会社のコミュニティ、文化・風土について想いを馳せる

(※この記事は、2017年6月4日に書いたMediumからの転載です)

日本の古き良き時代のイメージ

日本の古き良き時代の世界観について、想像を巡らせてみると、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」や、アニメ「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」を想像します。

私は、その時代を生きたわけではありませんが、映像を見ていると、こんな時代だったんだろうといつも想像しています。それは、

ちょっと、不便だったけど、人と人の交流があって、人同士のつながり(コミュニティ)が心地よかった時代


そんな時代だったからこそ「古き良き」といった哀愁のイメージを感じさせるのかなと考えています。

その後、日本の経済は成長し、バブルのころにピークを向かえます。近代主義、合理主義によって「標準化」や「効率化」などが進み、それらは経済を発展させ、生活をより安全に、より便利にしました。

より安全に、より便利になった生活の一方で、コミュニティに心地よさを感じ取りにくくなったのが、現代なのではないでしょうか?もちろん、その原因が近代主義や合理主義だけとは思っておりませんが…。

最近の「コミュニティデザイン」という言葉の盛り上がりを考えると、本来、人同士のつながりは“デザイン”する必要もなかったが、現代はデザインすべき対象になったということだと考えています。(※コミュニティデザインという言葉は1960年ごろから使われているが意味は異なる)

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コミュニティの弱体化


自分の研究フィールド(看護現場)でも似たようなことが起きています。看護という仕事を構成するツールのひとつにカルテがあります。情報通信技術の発達とともに、紙カルテは電子カルテに変わりました。その結果、薬の取り違いなどの安全性は向上しましたが、カルテを介した看護師同士のコミュニケーションは減少しました。そして、紙カルテでは可能だった仕事の情動性や間主観性を、電子カルテの上に表現することが困難になりました。

別の事例をもうひとつ。

自分の会社の歴史をふり返えると、たった7年ですが似たような現象が起きました。立ち上げ当初、会社は4名だけで、マンションの一室を借りて、仕事をしていました。

そこには、キッチンやバーカウンターがありました。仕事終わりには、みんなでお酒を飲み、昼食は社員の誰かがキッチンで調理し、みんなに振るまっていました。

そんなに儲かってはいなかったけど、非常に心地よかったことだけは覚えています。しかし、社員が増えるに連れて、売上を重視するようになりました。業務効率化を優先した結果、そういった「無駄なスペース(売上に直接むすびつかない空間)」は作業スペースへと変え、排除していきました。その結果、3年ほど前から、社内の空気は悪くなり、やがて経営も悪化しました。

人工知能学会の発表をおえて、私はこれらに何か共通点のようなものを感じ取りました。それは、近代化や合理化を推し進め「過ぎる」と、コミュニティの崩壊が始まるということです。

コミュニティの崩壊とは、その会社(組織)が持っていた文化・風土が滅びていくということです。そのことを身をもって体験しました。弊社の場合は、お酒を飲むことや昼食をみんなで食べること、バーカウンターやキッチンなどが文化・風土だったのだと後になって分かりました。

このような問題にたいして、デザインでアプローチすることとは、どういったことなのだろうか?
という問いが、私を大学院というアカデミアの世界に誘ったのかもしれません。もしかしたら…。

私が所属する研究室は、社会的課題に対するデザインの方法と方法論を研究しています。そのヒントのひとつは『あなたへの社会構成主義』や「コンヴィヴィアリティのための道具」という本にあると考えています。ケネス・J. ガーゲンとイヴァン イリイチの思想が私たちの研究室の基盤になっているのかなと個人的には考えています。そこで見出した主張は、自分の修士論文などで発表したいので、その機会に譲るとします。

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分けないということ


そして、もうひとつ大事なことに気づきました。それは「分けない」という考え方です。

いつのまにか、自分の中で、仕事と私生活、PublicとPrivateを明確に分けることが当たり前(良いこと)であると認識していたことに気づきました。

そこから、日本の文化をふり返ると「分けない」ということのほうが、得意としているのではないかと考えるようになりました。

例えば、西洋の教会では、その中と外で、神様の領域と世間という領域を明確に分け隔てます。一方、広島の厳島神社や三重の伊勢神宮は分かりやすい例ですが、日本では鳥居を立てることで、神様の領域をそこら周辺に見出します。そこに明確な物理的な遮断はありません。もう少し詳しく知りたい人は『日本人にとって美しさとは何か』という本が読みやすいのでオススメです。

そのように、「分けない」ということが、近代化や合理化を推し進めて弱まったコミュニティを強めるヒントになるのではないだろうか。という視座を得ることができました。

幸いなことに2016年の弊社は過去最高の売上と利益率を記録し、過去の赤字もすべて回収することができました。いちど崩壊しかけた弊社のコミュニティも、以前とは違ったかたちでより強固になって再生されはじめました。

この3年間、多くの試作を投じましたが、仕事とプライベートを「分けない」ということはかなり有効だったと考えています。

不思議なことに、連日徹夜でガムシャラに働いた2015年より、大学院にいって、無理のない働き方をした2016年の方が、会社はうまく回りました。

・間主観的に会社を経営すること
・Responsibly limited に働くこと
・仕事とプライベートを分けないこと

そういったことが今の弊社の文化・風土なのだと思います。そして、近代化や合理化を推し進めて過ぎて、コミュニティが崩壊した「会社(組織)の文化・風土」をリ・デザインしていくことが、自分のデザイン研究の本質的テーマなのかもしれない?と人工知能学会を終えて、東京に帰る新幹線の中でぼんやりと考えていました。

もちろん、藝大は作品をつくらなけれなならないので、それをツールにまで落とし込む必要はありますが…。

■ 御礼
最後に、人工知能学会で研究発表する機会を与えてくださった須永先生をはじめとしたMED研究プロジェクトのみなさま。そして、弊社のコミュニティを再生するきっかけを作った弊社の女性社員に感謝を申し上げます。

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平野 友規

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