会社のきちんとした女の子にあこがれていたのに

私が働いている会社には女性社員が100人ほどいるのだけど、
廊下ですれ違うたびに「今日もきれいだな……」と思う数人がいて、
その数人の一人が彼女だった。

ととのえられてツヤツヤした髪の毛はなんとなくいい匂いがするし、
先端は肩上で丁寧にカールされている。

日によって手を抜いている……ということもまったくなく、つねにきちんとフルメイク。
眉はきりっとととのえられ、目元にはほんのりラメをはたき、唇にはいつも上品なローズカラーの口紅をひいている。
若さを生かしながらも落ち着きを感じさせる雰囲気だ。

私とそれほど身長が違うわけではないけれど、
すらっとした背すじをピンとのばして歩く姿がいつも心地よく、
タイトスカートからスキニーパンツまで、脚線美をさりげなく
生かしたファッションがとても似合っている。
内勤中はクロックスを履いているようだが、出勤時はいつも、
きちんとヒールのあるパンプスを着用している。

すれ違うだけでも
「今日もきちんとしているな〜」
「おしゃれなネックレスしてるな〜どこで買ってるんだろう?」
「あ、髪を少し短めに切ってる。美容院どこ通ってるんだろう?」
「新しいカバンなのかな? すごいシックで似合ってるな〜」

と、ついまじまじと観察してしまう相手が同じチームに配属されてきたのが、去年の9月。

歓迎会で仲良くなりたかったけど、「いつもきれいだなと思ってたよ!」と話しかけるのもおかしいし、考えたすえについた言葉は「あ、増田さんって26歳なんだね。私より2つ下とは思えないくらいしっかりしてるね」という凡庸な内容で、彼女はそれでもニッコリして「先輩こそいつもかわいいお洋服を着て若々しいので、もしかして私より若いのかも……?とか思ってました(笑)」と返してくれた。そうか、私ばかり彼女のことを見ているのかと思っていたけど、彼女のほうも私を認識してたんだ。ちょっと恥ずかしい……。

言っておくが、私はめちゃくちゃオタクだし腐女子だ。

でも、周囲にオタクや腐女子であることがバレてもいいやと思っているし、趣味を最優先に生きてきたので、身だしなみは後回しにしてきた。

オフの人間関係でも、休日は一人BLを読みふけりPixivを回遊してはオンリーイベントに出陣しているオタク女だとオープンにしているが、特に迫害されることもない。女子校時代の友人なんかからは「あんた素材はいいんだからライザップにでも行って体重落として身なりをきちんとしたら彼氏できるよ?」と諭されることもあるけれど、自分の素材がいいなんて一度も思ったことがないし、仮に自分の素材を生かすために使えるお金があったとしても、迷わず推しのグッズや同人誌に投資してしまう。新しい服を買うときは、オンリーやファンイベント、オフ会のためだ。

今の会社はIT系だし、ソーシャルゲームの部署もあるからオタクも多い。比較的自由な服装がOKな気風で、男性エンジニアなどはアニメキャラのTシャツで出勤したりもしている。それでもうちの部署は比較的外回りが発生するので、「会社の一員としてどうみられるか」「年相応の落ち着きを伴っているか」は多少意識しているけれど、もともとのセンスと素材が微妙なので、あんまりうまくいってない気は……うっすらしている。痛ネイルをしたくなっても、コアなファン以外にはわからないくらいの意匠になるよう気を使っているし、買ったばかりのアニメキャラのアクリルストラップをめいっぱいカバンにつけたくても、平日は1〜2つに抑えている。彼氏ができたことがない点についてはさすがにどうにかしようと思っていて、最近婚活アプリを始めたが、今のところ成果はない。オタクは忙しいのだ。

正直、いまの自分の生活に満足しているし、他人に「◯◯さんって腐女子ですよね? やっぱり(笑)」とやや嘲笑気味に言われても、事実なので傷ついたりもしない。それでも隣にきれいな人がやってくると、かなり気後れしてしまう。同じチームではあるが直属の上司部下というわけではないから、そんなにかかわらないはずだけど。

