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須永剛司 先生から教えてもらったこと3


(※この記事は2015年2月23日に書いた会社のブログからの転載です)


- エクスペリエンスの描き方 -

“「エクスペリエンス」とはなんだろう。なぜ「エクスペリエンス」という言葉がデザインの課題として登場したのだろう。”(須永剛司,2002)


2002年5月1日に発刊した雑誌『AXIS』vol.97の特集:デザイナーは何をデザインすべきかという記事の中で須永先生はそう冒頭に述べている。

目に見える世界のデザイン

20世紀のデザインは「目に見える世界」=「物質世界」を対象としてきた。これはグラフィックデザイン、プロダクトデザイン、環境デザインを想像すると分かりやすい。例えば、グラフィックデザインは「人間の伝達」を支援するために新聞やポスターなどの「コミュニケーションメディア」をデザインの対象とし、プロダクトデザインは「人間の身体」を支援するために家電製品や自動車などの「道具」をデザインの対象とした。環境デザインは「人間の活動の場」を支援するために、住宅や街並みなどの「空間」をデザインの対象とした。どんなデザインの領域にも必ず目的があり、それを達成するために人為的な「形」が与えられ、新聞、家電製品、住宅のように目で捉えて触ることを可能とした。つまり「有形」こそがデザインの成果物として成立したのである。

拡張するデザインの対象

1980年代からコンピュータと情報通信技術の発達によって新しい世界が誕生した。ビットで構成された情報空間、デジタルの世界だ。コンピュータが人間の記憶や対話の一部を担ったことで、人間の「思考」を支援するために「情報の道具(ソフトウェア)」もデザインの対象となったのだ。その世界には、人間と道具の触れ合い(ヒューマン・マシン・インターフェイス)、人間と道具の関わり合い(ヒューマン・コンピュータ・インタラクション)、人間と道具の間で交流する情報を整理し分かりやすく伝える(インフォメーションアーキテクチャ)などの能力が必要だった。しかし「関わり合い」や「分かりやすさ」などは物質として目に捉えて触ることは不可能だった。興味深いことに、物質文明の結晶であるコンピュータによって「有形」以外=「無形」でのデザインの成立とデザインの対象が「目に見える世界」=「物質世界」から「目に見えない世界」までの拡張を示唆した。
このようなパラダイムシフトはコンピュータと情報通信分野だけに起こったのではない。例えば広告の分野では、1991年のアメリカでデイビッド・アレン・アスカーが『ブランド・エクイティ戦略』を提唱した。消費者が抱く総体としてのイメージ(ブランド)に対して無形の資産価値を見い出した運動として評価される。デザインの教育分野では1980年代にドイツやイタリアの大学で、サービスデザインというデザイン教育がスタートする。その後、新しいデザインアプローチとして世界各国へ広がっていくことも、デザインの対象が「有形(モノ)」から「無形(コト)」まで拡張していった過程として見てとれる。

目に見えない世界の形

デザインの対象が「目に見える世界」であれば、デザイナーはその目的を達成するための人為的な「形」を描けば良かった。例えば、椅子をデザインする場合デザイナーは人間の体をデッサンを通して観察し椅子の「形(形状・外観)」を描いた。しかし、デザインの対象が「目に見えない世界」だった場合の「形」とは何を意味するのだろうか?
心理学者J・J・ギブソン著の『生態学的視覚論』では視知覚のメカニズムを「見ている自分」と「見ている対象物(環境)」の間で起こる関わり合いであると主張する。ギブソンの視覚論を下敷きに考えると、デザイナーが描いた椅子の「形」というのは、人間と椅子の間で起こる「座るという関わり合い」を描いていることに気付く。関わり合いはダンスのように物質としては存在しない。ダンスに触れようとすると踊っている人に触れてしまうように「無形」としてそこに存在するのである。
したがって、デザインの対象が「目に見える世界」の場合は形=「形状・外観」であり、デザインの対象が「目に見えない世界」の場合は形=「関係性・関わり合い」と定義できる。つまり、デザインの対象が「目に見える世界(有形)」から「目に見えない世界(無形)」まで拡張したことは、デザイナーが描く形が「形状や外観」から「関係性・関わり合い」まで拡張したと考えられる。これは言葉の拡大解釈ではなく、デザインに求められる期待値が増大しと捉えたほうが正しい。

