やデザインの力を示していく方が賢明ではないだろうか。

社会に対してのデザイナーの可能性や進化とは、いったいどんなことなのだろうか?デンマークの在外研究で見えたこと、感じたこと、考えたこと、気づいたことを通して「社会」に向けた、もうひとつの未来のデザイナーの姿を紐解いてみたい。

***

デザインの民主化

恐らく、日本の美大のデザイン教育は世界の潮流と少し離れている(気がする)。その影響から「”造形”がカッコいいことがデザインであり、それをつくれることがデザイナーの証だ。だから、カッコいい実績を持たないと、そのデザイン論を語ってはいけない」そんな思想が、業界の奥底に潜んでいる。

デザインをすること、それを語ることが特権的扱いとなり、生活者に対して、民主化されていない。デザインに対して、小さき、声をあげることが難しい。それが、日本のデザインを取り巻く現状なのではないだろうか。日本のデザインは未だに閉じている。これは、大きな損失だと思われる。

“Everyone designs who devises courses of action aimed at changing existing situations into preferred ones.” (Simon, 1996, p111)
現状の状態をより良い方向へ、好ましい状態へと変えるために考える人は、誰でもデザインという活動をしているんだ(著者意訳)

このメッセージは、『The sciences of the artificial(システムの科学)』という本の一節にある。多くのデザインに関する言説で引用されることが示すように、ある側面でのデザインについて、的確に捉えているメッセージである。ここには「カッコいい」といった意味の単語はでてこない。本文で使用する「デザイン」もまた、この意味として取り扱う。

例えば、デンマークには「デザイン幼稚園」と名乗り、子どもたちの可能性を広げることに貢献している施設がある。そこの園長先生は、次のように述べ、明確に自分がやっていることが「デザイン」なのだと自覚している。

“ Design for kids is not a product, process! “ 
子どものためのデザインはモノではない、プロセスだ!(著者意訳)

この園長先生のように、誰でもデザインに対して、小さき声を挙げられる。誰でも自由にデザインの力を使える。誰もがデザインについて語れる状況こそ、デザインの民主化が目指す世界である。それは、デザインというものが、一部の特権的階級から解放され、生活者の手に移ることを意味する。

僕は、このデザイン幼稚園のような取り組みに、デザインの専門家として関わっていきたい。そこには、ポートフォリオの写真には映りづらいが、社会的な美しさがあるからだ。そして、銭湯の番頭さんがデザインを語るような、そんな世の中になることを願っている。

わたしたちはどうしたら、銭湯の番頭さんがデザインを語る世の中をつくることができるだろうか?

先月開催した「DESIGN CAMP 2018 喜楽湯」の様子。
このレポートは次回のnoteで!

***

社会まで射程を広げたデザイン

まず、社会とは、何か?そこから整理したいと思う。19世紀頃まで、日本語には「社会」という言葉はなかった。「社会」という言葉は、英語の「Society」に対する訳語としてスタートする。

「Society」の意味を英英辞典で調べると、そこには「people、organization、group」といった単語が登場する。つまり、「人の集まり、つながり」がSocietyの意味として扱われていることに気づく。また「”社”と”会”」という文字からも「おやしろ(土地の守り神)に人が集まる」とも読める。

いずれにせよ、国、都市、地方、街、村といったイメージは、社会の本質的意味ではない。「人の集まり、つながり」こそ、大切に扱うべき意味ではないだろうか。つまり、社会を相手にするデザイン(Social Design)とは、「人の集まり、つながり」に対して真正面から向き合ったデザインの領域のことなのだ。1対1の関係から、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)と呼ばれるような人の信頼関係やネットワークまでが、その対象となる。

このことは、Richard BuchananのFour Orders of Designを下敷きに、デザインの進化を考えると分かりやすい。人と記号の関係性、人と製品の関係性、人とコンピュータの関係性、人とサービスの関係性と続き、デザインの対象は、人と人の関係性に辿り着いたのだ。もちろん、これまでも、その関係性の先に顧客やユーザーとしての「人」がいたことは明らかである。

※ちなみに、日本の社会的課題に対するデザインの意味で言う「ソーシャルデザイン」は、DSKDの中では、Sustainable Designの意味や領域として扱っていました。

***

人と向き合った時、デザイナーは何ができるのか?

