幸福な食卓

ドラマ「アンナチュラル」にハマりすぎて、2年ぶりくらいに、誰に依頼されるでもなく、二次創作というものを書きました。最後まで無料で読めます。苦手なかたはご注意ください。

※3話までのネタバレがあります。
※中堂視点です。BLではないです。

*****

「死」というものを意識したのは、いつだっただろうか。

親族の通夜で嗅いだ線香の匂い。
通学路で見つけた老猫の亡骸。
ニュースで聞いた、近隣中学校での自殺の報。

10代までの中堂にとって、それは決して身近なものではなかったが、しかしすぐそこにあって、無視できない気配を感じさせるものであった。

医学部を志したのは、単純に「自分が賢い」ことの証明という認識でしかなかった。
身分を証明する利便性のために運転免許証をとるのと、同じ理屈である。

しかし、法医学者という道を選んだ理由は、自分でもよくわかっていなかった。
法医学者になることを明かしたときは、周囲にだいぶ驚かれたが、いちばん意外に思っていたのは、自分自身だったのだ。

今にして思えば、おそらく自身が感じていた以上に、その気配に惹かれていたということだろう。

法医学を修め法医学者――法医認定医になるには、通常の医師免許をとるだけではすまない。
研修医としての2年を終えた中堂は、日商医大の法医学教室に所属し、死体解剖資格、法医学教室での200例以上の法医解剖経験、学会での発表といった様々な条件を満たしていった。

たいして感謝されることもなく、同業の人間よりもはるかに低い年収で、もう生き返りはしない無数の他人の遺体にメスを入れ続ける日々。
他人から見れば「7K」と揶揄したくなる、酔狂な所業だろう。

しかし中堂からすれば、地位やら名誉やら医局内政治やらに踊らされて周囲のクソみたいな顔色をうかがっている有象無象と仕事するより、よほどマシだ。

そして少しでもぶっきらぼうな態度をとるとすぐに文句を言ってくる生身のクソ患者を診察するよりも、物言わぬ「彼ら」が隠していたひそかな声を聞きだすほうが、性に合っていたのだ。

生者よりも死者の出してくる問いをひもといていくことに、探究心を満たされていた。

純粋に、仕事を楽しんでいたのだ。

あの日、青ざめた夕希子の顔を見るまでは。

*****

死体のにおいというのは、要するに腐敗が進行する臭いである。

よく「死んだら終わり」と言われるが、法医解剖医にしてみれば、死はひとつの起点だ。

生命活動の停止ーー呼吸・脈拍の停止および瞳孔散大の三兆候が見られた場合、その人間は「死亡」したといえるのだが、そこから人体は「死体現象」と総称される変化を見せる。

まずは「死斑」。これは血液循環の停止によって血液が重力によって下部へと移動するために生じる。死斑の発現箇所を確認すれば、その死体が死後どのような体勢・着衣だったかということが見て取れる。

つぎに「死後硬直」。死の直後の死体は弛緩した状態になるが、時間が経過すると、関節も筋肉もどんどん可動性を失い、半日ほどで全身に硬直が回る。死体発見後、死亡推定時刻を判断するうえで、重大な材料だ。

他にも、表皮の乾燥、角膜の混濁、眼圧の低下といった事象が発生し、死体の見た目はめまぐるしく変化していくが、その間内部でも、めまぐるしい変化が起きている。「腐敗」だ。

腐敗は腸から始まる。死後数時間後には「腐敗ガス」が充満し、1日経つころには、下腹部が変色するまでになる。やがてガスは体液とともに皮膚を突きやぶり、凄惨な臭いを辺り一面にまきちらすことになるのだ。

どんなに損壊の激しい死体であっても淡々と解剖する中堂だが、死臭に関しては、3000体以上の遺体を解剖した今でも、決して慣れるということがない。むしろ夕希子の件があってからの8年は、死臭に対する感覚が鋭敏になったような気すらする。

においは概念的な穢れではなく、物理的な粒子だ。

だからもちろん、解剖時に身につけていた衣服を洗ったり捨てたりすれば、きちんと落ちる。

しかし、自分の体にまとわりついてきたそれらの臭いは、どんなに手袋をかさねても、全身をくまなく洗っても、決して消え去ることのない重たさで、心のなかに沈殿していくのだ。

