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映した世界が僕の心を映す

僕はこのnoteを
webという宇宙、大海に
放り投げて、
誰も読まないだろうけど、
誰かに届ける氣で
丁寧に書いている。

僕は
どちらかと言ったら
コミュ障とか、空気読めないとか、
鈍臭くて、会話も弾まず、
モテなくて、うまくいかない方の
人生を強調させて生きている。

なぜかというと、
今更うまくいってたまるか!
今更おだてたって
木に登らねーぞ!

あの時の自分を
否定したくないんだ。
あいつはがんばっていたんだ。
求め続けていたんだ。
「変わりたい」だなんて、
思っちゃいなかったんだ。

その証明に
今も演り続けてる僕が
ここにいる。

強くなりたい。

その理由は、
あの日々の「僕」を
救いたいのだと思う。

余計なお世話なのは
わかっている。
だから世話なんて
しないし、
出来ない。

そして…
僕を傷つけた
あいつも、僕も、
本当は、
赦して、和解して、
昇華、成仏させたいんだな…

そんなことに気付かせてくれる
涙を
先日流しました。

********

人生を切り拓きたい。
そう想って、
高校3年生の後半に、
千葉駅前で
ギターを持って歌い始めました。

進学も就職も
アルバイトもしない僕は、
実家を出なきゃダメになる。

そう想って、
横浜駅近くの
家賃3万風呂なしアパートで、
アルバイトを探しつつ
暮らしました。

バイト以外は
横浜駅前に行って
ギターを弾いて
歌っていました。

********

今思い返せば、
なんだかんだで
友達も出来た青春だったけど、
当時の気分としては
全然その「横浜の路上シーン」に
馴染めない僕でした。

「シーン」とか言って
ブランドしちゃってる時点でダサい。
迷った若者が、
たむろし、
音楽をするでもなく、
聴くでもなく。
(本当は路上なんて、
音楽をする場所でもないし、
しちゃいけない場所でもないことは、
わかっているんだ)

たぶん、
「俺はお前らとは違う。
調子ん乗ってんじゃねーぞ!」
みたいな
トンガッたオーラが
僕からも端々に出てたんだと思います。

お互いさまだよね。

誰かをダサいと想った僕は
とてもダサかったんだと想う。

********

そんな僕の「横浜時代」を知る、
同じ現場で歌っていた人と、
先日、京都で再会してしまった。

「僕、なんだか
おぼろげだけど君のこと憶えているよ。
いくつか会話交わしたと思う。
本音を言うと、
ちょっと苦手だな…と思った記憶があるよ」
って。

そんな彼が、
今、僕のLIVEを
横浜から
奈良まで観に来てくれたりして
大切に感じていてくれる。

「本音を言うと、
今、魚さんのこと、
かなり好きです」
と言ってくれている。

僕は
彼の存在が有り難くてたまらない。

********

このnoteというブログは
本当に「読もう」と決めた人しか
読んでくれないものと想定している。

今回のLIVEツアーで出逢った
幸せな御縁の数々も数あれど、
僕のこのnoteを読むところまでは
踏み込んでは来られないだろう。
と想定している。

かと言って
読まれないとは限らない。

********

その旧知の彼は、
どこかのタイミングで
このnoteを読まれるかもしれないので、
誤訳もされかねない文章に
なるかもしれないけど
彼とのことなら
むしろ誤解を恐れずに
ここに書き記したい。

********

彼は
厳つく、
かなりチャラいキャラクターの人だった。

僕はまだしっかりと
二十歳の頃に出逢った
彼のことは思い出せてないんだけど、
こんな人と出逢っててもおかしくないな。
こんな調子の良いタイプの人って
いたな…。

きっと、
何メートルか毎に、
ソーシャルディスタンスして、
お互いにギターを弾いて
歌っていたんだと思う。

その「彼」とは限らないけど、
同じ世代の彼らは、
調子が良く、
大人びていて、
口もうまいし、
経験も豊か…

二十歳そこらの僕らの言う「経験」とは
概ね女性経験ってことです。

彼らは
誰とでもうまく付き合える。

上手い下手かは置いといて、
流行りの曲を
リクエストされれば、
けっこう弾けたりする。

「〇〇っていいよね」
と、ちょっと通なミュージシャンを
推したりする。

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もしかしたら
そんな大人びた彼らに
憧れていたのかもしれない。