まず、Human Centered Design(人間中心設計)とは、少しニュアンスが異なると僕は考えている。人間中心設計は、様々な工夫をこらして、人(顧客、ユーザー)を客体化する。そのメタな視点をもって、デザイナーが彼らにとって有益な解決策を提供する。そのための、やり方、考え方が、HCDである。そこでは「ペルソナ」といった架空の人物像が生まれる。

しかし、Social Designはそうではない。ペルソナではなく「当事者」がいる。

まず、彼らが実現したい暮らしや営みがある。それを実現するために活動するのは、デザイナーではなく、当事者自身である。自分たちでデザイン(より良い状況へ向かうための試行錯誤)をするために彼らを「応援したり、お手伝いする」ことが、人と向き合った時のデザイナーのやるべき仕事となる。

つまり、集団(人の集まり、つながり)のパワーアップ。流行りの言葉を使えば、その集団のエンパワメントがデザイナーの大きな仕事となってくる。このような活動は、プロセスコンサルテーションとしての側面があり、Co-designの到達点とも言える。

***

支援者としてのデザイナー

コミュニティを支援することで、まちづくりに関与する
創業以来、僕の会社が関わっている仕事のひとつに「さがまち学生Club」というのがある。さがまち学生Clubとは、相模原・町田地域の学生が地域の活性化や、まちづくりに繋がる活動を企画・実施していく参加体験型の取り組みである。

学生は、日々の暮らしの中で、自分の目と足を使って、街の魅力(自分が面白いとおもったこと)を発見する。そして、なぜそれが面白かったのかを深掘りし、コンテンツ(フリーペーパー、イベント、市長への提案など)に仕立てる。

僕たちは、コンソーシアムと一緒になって、この活動をコミュニティの立ち上げ時から関わっている。デザイナーとして、地域のまちづくりに直接的に関わるのではなく、学生コミュニティをサポートすることで、結果としてまちづくりに関与する。

定例会議や活動を通して、学生たちに、企画書の作り方、物事の捉え方、ビジュアルシンキングやクリティカルシンキングといったような「自分で考える力」を授けるのだ。この活動に参加したことが起点となり、市役所に就職する学生まで出てきたことは、大きな成果である。

この活動の中で、デザイナーは「支援者」として、その場に存在している。僕たちは、街が抱えている問題を直接的に解決はしない。その街の当事者でもないデザイナーが、街のためになると思った処方箋を用意しても、その施策は、社会に根付かない。または、一過性のもので終わる。

しかし、そこで暮らす学生は違う。その街の息吹を肌で感じている当事者であるからこそ、見えてくるものがあり、やりたいことが芽生える。そのために必要な力をデザイナーが支援するのだ。

僕が所属していたSocial Design Labでも、似たような取り組みは多い。デザイナーは、直接的な関与はせずに「結果的に」デザインシンキングがおこなえるような場、ツールキット、プログラムを用意する。そして、当事者たちの知性をパワーアップさせ、新しい気づきを発見し、自分たちが実践可能な解決策を考えてもらう。もちろん、そこでは、ファシリテーターとしての役割も求められる。

デザインリサーチの第一人者でもあるLiz Sandersは『From Designing to Co-Designing to Cllective Dreaming: Three Slices in Time (2014)』の中で2044年のデザイナーの姿について次のように述べている。

