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誰か一人でも聴いてくれる人がいたらいい

「誰か一人でも
聴いてくれる人がいたらいい」

地元の喫茶店から
毎週、stand.fmで
様々なゲストを招いて
様々な雑談をする、
店主の友人が始めた番組が
100回の放送を迎えた。

いろんな身近な友人も出演して
喋っているし、
僕も気分次第でちょいちょい聴いている。

2022年の3月に
僕も出演して、
ラジオのBGMには
僕の作曲、編曲した曲が
いつも流れている。


僕も・・・
今、確認してみたら
ツイキャスで週2回、
どこかの心地好い野外で
ウクレレを演奏して歌う
「ライブ配信」を自分に課して、
128回、放送しているみたいだ。

「誰か一人でも
聴いてくれる人がいたらいい」

これはその
100回放送を迎えた
喫茶店の店主が言っていた言葉だけど、
僕も
本当にそう思う。

僕のツイキャスで
「見てるよ〜」って
コメントくれる人は
僕が記憶している限りでは
5人程度だろう。

コメントがあってもなくても、
だいたい、リアル視聴者は
1〜2人程度。

それでも、
いや、だからこそか、
視聴者が0人の時、
どこに気持ちを向ければいいのか
わからなくなる。

心地好い青空の下、
もしくは小雨の降る中、
公園に見つけたあずまやで、
そこで気分に見合った
詩を歌っている。

********

僕はこのコンセプトが
気に入っている。

ずっと前から。
東京のライブハウスで
バンドで演奏していた
2000年初頭から、
多摩川の河川敷で
一人で演奏している時が
一番気持ちよくて、
一番届けたい瞬間を奏でている。

そう想っていた。

そんな日々を思い出すと、
こうして
独りで河原に立って、
その瞬間を何処かの誰かに
お届けできることは
夢が叶ったような感覚だ。

*********

「独り」をお届けする意識でも、
やっぱり
カメラは意識してるんだよね。

今、誰も聴いていないとわかると
カメラを立てて、
カメラに向かって歌っているのが
アホらしくなって、
集中力が散漫になったりする。

「ひとり」の「練習」であるなら
演奏のミスで、
途中で演奏やめたり、
歌いなおしたりしても、
何の問題もない。

でも
そんな姿を「OK」にするのは
やっぱり
僕にとっては「NG」
なんだよね。

最初の頃は
誰も見ていないから
ついつい
雑な演奏になってしまい、
誰も見ていないから
途中で止めて
削除してしまった動画もある。

********

それでも
このnoteのコメントや、
ところどころで
たまに、
「リアルではなかなか時間が合わなくて
見れないけど、
アーカイブで見ているよ」
との声を聞くこともある。

僕はやっぱり、
今のところは
アーカイブを消したり、
鍵をかけたり、
有料にしたり。

そこまでのシステムを
考えるほどの
タイミングではないし、
そんなやり方を研究する前に、
もっと多くの人に
届いていたらいいなぁ・・・

そう思う段階だと思っています。

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「一人でも
聴いてくれる人がいたらいい」

豆岳さんは
そんなことを言いつつも、
ローカルに
多くのリスナーをゲットしている。

それは
そういうコンセプトだから。

どんなことを表現するか
ってより、
人の繋がりを表現するのが
このラジオのコンセプトなんだよね。

対象は地域限定だけど、
その地域の名前のタグで
多くの興味のある人を惹きつけている。

僕も聴いていて、
様々な個性の出演者の
様々な心持ちを話されている後ろで
僕の作曲した音楽が
流れていることは
とても嬉しい。

冥利に尽きる。

でも、僕が、
たくさんの
「いいね」「高評価」「チャンネル登録」
「再生回数」「収益」
を求めて、
こんな社交的な番組をやったって、
僕の選んだコンセプトには
あまりプラスにはならない。

いや、
かつて、
そんなプラスをゲットするために
音楽事務所から
月一のラジオパーソナリティを
課せられたことがあって、
経験させてもらったおかげで、
僕は
公共の電波で、
当たり障りなく、
みんなが興味あるであろう
「芸能」や「スポーツ」に
話題を寄せることが
どんなに苦痛で、
つまらないことかを経験できたのは、
まぁ、今に至る
プラスの経験だったのかな?

僕にとって
「興味のない世間」を話す、
興味のない世間に
身を寄せてしまったら
何も僕が望むものは得られない。

対象が違うんだよね。
どんな人が対象か?って
そこに寄せるのが違うんだよね。

僕は「戦略」やプロデューサー的に
地図を整えるのが苦手。
多分こうしてnoteで
ブレインストームするくらいが丁度いい。

それよりも
心地好い「自分」で在れる時に
出逢える人が、世界が
対象です。

***********

だから、
今、想っていることを
何の忖度もなく書けているnoteや、
「集客」や「収益」を気にして
社交性を要求される
「イベント」や「LIVE出演」より
自由な表現が出来ている
「ツイキャスLIVE」が

今は一番、人生でハリのある時間・・・
なんです。

こんな「自分」で
これからの人生が
開かれていったらいいな。

なんて夢見ているんだけど、
なかなかこんな内向的な「自分」で
「外交」するのは
コンフリクトしますね(笑)。

こんな「自分」で
ライブ演奏活動が拡がればいいな
なんて夢見てる。

「100回記念」を
もっと大々的に謳えばよかったかな・・・

いやいや、
やっぱ僕は
「クリスマス」とか、
「誕生日」とか、
記念日にはしゃぐのは苦手。
好きじゃない。
そんな「自分」が演れた
いつかの達成感は憶えているけど、
それを経て、
やっぱ今はいいや。

柄じゃない。

**************

みんな、
僕にとって全く興味の湧かないことに
なんでこんなに盛り上がれるのか
不思議だ。

久しぶりに大阪の街を歩いて、
あちこちのお店に
行列ができていて、
「みんな、これらのお店に
並んでいる何かが欲しいんだ!?」
と不思議に思いながら、
僕は通り過ぎていった。

*************

「みなさんお誘い合わせの上・・・」
と、枕詞のように使われる
このせりふのように振る舞える
僕で、音楽を聴きに来てくれたら、
いろいろ拡りを持つことは出来るだろうけど、
僕の特性か、
僕は、僕の「自身」で感じる感覚を
大切にしたいので、
素晴らしい!と感じる表現と
出会った時ほど、
そのあと「独り」になろうとしてしまうんだ。

だから
そんな表現を届けたい。

************

昨日、6曲全てのレコーディング音源の
調整、マスタリングを終えて、
ジャケットのイラストも完成させて、
各ストリーミングサイトへ入稿しました。

新作「暮らし、暮れゆく暮らし」は
2024年1月14日から
spotify等のストリーミングサイトから
配信されます。

今、思ったんだけど、
やっぱりnoteからのダウンロード販売も
やろうかな・・・。

先行でね♪

気持ちが熱いうちに、
noteからも聴けるように。
また後日投稿で!

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。