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好きなものを語るときに絶対にやってはいけないこと

僕がサンリオ沼にハマっておよそ1年半が過ぎたが、ここまでテレビやラジオ、取材といった様々なメディア媒体でサンリオの魅力を語らせていただく機会をいただいてきた。サンリオという素晴らしき文化をもっと多くの人に知ってもらいたいと思っている僕にとって、これはとてもありがたいことである。

そういったサンリオの魅力についてメディアで語らせていただいている時、いや、もっと言うなら普段から人にサンリオの話をしている時もそうだが、僕自身無意識的に気をつけていることがあることに気がついた。そしてそれは好きなものを人に勧める時に最もやってはいけないことでもあると思ったのだ(ただの押し売りや冗長な長話は論外として)。


それは好きなものの魅力を語りながら自分を出すこと。


好きなものの魅力を語りその素晴らしさを知ってもらいたいと思いながら「それを好きでいる自分」や「こんなに語れる自分」という自己満足的な感情が乗ってきてしまうと、結局伝わるのは自分の情報であり、本当に伝えなければいけない好きなものの情報をしっかりと伝えることができなくなってしまう。

つまり好きなものの話を人にするときは極力自分の個人的な感情は表に出さず、できる限り自分を殺して話さなければいけないのだ。まあ本当にその魅力を知ってもらいたいという想いがあるなら自然とそうなるものだとは思うが。

ただそうなった時に僕の場合は少々やっかいで、男で34歳にしてサンリオにハマり、何より元々の僕の雰囲気とサンリオ好きという違和感。それらの情報をまず処理しないことにはその後の話も入ってこない。ゆえにラジオのパーソナリティの方や取材のインタビュアーの方で元々サンリオに興味のない人は、始めはこの平井“ファラオ”光があのサンリオが好きというギャップの部分を面白がってイジってくれる(当然のことだ)。そして僕もまずはそのイジりに対して芸人としてしっかり応える。そこをしっかり処理することができさえすればあとはもう語るのみである。

そこからは僕自身が純粋にサンリオの素晴らしさを知ってもらいたいという想いで話を進めていくことにより、最終的には皆「サンリオって面白い!」という感想を抱いてくれるのである。逆にこれが最後まで「ファラオがサンリオ好きって面白い!」という印象のままだったらそれは失敗である。おそらく自分が出すぎてしまっていたのだ。

そうなると無意識ではあったがこれまではとりあえずほぼ成功であったと思う。クロミ様とのどうでもいい個人的な妄想話のようなことは聞かれでもしない限りしてこなかった。

そしてやはり思うのは、男女問わず皆必ずと言っていいほど人生のどこかでサンリオを通ってきているため、うっすらとはサンリオというものに興味を持っている人が多いということ。だからこそ僕がほんの少し背中を押す決め手になるようなサンリオの話をすることで、ほとんどの人が一気にサンリオに興味を持ってくれるのである。

さてそうなるとだ。ここからは少し話は変わるのだが、これまで多くの人が僕の話を聞いてサンリオに興味を持ってくれているという事実を考えると、やはりもっともっと広く多くの人にサンリオの話を伝えられさえすれば、世のほとんどの人を程度の差こそあれサンリオ好きに引き込むことも決して不可能なことではないような気がするのだ。


即ち今思いついた『全日本サンリオ沼化計画』をいよいよ本格的に実行に移す時が来たのかも知れない。


僕にとってサンリオとはロックンロールスピリットと同じく誰しもが心の中に持つある種の精神のようなものだと思っているが、まず実際に形としてのサンリオを好きになってもらい、それによって皆の心の中にあるサンリオスピリットをより強く呼び起こさせることができれば、きっとほんの少し世界は平和になると思うのである。

だから僕はこれからもサンリオの話をし続ける。話をすることで聞いてくれた人がサンリオに興味を持ってくれるのだから。勿論自分が出すぎないように気をつけながら。

まあそのためにはまず語る場を増やしていかないといけないのだが。


シンプルにもっと売れろってかおい。

気が向いたらお願い致します。サンリオ資金にさせていただきます。