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「法」「理」には 従う身なのです

昨日、尺八奏者の神永大輔さんと、
二人でのセッションライブ。

本当に氣付かせてもらえる瞬間が満載で。

多くは今まで感じてきたことの
答え合わせをしているような感じだった。

なぜだか僕も
去年の12月に想い立って
尺八を練習している。

ディジュリドゥのような
循環呼吸で
最低音を鳴らし続けたいと想っている。

1音から導かれる、
竹の筒の響きの倍音から、
メロディを抽出したいな。

そんなイメージ。

そして、

循環呼吸が難しく、
継続的に音を鳴らし続けられたとしても、
その1音が、全然歌っていなかったり、
リズミカルに、
調子好く奏でられなければ、
誰かにおきかせすることはできないな。

そもそも
その意識で呼吸が乱れる。

乱れる?

そうか!
これは「瞑想」とか「禅」とか
メディテーションとか
悟りへの道とかの類の行為を
しているのでは?

と想っていた。

神永氏曰く。
「循環呼吸とかはやったことないけど、
どんどん普通に呼吸をするように
音を鳴らせるようになってきてる。
お喋りしてるとき、
呼吸なんて氣にしないでしょ?」

お〜!そう!
その域!

それは歌うとき、
確かにそんなに意識なんかしない。

もし、しっかり楽譜で
ブレスの位置を指定されたとしても、
それは必ず必然な場所に記してあるはず。

それは、己で確かめ、
変だと想ったら、
己の感覚を信じるべきであって・・・。

ただ、作者がどこの域でその音楽を創ったのか、
そこへ行ってみるのも興である。

 神永氏曰く
「息を吸うことより、
吐くことが大切」

・・なんか、聞いたことある。
実感したことある。

息が足りなくなることを恐れて
吸うタイミングばかり意識してると
アップアップの肩がせりあがる状態になる。
(僕はいつも自分の映像を見る度に
肩が上がってて反省する)

息は
吐き切ったと想っても、
まだ吐ける。

そして、
吐いた分、必ず息は
吸うように
身体は出来ている。

そして、音に身を委ねると、
絶対この場所で息継ぎしたくないと、
グッと腰に力が入り、
しっかりと立った声を
身体は出してくれる。

それはもう、
すいません、
ストイックな性分なもんで、
みんなに当てはまるわけがないのですが、
(妻にこの手の話をするとウザがられます(笑))

僕はこっちタイプだから
大丈夫なのです。
「法」「理」には
従う身なのです。

*************

そんなこんなで、
我が家に2泊していった大ちゃんも去り、
(じつは10年来の友達で、彼が有名になっていることも無自覚。
昔から才のある素晴らしい若者とは想っていましたが)
抜け殻になっているライブ翌日です。

街へオイル交換に行き、
公園で尺八を吹きました。

そうか・・・

僕は、
「拡げて開いて受け入れる」より
「集中して極める」方へ向かうタイプなので、
(野口整体の「体壁」を参照)
いつも胸がキュッとなって、
胸が強張ってる感じがしていたんです。

だから「ぶわっ」と
つい手を拡げる。

でもそれは
「外へ外へ・・・・」
というより
「拡げて集める」
という感じが強いのかもしれない。

だから、もしかして、
「拡げて、ほぐす」より、
身体をおもいっきり縮めて、集めて、
おもいっきり縮め、集め、
限界で緩める。

こっちの方が
ニュートラルに戻れるんじゃないかな?

なんて想ったりしました。

*************

地元の馴染みの友達から
遠くから来た「和楽器バンド」のファンの方まで。

大ちゃんは
「様々な人の音楽に
尺八の音で盛り上げていくのが好き」
と言っていた。

ここは、本当に言ったのか
僕のイメージなのか
思い出せないんだけど、
「尺八は自然と調和する楽器。
ならば人も自然。
ならばビジュアル系のロックバンドだろうと
何であろうと調和するはずだ」と。

そしてそんな彼が、
どんな人とも仲良く
調和していける。
と信じる。

そんな「元」、ルーツは素晴らしい。
だからこんなにもファンを得られたんだろう。

僕は、
あらゆる人の「好さ」を
感じ取ることができない。

人としても、
音楽人としても、
痛感して止まない。

だから、
音の響きにだけは
従いたいと想うんだ。

そこで
あらゆる人との
阿頼耶識でなら
通じ会えると想うから。

*************

ほとんど目を閉じていた。

「ちゃんと客席を見なさい」

いつかの誰かに叱られた
固定観念の声が聞こえた。

でも、

尺八の音は1本(プラスそこから響く倍音)
タイコの音は一つ(プラスそこから響く倍音)
そして声(プラスそこから響く倍音)

視覚の情報を処理しきれるほど
万能にはなれなかった。

そして目を閉じて
視覚のない音楽家で
素晴らしい人がいることを理解できた。

だからこれでいいんだ
と想った。

*************

今日、
録画していた音を聴いた。

どれも好かったけど、
3曲目の「チキュウウチュウ」で
ふと、
川の流れの音、
「コポコポコポ・・・」という音などの自然音に
耳を澄ましていると、
微妙な倍音が綾なされて、
何か歌声のようなものが聴こえてくるときを
想い出した。

それを抽出して、
メロディを紡ぐ。

それが尺八の音と重なった。

それは前日、
宇佐神宮へ参拝した後、
引き合わせた院内の笛作りの友人の
自作の尺八を吹いて現れた
いろんなご縁が綾なされている。

*************

また、大ちゃんと演奏するのが楽しみ♪

彼の九州北部ツアーは続き、
5/3に
英彦山越えた向こう側、
福岡県の田川に帰ってくる。

そのとき、
僕もまた行くつもりです。

また不思議なことに、
僕がただただ趣味で愛聴している
ポッドキャスト「コテンラジオ」の収録スタジオ、
「いいかねパレット」で演奏するというのだから
こりゃ行くでしょ♪

ありがたいことに
僕をゲストに設定してくれた。

う〜ん、
だいたい言いたいことは言えたかな・・・

ライブレポート、告知、
情報提供の執筆は苦手だぁ〜

だから徒然と書くnote。

情報としては2000字を超える長文。
最後まで読んでくれる人がいるなんて
有り難いね♪

最後に
僕のオリジナル曲でセッションした楽曲の録画だけを
リンクしておきます。

僕自身の備忘録のためにもね♪

笛を二つ、鳴らし合わせるのって
氣持ちいいね〜。


それと、
神永さんの独奏。
そのまえのMC。

よかった。

僕も「虚無僧」したくなった。
なかなか般若心経を覚える姿勢に至らないし、
読書とかも至らない僕で、
笛吹き、歩くだけの方が、
氣がつけばやってる氣がする。

*************

さぁ!

また明日から仕切り直しだ。

僕のライフワーク、レコーディングもがんばるぞ!

田んぼも始まるし、野菜もどんどん育ちおる。
子どももどんどん・・・

屋根のペンキも、
今年は塗り直さなきゃなぁ・・・


また書きます。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。