The people whom we currently call designers are the toolmakers, making the tools and providing the materials the rest of us use to imagine and express our collective ideas about future experience. These toolmakers focus on making sense of the future as well as on giving shape to the future.
私たちが現在デザイナーと呼んでいる人々は、ツールメイカーであり、ツールを作り、私たちの集団的アイデアを想像して表現するために使用する資料(マテリアル)を提供します。 これらのツールメーカは、未来を理解し、将来を形作ることに重点を置いています。
The people who are today’s designers and design researchers are the facilitators and shapers of the collective dreams of the people in 2044.
今日のデザイナーとデザインリサーチャーである人々は、2044年の人々の集団的な夢を描くファシリテーターと作り手(shapers)である。
(著者意訳)

日本では、ワークショップデザイナーの肩書きを持つ人が、このような活動をしている印象をうける。僕自身、青山学院大学の社会情報学部が主催する「ワークショップデザイナー育成プログラム」の修了生だが、彼らとの違いは、デザインシンキングやサービスデザインのツールを、そこに組み込んでいるかどうかである。

デザインシンキングは、イノベーションのための銀の銃弾や魔法の杖ではない。人々の潜在能力や可能性をひらいたり、不確実性に対する行動指針や心構え(マインドセット)となるものなのだ。

当事者は、デザイナーと一緒になって、対峙している問題を解決したり、実現したい、暮らしに未来に向かって突き進む。その中で、彼らは、いまやっていることが、デザインの活動なのだとゆっくりと気づいていく。そして、自分の中に眠っている創造性といった潜在能力が解放されはじめる。

詳細は省くが、僕もお手伝いした東京藝術大学の須永剛司先生の取り組み。奈良の「あたつく組合(福祉型事業協同組合)」との共同プロジェクト「Design @ Community」では、まさにそのようなことが起き、成果としてあがっている。

詳しく知りたい人は、下記のリンクより須永先生が書いた概要論文をご参照ください。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssd/65/0/65_274/_article/-char/ja/

社会の中で展開するデザインにおいても、大事にすべきは表現することである。見たもの、聴いたこと、話したことを常に表現してみること。どんな表現でもいい。表現することは、対話をそこに提示することになる。そうすれば、そこにいる皆がそれらを眺め、味わうことができる対象になる。そうすると、そこで何をやればいいのか自然に見えてくる。表現が人と人をつなげることになる。自分で表現し、その表現を見ること、実はそれがデザインという行為の核心なのだ。(須永, 2017)

ゆえに、デザイナーは、当事者の潜在能力や可能性をひらくプログラムとツールキットを準備したり、対話を促進できるような表現の場をしつらえる。そうやって、彼らを少しずつ、エンパワーさせるのだ。

***

クラシカル デザイン アプローチ

テキスタイルデザイナーが病院のインテリアをデザインする。アクセサリーデザイナーが義足や福祉のプロダクトをする。プロダクトデザイナーが対話ツールキットをデザインをする。これらは、僕が見てきたクラシカルデザイナーの専門能力を他の分野に応用した実践例である。

※本稿でのクラシカルデザインとは、いわゆるデザインシンキングで駆動するデザイナーはなく、クラフトマンシップによって駆動するデザイナーが取り扱うデザインの総称です。

テキスタイルデザイナーは、色・素材・造形が織りなす「心地よさ」を感じる取る能力に長けている。そこで、その力を子ども向けの病院空間のインテリアデザインに応用する。アクセサリーデザイナーは、人の心を魅了する「繊細さ」を感じる取る能力に長けている。そこで、その力を心にダメージを追っている人を支援するプロダクトデザインに応用する。

いずれの事例も、ビジネスシーンでなく、社会や公共といった分野への応用例である。そこでは、クラフトマンシップを持ったデザイナーがサービスデザインの方法と道具を使って、リサーチ段階から現場に入る。そして、Co-designアプローチによって、当事者たちと一緒につくりだしている。