冷静に死体に向き合えば必ず「正解」が見つかると思っていたころの自分は、なんと純粋だったのだろう。

夕希子がもたらした永遠の問いは、何年経っても中堂を縛りつけ、今でも目を閉じれば、あのときの彼女のにおいが脳裡に蘇ってくる。元気だったころの彼女がまとわせていた柑橘のかおりよりも、鮮やかに……。

じゅーじゅー。

じゅーじゅーじゅー。

「おい、」

じゅーじゅーじゅーじゅー。

「おい、」

「なんですか?」

じゅーじゅーじゅーじゅーじゅー。

UDI――不自然死究明研究所の所長室に、香ばしいにおいが充満している。

犯人は、中堂の同僚であり同じ法医解剖医の三澄ミコトである。

「なんですか、じゃねえよ。こんな夜中に何してるんだ、お前は」

「見ての通りです。肉を焼いています。七輪じゃなくて無煙ロースターですから、問題はないでしょう?」

「大アリに決まってるだろ。どうして所内で肉を焼いているんだ」

「食べたいからですね」

「家で焼けよ」

この上なく不機嫌な顔で言い放ったが、三澄はまったく動じない。

「自分の家で寝ないで所長室で寝てる人に言われたくないです。だいたい、これは中堂さんの責任なんですよ」

「はあ?」

突然の言いがかりに、傲岸不遜では右に出る者がいないと自負する中堂も、さすがに怪訝な顔になる。

「コンテナから助けてもらったお礼をさせてほしいのに、全然スケジュールをくれないからじゃないですか。この間裁判の後にバーベキューしたときも、何度声かけても外に来ないし……。仕方ないので、今日リベンジしてるんです。ふふふ、油断していたでしょう」

「リベンジって、嫌がらせだろもはや。肉くらい、食べたいときに自分で食べる」

「そんなことはわかってますよ。だから、これは中堂さんのためじゃなくて、自分のけじめのためです」

三澄は焼いたカルビをテキパキと紙皿に盛り、ソファから起き上がった中堂に差し出してくる。その唇はほのかにタレの色に照り輝いており、中堂が仮眠しているあいだに先に実食していたことも伝わってきた。見た目や口調に反して、実にずぶとい女である。

この女のことだから、今日中堂が肉を食べるのを拒否しても、しつこく挑戦してくることだろう。コンテナの件でも先日の裁判の件でも、引いてみせたかと思いきや突拍子もないふるまいを繰り出してくるので、さすがの中堂もだいぶ面食らわされた。

(しかたねえな……)

においを嗅いでいるうちに空腹を感じてきたのも確かなので、不本意ながら皿と箸を手にとり、仏頂面で肉を口に入れる。

もぐもぐもぐ。

「このお肉、ふるさと納税でもらったものなのでなかなか美味しいですよ。宮崎県のちいさな町の返礼品なんです。3万円コースですよ、3万円コース」

じゅーじゅーじゅー。

「一人で食べるには量が多いんだけど、みんなを呼ぶほどの量でもないしなあと思っていたので、ちょうどよかったです。最近は楽天とかで簡単に申し込みできるんですよ。便利ですよねえ。確定申告の手順だけ、心配なんですけど」

じゅーじゅーじゅー。

もぐもぐもぐ。

「野菜も買ってきたので、食べてくださいよ。今かなり高騰してますから。中堂先生の顔色がいつもなんとなーく悪いの、たぶん野菜不足ですよ。医者の不養生はよくないです」

「……医者っつっても、死人相手だから問題ないだろ。別に病気をなおしてるわけじゃなし」

思わず、応酬してしまった。

「そりゃそうですけど、ご遺族とは面会するじゃないですか。ただでさえ『7K』って言われてるんだから、少しは印象をよくしようと頑張りましょうよ〜」

もぐもぐもぐ。じゅーじゅーじゅー。

「俺の印象は俺の印象であって、お前に迷惑はかからないだろ」

「なーに言ってるんですか。先日の坂本さんの件をもうお忘れ?」

「……っ」

それを言われてしまうと、さすがの中堂も強気に出られない。

中堂の不機嫌に耐えかねた検査技師たちが次々とやめ、最近やめた坂本についにパワハラ訴訟を提起されそうになったところを、三澄に助けてもらったのだ。

ちょうどそのとき三澄がかかえていた裁判を中堂がサポートすることが交換条件だったとはいえ、中堂にとっては今でも片腹の痛い出来事だ。その後も新しい検査技師が入ってこず、三澄の解剖の補助を命じられているのでなおさらである。