かかわらないはずだと思ったのだが……その予想はすぐに覆された。なんと、ある日参加したオンリーイベントで、彼女の姿を見つけたのだ。イベントでの彼女は痛バッグを小脇にかかえ、多少オタクみのある格好をしていたが、すぐにわかった。嫌がるだろうなと思いつつ、月曜出社してすぐに、「増田さん、もしかして〇〇ってアニメ好きじゃない? この間のオンリーイベント出てなかった?」と話しかけてしまった。私のアクリルストラップを凝視していることがあるな〜とは思っていたのだが、まさか同じCPだったとは……。

「気づいたにしても本人に黙ってろよ!これだからデリカシーのねえオタクは……」と思われる可能性も高かったが、こんなにきれいな人が同好の士だったという興奮が勝った。次のオンリーにも行く予定だったから、彼女のほうが私に気づくこともあるだろうし。彼女は押し黙った後に認め、「ぜったいに内緒にしててくださいね。ランチおごりますから」と、私を初めての二人きりのランチに誘ってくれた。

「えー、〇〇好きな人、うちの部署にも結構いるよ。一緒に話したかったな」
「会社で、趣味の話をするつもりはないんです……。すみません」

きちんとした身だしなみとピンと伸びた背すじに違わない、硬派なスタンス。「会社でも同じジャンルのオタクと話せるなんて!」と興奮していた我が身を深く恥じた。それでも彼女のことを知りたい気持ちが増すばかりで、「でも増田さんっていつもおしゃれで爪先にまで気を使ってるし、全然オタクだと思ってなかったから、オンリーで見たときはびっくりしたよ。会場ではたしかにいつもよりもラフな格好だったけど、やっぱり周りに比べて垢ぬけてたもん」と、別に言われ慣れているだろう薄っぺらい褒め言葉を並べてしまう。

「実は増田さんのところのサークルの本、いつも買ってるんだよね。私が行くときは売り子さんがいることが多かったから気づかなかったんだな。表紙とか装丁もやっぱおしゃれだし、二人の気持ちの流れが丁寧に書いてあって、本当に好きなんだよね……書いている本人といっしょに働いてるなんて、すごいうれしいな」

すると、最初は頑なに見えた増田さんの表情が少し和らいできた。

「見栄っ張りなので、『やっぱオタクだからダサいんだ』みたいに見られたくないし、オタクだからこそ人一倍身だしなみにも同人誌のデザインにも気を使ってますね。彼氏にも、『え、オタクだったの!?』と驚かれることが多いです」

「徹底してるなあ……。私、ここだけの話、ずっと女子校育ちで、彼氏できたことないんだよね。それもあってあまり人の目を気にしてこなかったな。ファッション誌もきちんと読んだことなくって、今まで少女漫画で読んできたかわいい女の子のイメージとか、そういうのをごちゃごちゃに取り入れてこの年齢まで来ちゃった。自分に全然合ってないのかも……とは思いつつ、オンリーとかライブに行ったら似たような服着てる同年代の人もたくさんいるし、まあいいかな~ってスルーしてたんだ。でも、増田さんの話聞いたら、ちょっと自分もがんばろうかなと思ってきた」

「見ていてかわいい服と、自分に合った服って違いますもんね。もちろん、『自分がテンションの上がる格好』も大事だと思うんですけど、『人は見た目が9割』という本もありますし、少しだけ自分の好みを譲歩して人にどう思われるかを考えながら暮らしてみると、思いもよらない反響があったりして、楽しくなりますよ。自己表現は、同人活動ですればいいんですよ」

「増田さんすごい……。そりゃ仕事もできるわけだよ」

「いやいや、見栄っ張りなだけなので……」

そこまで聞いて、私は思い切ってお願いをすることにした。

「ねえ……もしよかったらなんだけど、私の服装についてちょっとアドバイスに乗ってもらったりはできないかな? 実は、最近思い切って婚活アプリに登録したんだけど、全然マッチングしなくて……。素材がアレだからしょうがないかもしれないけど、増田さんの話聞いて、もう少し頑張る余地がある気がしてきた」

増田さんにしてみれば、まさかの展開だろう。なんでそんな面倒な頼みを引き受けないといけないんだ……と思ったかもしれない。私も、ランチに誘われた時点ではさすがにそこまでお願いするつもりはなかったのだが、増田さんと個人的にかかわりたいという気持ち、増田さんの隣にいて少しでも恥ずかしくない見た目になりたいという気持ちが高まってしまったのだ。