このように、DSKDでは、クラシカルデザイナーの専門能力を応用し、他分野への新しい可能性を探っている。

Service design is the application of established design process and skills to the development of services. It is a creative and practical way to improve existing services and innovate new ones.(live work, 2010)
サービスデザインとは、既にあるデザインプロセスとそのスキルをサービス開発に応用することです。サービスデザインは、既存のサービスを改善したり、革新的な新しいサービスを生み出すための、創造的で実践的な方法なのです(著者意訳)

これは、イギリスでサービスデザインを切り開いたlive work社が語るサービスデザインの定義である。このメッセージから、僕は「デザインプロセス」と「スキル」を応用することの大切さを受け取っている。

DSKDでは、この「デザインプロセス」と「スキル」の応用を「クラシカルデザイン」に対して実践している。そして、その応用先は、社会、福祉、公共といった領域である。

ジョン前田さんは、デザインを「クラシカルデザイン」「デザイン思考」「コンピュテーショナルデザイン」と大きく3つに大別する。そして、ビジネス的な価値のほとんどは、後者2つによって作られていると述べている。

このことは、とても興味深い。つまり、テキスタイルデザイナー、アクセサリーデザイナー、プロダクトデザイナーといったモノづくりを中心に取り扱ってきたクラシカルデザイナーの新しい進化や可能性は、ビジネスシーンではなく、社会、福祉、公共といった分野に対してあるということが分かる。

僕も少しだけお手伝いさせてもらった、DSKDのSocial Design Labが開発した「TACTUS」は、デンマークの特別支援学校の子どもたちが、自分の感情と思考を誰かに伝えたり、学ぶために利用されている。それらは、様々な素材を手で触わることで、子どもたちは自分の気持ちを表現し、他者と関わっていく。幸いなことに先日のデンマークデザインアワードでも、ファイナリストに選出されている。

※ちなみに、このツールキットを開発したデザイナーのバックグラウンドは、プロダクトやアクセサリーデザイナーでした。

このツールキットをつかい、先生と子どもが対話を始めたことで、実は、お父さんが逮捕されて、家庭が大変なことになっていることに先生が気づき、子どもをサポートすることができたみたいな成果もあがっている。

おわりに

本稿は僕の在外研究で気づいたことの一部ではあり、これらがデンマークのデザインの潮流、または世界の潮流であるということではない。しかしながら、社会を射程に捉えたときのデザイナーのひとつの可能性を示すための良い事例であることは間違いないだろう。DSKDの事例は、クラフトマンシップを持つ、クラシカルデザイナーに対する未来の可能性である。

テキスタイル、アクセサリー、プロダクトといったクラフトマンシップが最高に活きているデザイナーに対し、サービスデザインの方法と道具を展開することで、その専門能力を社会、公共、福祉の分野に応用するのだ。彼らが活躍する場は、ビジネスシーンではなく、生活シーンにこそある。

デザインの可能性は、なにもUIデザイナーやUXデザイナーだけにひらいているわけではない。クラフトマンシップが活きる分野、クラシカルデザイナーにも大きくひらいている。

無責任な発言をすれば、そのためには、もっとサービスデザインを気軽に扱ったほうが良い。そして、美術大学の中でも、特に「モノづくり」と呼ばれるような学科のカリキュラムとして、気軽にサービスデザインを取り入れていく、必要があるのではないだろうか。そのほうが、彼らの可能性をもっとひらくことができるはずである。

謝辞

素晴らしいデンマークでの在外研究の場を提供してくれたDesign school Koldingのみなさまとデンマークで出会った素敵な方々、デンマークに行く機会を提供してくれた東京藝術大学のショートユニットのプログラムと須永先生、デンマーク行きを快く応援してくれた株式会社デスケル(旧名トライアンド)のみなさま、在外研究への背中を押してくれた院生の同期、Twitterやnoteで反応をいただいたみなさん、暖かく見守ってくれた家族、そして日本で孤軍奮闘してくれた奥様。

本当にありがとうございました。

サポートも嬉しいですが、twitterフォローでも十分嬉しいです! https://twitter.com/hiranotomoki