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教師はトラブルを経て成長する理由

森信三『修身教授録』致知出版社 第13講 使命の道

松下幸之助の電球のエピソードが好きだ。

当時、未だ小さな町工場だった松下電器では、電球を布で磨くという仕事がありました。
その仕事を、しらけた表情で、つまらなさそうに電球を磨いている社員がいました。
その社員に対して、松下幸之助氏は「君、ええ仕事してるなー」と声をかけました。
その社員は「電球を布で磨く仕事のどこが良い仕事なんだ」
「電球磨きなんて、誰でもできる仕事だろ」と思っていたので、松下氏の言葉に唖然としました。

すると、松下氏は「この電球は、どこで光っているか知っているか?」
「あんたが磨いたその電球で町の街灯に明かりがつく。その街灯のお陰でどうしても夜遅くに駅から家に帰らなあかん女の人、いつも怖い思いをして帰っていた女の人が安心して家に帰ることができる」

「またなぁ。子どもたちが絵本を読んでいると、外が暗くなって、家の中はもっと暗くなる。そうなれば、絵本を読むのを途中でやめなあかん」
「でもな、あんたが磨いている電球1個あるだけで、子どもたちは絵本を読むことを続けることができるんや」

「凄いことじゃないか。あんたが電球を磨いていることで、子どもたちの夢を磨いているんや。子どもたちの笑い声が聞こえてこんか?」

「物作りはな、物を作ってはあかん。物の先にある笑顔を想像できんかったら、物を作ったらあかんのやで・・」
「子どもたちの夢のために、日本中、世界中にこの電球を灯そうや」

一般社団法人たすけ愛HPより https://tasuke-ai.com/archives/message/817/

では教師の使命とは?
意識的にそういう時間を持たないと、学校の日々はあっという間にあわただしく過ぎ去っていく。

私にとって使命を自覚することが多かったのが、トラブルの対応だった。
トラブルに対応する時、これは教師として正しいのか?人として正しい判断か?学校教育の目的として正しいのか?ということを自問自答した。
そのトラブルが大きいほど判断、決断を迷う。
その時に原点に返る必要があった。
そうでなければ、自信をもって子どもや保護者に話すことができないからだ。
ここに書くことができないようなことを教師である以上たくさん経験してきた。
あまり共有しづらいが、そういう時にこそ使命に自覚的になった。
そうして使命に自覚的になった時、道がひらけていった経験が何度もある。

森信三先生は次のように述べている。

という意味は、世上いわゆる学校教師と呼ばれている人々のうちには、自分が単に教育という仕事に従事しているということをもって、ただちに国家に貢献しているかに考えている人も少なくないらしいということです。

P93

本当にその通りで、使命に自覚的になって行動をしている場面はあまりないのである。
しかし、経験上、トラブルや判断に迷う時、使命に自覚的になったからこそ何とかやってこられたように思う。
そのたびに教師として成長していったのだと思う。
トラブルは教師を成長させてくれると思っているが、やはりその要因の一つに、教師や人としての使命に自覚的になるからではないだろうか。

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