断られる可能性のほうが高いと思っていたが、増田さんは「私でよければ……」と応じてくれた。本当に素敵な人だ。

それに……「別に毎日楽しいしこのままでいいや」と思っていたけど、自分がもっさりしていることは十分自覚していたし、元の素材がいいのだろう増田さんですら日々努力していると聞いてしまった以上、私もやるだけやってみたい。

急激にテンションが高まってきた私に、増田さんがちらりと釘を刺す。

「その代わり、ちょっと厳しい意見も言うと思いますし、運動とかもしてもらいますよ? お金もかかると思う」

「え、運動?」

「ファッションには体形も大切です。今の体形にあった服装を選ぶのでもいいですが、彼氏を作るのが目的なんですから、体形とか髪型とか、ふだんの過ごし方から見直したほうが絶対にいいです!」

「そこまで親身になってくれるなんて……。精いっぱいがんばるよ!」

結論として、私はきちんとミッションを遂行した。増田さんがいい教師だったということなのだが、この9カ月、ずいぶんと頑張ったと思う。

体重は7kg減ったまま週2のジム通いで維持しているし、髪の毛は増田さんも通う美容院できっちり整え、清潔感のあるボブスタイルにしてもらった。自分ではさりげない程度だった痛ネイルも、「許容範囲と考えてるのかもしれませんが、完全にオタクっぽいデザインですから!」と指摘され、自分でピンク系のワンカラーをポリッシュで施すようになった。メイクも、適当に買ったプチプラの集合体を一つずつやめていき、人生で初めてデパコスなるものを購入した。デパ地下を通り過ぎるたびに見かけるBAさんたちのことは「美しくてちょっと怖い……」「私なんかが話しかけても鼻で笑われるのでは」と思っていたのだが、増田さんが同行してくれたので乗り越えられた。「この人、今使ってるファンデの色味がちょっと合ってないと思うんですよね。年齢もふまえつつ、スキンケア〜ファンデまで、アドバイスいただけますか」などというように、テキパキと要望を伝えてくれ、いろいろなブランドのBAさんから顔に合ったメイクのアドバイスを教えてもらった。

服も、既存の安っぽい服のほとんどはメルカリで売った。フリルやレースのついた服、アシンメトリーのスカート、個性的な柄のワンピースなどが上級者のたしなみであること、サマンサベガのバッグはどう考えても年齢に合わないこと、などを伝えられ、休日に恵比寿のアトレにいっしょに赴いて、増田さんも買っているというブランドで、シンプルで使い勝手と質のいい服をコツコツと集めていった。

「きちんとしたプロがトータルでアドバイスしたらまた違う結果になるかもしれませんが、少なくともこの8年ほど見栄をはりつづけてきた私の基準でも、とてもきれいで素敵ですよ」

途中食事制限や運動がしんどい時期もあったけれど、増田さんがこまめに褒めてくれたので頑張れた。実際、前より鏡を見るのも楽しくなったし、つづけている婚活アプリでも、マッチングして食事デートくらいまではたどり着けるようになってきたのだ。

肉体とファッション改造をしてもらううちに気づいたのだが、たしかに私、思ったよりは素材が良かったらしい。「笑うと、大島優子さんに似ていますね」と増田さんも言ってくれる。

「ただ、相変わらずコミュニケーションスキルが低いから、結局アニメやマンガか、仕事の話しかできなくて、あんまり話が弾むところまではいっていないんだよねえ……練習あるのみかなあ……」

正直、自分ではもう婚活アプリなんてどうでも良くなっている。増田さんが指導してくれた成果が世間にも評価されていることがうれしい反面、出会った男性の誰もかれもがピンとこず、疲弊している自分にも気づいてきた。

しかし、増田さんに指導をお願いした当初の建前は「彼氏をつくること」だ。せっかく増田さんが苦労してくれたのに、「もう満足」と勝手にやめるわけにはいかない。増田さんが自分からアニメやマンガの話を振ってくれると、うれしくてそちらの話にうつってしまうのだけれど、本当は、もっと頑張らないといけない。

頭ではそんなふうに思っていながらも、私は考えている。もっと増田さんに褒めてもらえるには、どうしたらいいんだろうということを。一緒に街を歩いても恥ずかしくない女でいるために、どうしたらいいんだろうということを。

この気持ち、一体なんなんだろう。

=====

【あとがき】

ここから先は

264字
この記事のみ ¥ 100

いつもありがとうございます。より良い浪費に使います。