「それについてはクソ反省してる」

「反省してる人は『クソ』って言いませ〜ん」

「…クソ」

人と向かい合って食事をするのは、一体何年ぶりだろう。

そもそも医者の仕事は勤務時間が不規則なので、同僚と日々時間をあわせて食事をとるのが難しい。解剖でも診察でも各自のペースになるから、手のあいたときに食事をとることになる。忙しい人間だと、昼に空腹を満たすと脳が働かなくなるので、最初から一日2食にしているという人もいるくらいだ。「腹が減っては戦はできぬ」とは言うが、腹を満たしすぎていても仕事に支障が出るのである。

中堂もそのタイプなので、朝からガツガツと丼を食べている三澄の姿には、若干胸焼けを感じていたし、気が合わねえなと思っていた(むろん、中堂が気が合うと感じる人間というのはほとんど存在しないのだが)。

気が合わねえなと思っていた女だが、数ヶ月一緒に仕事をしてみると、印象の変わった部分も多かった。

裁判の件は、特にそうだ。

理想論や自分の正義ばかりを並べ立てて、それでうまくいかないと泣き言を言うたぐいの人間が、中堂は本当に嫌いである。当初三澄もそういうタイプのクソ女なのだろうと思っていた。

しかしよくよく接してみると、三澄には、理想論や自分の正義を通すためにむしろ搦め手を使うことをいとわないという柔軟さがあった。クソ面倒くさい女であるという評価には変わりがないが、中堂の足を引っ張るようなことはないので、中堂としても一定の尊重をしているつもりだ。でなければ、コンテナと一緒に貯水池に沈むのを、助けてやらないという選択肢もあったわけである。

自分も含め、もともと法医学者を目指すような人間というのは、変人ばかりである。しかし、三澄のバランス感覚には、単純に「変人」であることとは異なる特殊性があるように思う。おそらく久部が以前閲覧していた三澄の論文――浦和市の一家無理心中事件とかかわりがあるのだろう。予想はついているが、詳しく調べるつもりはない。

じゅーじゅーじゅー。

「ほら、焼けた肉とってくださいよ」

「……」

心の中で「詳しく調べるつもりはない」とつけくわえたものの、それはつまり、すでに三澄についてずいぶん気にかけている自分がいるということだ。もちろん、「赤い金魚」の手がかりを探すうえで、利用できるかどうかを考えている……というふうに言い訳することもできるのだが、そうではない、というのを自分でもわかっている。

他人に関心を持って得をしたことなどない。他人に興味を持たれるリスクを減らすうえでも、まず自分が周囲を詮索しないことが大切だ。

それなのに……これは自分の中のラインを明らかに越えているな、と思う。

非常に落ち着かない。中堂にとっては、余計なノイズだ。

今も、焼肉のタレでてらてらと光った唇が、やけに気にかかってしまう。

(……クソ)

「お前、いつも何か口に入れてるくせに、よく太らないな」

「そりゃ〜よく働いてるからですよ。中堂さんの2倍は働いてます!」

「2倍働いても、俺の解剖件数に追いつくには100万年はかかるから無駄だ」

「ひどい!」

「だいたい、解剖こなしてるっていうよりは、法医がやらなくてもいい雑用までやってるからだろ。自分の仕事終わったら早く帰って東海林と合コンにでも行け」

「私が本気を出せば、別に合コンに行かずとも彼氏くらいつくれますから!」

「はっ」

「鼻で笑った!ひどい!」

人とものを食べていると、どうしても、夕希子と食卓を囲んでいたころを思い出す。

もう取り戻せない時間が今でも心の大半を占めているくせに、自分は何をしているんだろう。

こうして時々他人としゃべったり、笑いあったりしても、あとで自己嫌悪におちいることはわかりきっているのに。

でも。

じゅーじゅー。

じゅーじゅーじゅー。

「この肉、たしかにクソおいしいな」

「ちょっと、話そらしましたね?」

たしかにふるさと納税3万円コースの肉は美味しくて、ほんの少しだけ、あの臭いを忘れられるのだ。

*****

この後はそれほどのことは書いてありません。感想をなんらかのかたちでいただけると大変うれしいです。

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実はPixivにも同じものを投稿してますが、完全に同じものなので、探さないでください。

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