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今、こんな世にいること

自分に合った生き方、
音楽活動の方法を
模索しています。

すごい時代になっちゃったな。
とも想うし、
こんな時代を
みんなは受け入れるのか〜(呆れ)。

千葉で、チェーンの蕎麦屋で、
マスク持ってなくて
入店断られました。

なんでこの暑い中、
一人で道を歩いている人も
マスクをしているのか?

なんでマスクして
素顔隠している人が、
(何かの営業でしょうけど)
積極的に話しかけることができるのか
わけわかりません。

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この大前提になってしまった現実を
踏まえずにはいられないんだけど、
これで話を拡げると沼なので、
今、考えているのは
「あっち側」ではなく、「こっち側」の話。

そして
「こっち側」にしても、
「こっちのみんな」の中にはいない感じ。

だいぶイベント事も増え、
人が集い、笑い、分かち合う機会も増えてきています。

大分の田舎で暮らす僕らは
いろんな場所で会うし、
いろいろやってるね♪

昨日の西千葉のブックカフェ「平凡」さんでのライブは、
店主含め6人、足を運んで来てくれた方がいて、
それこそまさに「有り難い」機会でした。

「在りたい態度」でいられた。
有り難いけど、
どんどん在り易い現実にしていこうと想う。

そんな文章です。

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人が多く集まるほど、
多くの人が関わり、
それは現実として「大事(おおごと)」になってゆく。

「事」を美しくこなすことが仕事となり、
それが大事(だいじ)になってゆく。

僕は・・・
多くの人に喜んでもらう事を
望んでいるのかな?

僕は・・・
そこで喜んでいるのかな?

そこに参加することを「良し」とするわけでもなく、
そこに参加しない、出来ない自分を
「悪い」とも、
気張って何かを主張するでもなく。

僕は、
僕が喜べる場所で、具合で、
心地好く居ること。

そこが大事だなぁ〜って。

そこに添っていけば
世が、好い仕事を
勝手に与えてくれるんじゃないかな?

そしてそれは
この世に於いての、
その時世に合わせた名詞が付くだけで、
この身、人生に於いての
大事な仕事は
「僕が喜べる場所で、具合で、
心地好く居る」と。

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ライブ活動も
そのようにしていきたい。

僕自身の態度次第だけなんだけどね。

でも「仕事が欲しい」と求め、
出来なくもないからと言って
自分のスキルを安売りしたり、
合わせたり、
しまいには「学び」だとか言い聞かせ、
自虐するのは
もうやめよう。

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いつでもどこでも音楽を奏で、
歌っていたいと想う。

それを「ライブ」という
イベントフォーマットに限定するか?
という考えが浮かんできている。

2年前、イベント事が
ことごとく自粛し、
お店が自粛し、
強制的に世の中が
リモートワークになり、
経済活動がオンラインへ。
移行できる人はしていった。

音楽などのエンターテイメント産業も、
苦肉の策か・・・
ライブハウスで無観客で
撮影、配信機材を投入して、
インターネット配信をする。

人が集まることで成り立つ
ライブ、コンサートの代替策なんだから
そりゃ辛いよね。

最近は聞かなくなったね。

みんなイベント活動を再開しているのでしょうね。

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人が集うことで成り立つ
ライブ、コンサートに
人が集まらなかったら
何が成り立つんだろう?

失って 現れる
見えていたものが
あらわになって
現れて流れていった

みんな夢だったように
何にもなかったように
在る

天から見れば

失くなったものは
どこへ行ったんだろう?
残ったものは
どこに在るんだろう?

ここで生きていく

強いものが残り
弱いものは消えた
失くなったものは
どこへ行ったんだろう

賢いものは去り
愚かなものだけが残った
失ったものは
どこに在るんだろう

早いものは終えて
遅いものは残った
終えて次はどこへ
おいて次はどこへ

愛されて残り
忘れ去られて消えた
想う人は今
どこにいるのだろう

愛する人は今
どこにいるんだろう

ちからめぐる

こんな想いの詩ばかり歌ってます。

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想い返せば、
東京に居た時、
それでもやっぱり土が好きだった。
木が生えて、
草の生える余地がある所が好きだった。

公園とかよく足を向けたし、
息苦しくなると、
身を隠したくなると、
多摩川の河川敷の
藪の茂みに踏み込み、
そこでタイコ叩いたり、
ウクレレ弾いたりしていた。

なぜか、その時、
自分としては
ライブハウスとかで意気込んで歌っているより
好い演奏が出来ているような
氣がするんですよ。
(今ほど演奏も上手じゃないけどね)