彼らに
褒められたかったかも。
眼中に入れてほしかったのかも…。

********

でも、嫌だった。

僕も卑屈であると同時に、
彼らも高飛車で、
鼻っぱしらが強かったんだと思う。

ようするに
お互い、若かったってこと♪

********

そんな
「言う言うやるやる」の彼らは、
次第に路上から消えていった。

メジャーデビューのチャンスを掴んだり、
何らかで人生を進展させたり、
もしくは転落させていったのかもしれない。

********

そして30年。

僕は僕で生きてきた。

彼らも彼らで生きてきた。

その再会した「彼」は
友人が僕のことを紹介したく、
もしくは
僕に彼を紹介したく、
友人との共演のLIVEに
連れてきてくれた。

********

彼は
昔の印象のまま、歳をとっていた。
(昔の印象を思い出してないんだけどね(笑))

というのは、
金も地位も名誉も、
自由も手に入れ、
やりたい放題生きてきた雰囲気だった。

そして、
それが祟ってか、
健康を害していた。

余命幾ばくとない状況になっていた。

延命するための
医療行為を断っていた。

思いっきり生きたんだから
それでいい!
と言っていた。

相変わらず
輝いていた。

そして先日、
奇跡の復活を遂げた彼と
再会した。

そもそも、今となっては
その「病み」の真偽も
僕にとっては「定か」なものでは
なかったな。
と、こっそり苦笑いしている。

嘘とか本当とか、
生きてるとか、死んでるとか、
僕らにはそんなどうにもならないことなんて
どうでもいいんだ。

********

彼は頭が良く、
行動力もあり、
破天荒で、
心遣いもよろしく、
仕事やらにも
才能を発揮して生きている。
…と想われる。

そもそも、
今も元気に生きている。

彼は早々、
路上で歌うことから去り、
冒険、経験を
積み重ねていったのだろう。

僕は鈍臭く、
同じ(土地は変わったりしたが)路上に、
その後も、
2〜30年、何なら今も時々、
何も起こらない路上に
ウクレレケースを前に置いて
唄っている。

そんなに僕が
そんな彼に認めてもらえて、
僕もしっかり彼を認めることが出来る。

彼の「豊かな人生」を
称賛し、
お互いに違う人生を
今、こうして分かち合っている。

********

僕には
「羨ましい人」がたくさんいる。…いた。

音楽活動、LIVE活動を
仕事とし、全国津々浦々にファンがいる人。

武道館とかを満員にしちゃう人。

お金をたくさん持っている人。

********

僕は何も手に入れることが出来なかった。

代わりに、奇跡的に、
好いパートナーと出逢い、
2人の子どもに恵まれ、
水の綺麗な田舎で、
田畑を耕し、
慎ましく生活を送っている。

********

羨ましい?(笑)

仕事が忙しく、
充実して、
離婚となるパターンの人もいる。

僕は、
仕事が忙しくならなかったから、
結果、愛しい家族と一緒にいる時間を
多く持つことが出来て、
何とか家庭が保たれている。

仕事が充実したら
大変だな。

仕事が充実したら、
実り多い、
充実した人生を送れるんだろうな。

********

ガンジーは
非暴力不服従で
あれだけ社会活動家として、
実り多い人生を送ったのに、
家族には冷たかったらしい。

********

与えられた人生を
しっかり味わって生きればいいよね。

まぁ、それしか出来ないよね。

それ以上のことなんて…
そこからしか歩めないんだから。

********

持っていない僕の周りには
持っている人がたくさんいる。

そして、
持っている彼らも彼らで
持ち続けることは出来ない。

人生には必ず
終わりが来るんだから。

持ってる人から
持ってない人へ
もったいぶっても
もったいないから

持ってるってことが
重たくなったら
持ってない人が
持ってくれるから。

もってるひと/ 平魚泳

僕は、
詩を紡いで
唄っています。

持っているのか
持っていないのか、
もうわかりません(笑)

「あいつ、持ってるよなぁ」って
羨む「想い」を持ってるし、
その羨むほどの満足を
そいつ自身が持っているのか
どうかってのは、
同じ器で測れるものではありません。

羨まれようが、
蔑まれようが、
「満足」は
自分で創り出すしかないし、

羨もうが、
蔑もうが、
その「想い」は
想った人自身のもので、
それを毒にも薬にも出来るんだ。

********

「彼」を映して
僕自身を見た。

彼と話して、
僕を放して、
彼も放して、
僕らは
より豊かな生命体となった。

********

豊かになりたい
欲望がある。

豊かであることを
確かめていきたい。

そんなことに
残りの人生を
使っていけばいいかね?(笑)

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。