視点に紐づく自分の存在

観察者のいない観察がありえないように「形」は「視点」と強く結びついている。例えば、今このブログを見ているあなたには必ず「視点」が存在する。「視点」が存在しているからこそ「形」を捉えらことが可能なのである。つまり「形」がそこにあるという裏側には「“私が”・“いつ”・“どこで”・“何を”・“どのように”」見たという「自分の存在」があるということだ。
デザインの対象が「目に見えない世界」まで拡張したことで「形」の概念も拡張した。「形」とは「関係性・関わり合い」であり、着目すべきは「形」を捉らえる「視点」は「自分の存在」と結びついていることだ。したがって、どんなデザインにも必ず目的があり、それを達成するために「形」が与えられるならばデザインの目的を「自分の存在」と結びつけることになる。この「自分」という見解こそ「エクスペリエンス」を捉える鍵概念なのだ。デザインの目的として描かれる「形」とは、自分が対象物を利用する(関わり合う)体験(エクスペリエンス)に他ならない。その体験(エクスペリエンス)を描く手段として「物語る」という方法を採用するのである。

“シナリオライティング、ストーリーテリングなど呼ばれる方法は、語り手の存在が常にその主語において示されているという意味において「エクスペリエンス」の表現に適している。”(須永剛司,2002)
2002年5月1日に発刊した雑誌『AXIS』vol.97の特集から一部抜粋

エクスペリエンスの描き方

須永先生が絵を描くために入学した美大生に対して「作文を“描け”」と指導していた理由はこれだったのだ。「物語る」ことで主体的に届けたい想いや価値などが文脈として表現され行間で伝わる。テキストには直接表現されていない筆者の想いを、行間として読者の頭の中で想像させ豊かに膨らますからだ。それゆえに単語を羅列するよりも相手の記憶に残りやすく理解しやすい。神話や昔話などで既に実施されているこの手法は、筆ではなく言葉で描いて「形」を表現するのだ。
そのような「物語る」で描かれた当時の作品がある。『Mobilogue “shibuya”』だ。2001年に発表されたこのデザインは女子高生をターゲットにしたサービスモデルであり、教室の中で行われる「あのお店知っている?」という対面でのコミュニケーションを街中でも可能にする。このデザインはインテルが主催する国際学生デザインコンペで3位に入賞し評価された。
この「物語る」手法を更に進化させて実践している企業がある。『Amazon』だ。Amazon創業者 ジェフ・ベゾスは、パワーポイントなどのプレゼンテーション用ソフトで作成した提案書を好まず、プレスリリースでの提案書を所望する。プレスリリースの形式にすることで「顧客目線」で文章が書かれ、新製品についての曖昧さや遠回しの表現は削られ顧客に提供する価値やコンセプトが明確となる。

“アマゾンの文化は独特だ。会議で、パワーポイントやスライドによるプレゼンテーションは行われない。そのかわり、6ページの意見書で要点を説明する。クリティカルシンキングを育むには散文形式のほうがいいとベゾスが信じているからだ。新製品ならプレスリリース形式で文書を作る。つまり、その提案をどのような形で顧客に提示するのかを形にするわけだ。”(ブラッド・ストーン,2014)
ジェフ・ベゾス 果てなき野望より一部抜粋

21世紀のデザイン

前述した通りデザインは単なる対象物の外観づくりではなくなり、人間と道具、システム、人間同士の関わり合いや質を構築することになった。そのためには、自分ごととして体験が物語れなければならない。20世紀のデザインは「目に見える世界」=「物質世界(実在世界)」を対象とするならば21世紀のデザインは「目に見えない世界」=「観念世界」と考えられる。観念を対象にするからこそ、主観としての人間の意識内容や思考の対象となる心的形象を描くのである。ユングの言葉を借りれば、生あるものの世界(クレアトゥーラ)こそ21世紀のデザインの対象であり、20世紀は生なきものの世界(プレローマ)だったと言える。

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参考文献
AXIS vol.97
情報デザイン 分かりやすさの設計 
創造性の宇宙 創世記から情報空間へ 
「ことば」を支えるアーティファクツの拡張と情報のデザイン 
ジェフ・ベゾス 果てなき野望
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