Design School Kolding までの軌跡3

4. 転機になった出来事

こんなフレームワーク化された仕事をして、コンポーネントぽいぽいで造形物をつくって、アプリやWEBのデザインをやっていくことに、僕の30代という時間を投資して、本当に良いのだろうか?それは、本当にデザインなのだろうか?本当にこれが、僕がやりたかったデザイナーの姿なのだろうか?と悩んでいる時期がずっとありました。

正直、自分の会社でこれ以上、自分の人生を投資して、デザイナーをやり続けることに意味を見出せなくなっていました。いっそのこと、自分の魂を売って、どこかの企業に再就職でもしもしようかなと考えていました。

若くて何も知らないデザイナーを買い叩いて、安いイラストレーター見つけて発注して、ジャーニーマップ、ペルソナ、キャンパスマップなどを書くことを目的化させて、クライアントに喜んでもらって、自分の実績じゃなくて、会社の実績で実力を水増しして、そうやって安定したお金を稼いで、これからは家族とお金のことだけを考えて生きようかな、もうデザインについて考えるのをやめようかなと思っていました。

そんな憂鬱な日々を過ごしていた中で、転機になった出来事が2つありました。

青山学院大学社会情報学部ワークショップデザイナー育成プログラム
東京藝術大学とフィンランド アールト大学の共同ワークショップ

これら2つの出来事に巡り合ったことが、もう一度、デザインを学び直そう!大学院にいこう!と決めたきっかけでした。

ワークショップ育成プログラムでもっとも影響を受けたことは「学び」に対する再認でした。つまり、学びとは何か?を考えることができ「大人の学び方」を「学ぶ」ことができたのです。これが最大の武器となりました。もうどこに行っても自分でやれる、考えることができる、学べることができると自信がつきました。次の問題は「何を(What)」学ぶかでした。

Why:デザイン界隈に絶望したから
What:(?)⬅
How:大人の学び方を使って


そして、運命のアールト大学の共同ワークショップに参加します。ワークショップの初日、Kari-Hans先生がこんなことを言いいました。

「君たちは、組織、機関、法律、ネットワーク、ムーブメントなどは“デザイン”の対象だと思う?」


!!!!!僕はその時、本当に、本当に、本当に衝撃を受けました。コミュニティデザインは日本でも耳にしていましたが「法律」や「ムーブメント」がデザインの対象になるなんて、想像もしたことがなかったからです。フィンランドのアールト大学では、本気でそれらをデザインの対象として扱っていたのです。

つづいて、Juha先生が次のように言いました。

「19世紀はデザインの第1世代、“ビジュアル”がデザインの対象だった。20世紀はデザインの第2世代、“オブジェクト”がデザインの対象だった。1980からはデザインの第3世代が始まった。“インターフェイス”がデザインの対象となり、2000年には“サービス”がデザインの対象となった。そして、今はデザインの第4世代。2010年からは、“ストラクチャー”がデザインの対象となっている。」

僕はここで、やっと自分の目指すべきこと、学ぶべきことが分かったのでした。自分が絶望していたのは、第三世代のデザイン界隈だったんだ!でも、世界は次のデザインを始めていたんだ!

僕の大好きなデザインは時代とともに歩んでいて、そして、僕は、デザインに対して何も絶望することなんて、全くなかったんだと感じて、胸が躍りました。

>>>【Design School Kolding までの軌跡4へ】 続きます


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平野 友規

株式会社デスケル:リサーチャー&デザイナー。RICOH THETAのスタートアップ時のUX, UI支援業務をやってました。去年はデンマークのDesign School Koldingのソーシャルデザインラボで在外研究してました。デザイン、キャリア、組織に関することを投稿してます。

Design School Kolding までの軌跡

結婚して、まだ1年半だった著者が、奥さんを日本に残してまで、デンマークのデザインスクールに来た理由はなんだったのか? その軌跡を辿る。
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