「この空気を届けたいな」
そんな想いが当時あったことを
最近思い出しました。

MDに、
河原の音や、虫の声、
風の音やら蝉時雨。
いろんな自然音を録音して、
PAさんに
「何曲目の何秒目くらいのところで流してください」
とか言って、
あの日の空気感を再現させようとした。

2001年から2003年にかけて
四季折々、
季節の味わい深い響きの場所へ行って
録音して、
CD-Rにして、売ってみたりもしていた。

その時の2曲がこちら

・・・あぁ、僕の特性がバレる(笑)

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mixiという、SNSというものが
ツールとなっていった頃、
「河原にいるよ」
と告知して、
イベントらしき事にしたこともあった。

これはダメだった。
僕には似合わなかった。
独りで河原にいる瞬間を、
その独りぼっちで世界を見ている感じを
届けたいのであって、
決して河原でお祭りをやりたいわけじゃなかった。

それも楽しいけどね♪

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ふと今、手元を見てみると、
このスマホという板で、
「ライブ配信」という事が
出来るようになっている。

「ライブイベント」の代替策となっていた
「ライブ配信」という手法、
もしかしてこれは、
僕にとってのやりたい表現の
代替策であった「ライブイベント」より
もっと届けたい事が届けられるかも・・・。

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「やっぱり生演奏はいいね」

そう言ってもらえると
非常に嬉しい。

スピーカーの音は楽器の音ではないよ。

マイクすらも使いたがらない僕は
大いにそう想う。

デジタルの情報だけじゃなく、
生の楽器の演奏を聴こうよ。

と想う。

*************

でも、
受け止める心は
人それぞれです。

自由に、都合のいい時に
好きなように受け取ってもらいたい。

受け取って、
それは誰かに与えられたものではなく、
自分の人生における感性に芽生えた、
「あなた自身の感覚」であると
抱きしめてほしい。

そしてまた、その芽生えた内なるものを
その人なりの表現で、
種を蒔いてくれたなら。


すると、
イベントで集まって、
集団の感性でエフェクトするより
お互い「独り」の感性で
届け、受け取れる今の社会・・・

すごくいいな。
と想うんです。

その感じで響き合える感じを
このnoteに感じて、
とても氣に入ってます。

アウトプットするにしても、
誰かのnoteを読ませてもらうにしても。

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で、超長文になりながらも
ようやく一番書きたかったこと。

noteのような手触りの
ライブ配信サイトってないかなぁ?

けっきょく1年半前と同じ意見なんです。

でも、以前より
もう少し、界隈を理解した上で、
それでもやるか!
と考えています。

減るものじゃないしね。

でも、Facebookライブとインスタライブだけでは
どうしても仲間内にしか届かない。
また身近な友達は
わざわざ何十分ものライブ配信なんて見ない。

「拡がる可能性」の目詰まり感があるんですよ。

ポコチャ、イチナナ、etc・・・
おしゃべりがしたいわけじゃない。
おしゃべりは極力控えたい。
ホスト、ホステス的な
コミュニケーションがしたいわけじゃない。
ゲーム実況したいわけじゃない・・・。

youtubeライブはチャンネル登録者1000人超えないと、
スマホからライブ配信出来ないし・・・。

いろいろ考えて、
FB、インスタに加え、
「ツイキャス」なるものを
やってみようかと、
アプリをDLして登録してみました。

noteもいろんな使われ方をしてるし、
コミュニティも無限だ。

ライブ配信サイトにも
僕の表現の居場所みたいの創れたらいいな。

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実際会った友達にも
会話の流れで、
「けっこうサカナくんがいつも練習しているような
自然豊かな場所からライブ配信したら
見る人けっこういると想うんだよな」
って言われた。

この友達、FBでもつながってるし、
いつもFBライブ配信してるんだけど
見てないじゃ〜ん(笑)

でも、まぁ
そんなことをぽろっと言うくらい
デザイン的にはアリなんだろうな。

あとはやり続ける覚悟と、
出会いの運かもね。

「僕は、
僕が喜べる場所で、具合で、
心地好く居ること。」

これに導かれていこうと想います。

そして、巡り巡って、
今、僕らが一緒にこの世にいる愛おしさへ
繋がっていけばいいな。

そう想っています。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。