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時代は変わる②

前日のnoteでは
1938年生まれの父が生きた
ハタチ頃のメンタリティと、
1976年生まれの僕が生きた
ハタチ頃のメンタリティを
時代の気配と共に考察した。

父は日記に
「立派になりたい」と綴り、
僕が生きた時代は、
父の「立派」に相当する言葉は
「成功」ではなかったか?
と想ったのです。

父の育ったあの頃は
インターネットも、
まして、テレビも
その土地のお金持ちの家や、
商店街の電気屋さんに群がって
見ていた時代なのだろう。

お金持ちと貧乏人がいて、
お金持ちが貧乏人を
ある意味、養うような感覚が
当たり前のようにあった。

そしてそれに伴うトラブルも
当たり前のようにあった。

と、今の時代からは推測できる。

差別や排斥も酷かったが、
町や部落に、少しおかしな人がいても、
「あそこの家は"かたわ"だから」とか
「めくらだから」
とか言って、
しっかりと認識されていた。

********

父の青森の部落には
「人間の犬」と呼ばれる人がいたらしい。

僕や都会のお嬢様だった母は
「?」
だったんだけど、
どうやら、
お墓に亡くなった人を埋めて、
お供物を置いて、
そのまま帰ると、
「人間の犬」がやってきて、
綺麗に食べてしまうから
そのまま帰る。

「人間の犬」は
どこかの〇〇さんである
ということは
わかっているらしい。

ものすごい差別だが、
それが「事実」として、
みんな認識されていた時代が
不思議だ。

水木しげるさんの
「ゲゲゲの鬼太郎」が描かれた事実を
考えても、
オバケ、妖怪、鬼と
共に暮らしてた時代があった。
・・不思議。

↑先日、カックンちゃん
という人の話を知って、
こんな人が
白昼堂々、生きれて、
見守られていた時代を感じます。

・・・そして、
そんな人々が消えていった世の流れもね。

********

そんなふうに時代は流れ、
僕は生まれ、
そんな時代の流れと共に
生きた親の世代に
育てられた。


↑僕の生まれた時代は
こんな時代だったっらしい。

この頃はまだ
「正しい躾」とか、
大人はかくあるべし!
という教訓が提示されていたんだね。

そんな厳格な「教え」が
徐々に経済、お金の優位性に
飲み込まれてゆく。

または、かつては
一部の優位性を掌握していた人たちの創る
「教え」というプロパガンダが、
国民一人一人が
豊かになるとともに
掌握しきれなくなってゆく。

*********

そして、
教えに則る「立派な人」より
何かをひっくり返せそうな
「成功」を望む人が増え、
望める時代がやってきた。

そして、そんな僕らの時代は
まだ幼かった。
成功の「スタイル」があったからだ。

だからみんな、
奇抜な格好をして、
自分はどんな人かを主張した。

すいません、今、
不良ファッションしか思いつかないんだけど、
よく、あんな格好して
「カッコイイ」なんて若者文化があったもんだ。
と今、写真や映像見ると笑えます。

*******

そんな、かつての若者が
今、オジサンとなり、
「今」という時代を眺めている。

今の若い人たちは
若い人たちなりに
流行りのスタイルってのが
あるのだろうか?

それをかつての僕のように
煙たがったり、
馴染めなかったり、
相対化して接しているのだろうか?

でも、
冷静に考えて、
僕らの時代(1976年生まれ)のような
「画一的な傾向」ってのは
無いように想える。

デジタルネイティヴとか言われる世代が
今更、テレビなんて見ないだろう。

僕も2000年代から
徐々に見なくなって、
2010年代には
お店とかで流れてると
「つい見ちゃうよね」から
「不快感」に変わっていった。

確かなことなど何も無いのに
まるでそれが然るが如く、
正しくて、真実かのように
語られるプロパガンダの創りものに
嫌気が差す。

あ、その頃生まれた人たちが
今の20代なのか・・・

*******

ヘイトだとか、荒らしだとか、
炎上だとか。

僕にはけっこう縁遠いんだけど、
偏った意識でネット上を荒らすのは
意外と、若い人ではなく、
40代、50代の
いい歳こいたオジサンが多いと聞いた。

でも、
時代のキャラクターからすると
わかるよな・・・。

僕らは
画一的な価値観の元、育ってきた。
育てられてきた。
「流行」とか、
一つのランドマークを与えられて、
そこから相対的に
自分の立ち位置を測っていた。

「成功」という言葉の内包性が良い例だ。

********

僕も、
ひと世代若い人と話したりすると、
自分の「アツさ」と
若者の「醒めた視点」を感じる。

僕自身は
そのアツい時代に
居心地が悪かったんだけど、
相対化して、
被害者主張をする自分がアツい。

まぁ、パワハラするほどの
権力も組織もないから、
ただそんな自分を冷静に
感じただけなんだけど。

自分より
若い人の「世代観」が知りたい。

そしてもちろん
それは人それぞれであるだろうから、
「仲間」と出逢いたいね(笑)。

********

僕の父とは
「仲間」になれたかな・・・

本音に近づくほどに
なれただろうな。

父の車椅子を押しながら
今、微笑み、
全てが響き、鳴り続けてきた現実が
「今」なのだと
想うのです。

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