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福岡蔵元アーカイブズ2002(3) 杜の蔵


2002年6月 サイト『九州焼酎探検隊』で公開

■粕取焼酎の伝統を守る筑後の雄・『杜の蔵』さん

太陽が真上を少し通り過ぎた。宮内の若大将は、家業の配達時間が迫ってきたということで、On The Roadは途中リタイアとなった。

そこでけんじ+goida+猛牛の3人が次に訪れたのは、筑後平野の西端にある三瀦郡三瀦町。吟醸酒粕を使用した『吟香露』や古式蒸留による粕取焼酎『常陸山』、そして『豪気』などで有名な『杜の蔵』さんである。

最近では、昔ながらの様式で復元した蒸留機による『さなぼり焼酎・常陸山』で注目を集めた蔵元さんだ。粕取命@けんじ隊員にとって『杜の蔵』さんは、ひとつの聖地なのかもしれない。

しかし、お邪魔する前にアクシデント! 交通事故の整理に巻き込まれて、遅々として車が動かないのだ。途中電話は入れたのだが、30分、1時間、1時間半と時は無情に過ぎていくのであった。

ん~~~ん、理由はともあれ失礼の段、今日はダメか・・・と思ったがなんとか車は到着。お待たせしたが、まず企画・営業担当の森永一弘氏に、そして代表取締役社長の森永和男氏に、にこやかにお出迎えいただいた。

森永和男社長(当時)

けんじ「杜の蔵さんの創業は明治31年と聞きましたが」
社長「うちも明治31年に免許を取りましてね。この辺の蔵元さんは皆同じなんですよ。自家醸造していたところが、それが全部密造ってことになりました。で、正式に免許を取って、創業開始というわけです」

けんじ「この辺りでは、粕取焼酎はどのように飲まれていたんですか?」
社長「ここらあたりは農家が多いでしょう。農作業が終わった後なんかに飲んでいただくわけですな。作業がキツイじゃないですか、だから焼酎が合っていたんだと思います」

けんじ「さなぼり(早苗饗)焼酎を出されましたが、それはどういったもので?」
社長「早苗饗とは、田植えの時期に農家が協同して作業をするわけです。で、作業が終わった後に宴会をやるわけですな。作業を手伝って貰った隣近所の人に振る舞うわけです。その時に飲む粕取焼酎をそう呼んだんだそうですよ」

けんじ「粕取焼酎の需要が少なくなってますが、それについてはどうお考えですか?」
社長「まずあの戦争です。昭和18年の戦時統制があって、終戦後も進駐軍の統制が加わった。米はないし、清酒が作れない。だから酒粕も無いわけです。原材料が無いから、別のもので作らざるを得なくなった。また色んなものを混ぜて作るようにもなったんですな。今でも安い酒は、もろみじゃなくて、米をドロドロとお粥みたいにして作るところもあるんです。原点から外れてしまった。戦争で一度酒の世界は終わったと思うんですよ」

けんじ「なるほど。ゑびすさんや天盃さんでも同じような言葉を伺いました」
社長「それと、さらに飲まれる方の嗜好が変わってきた。この辺では、赤玉ポートワインからビールになって、粕取焼酎が飲まれなくなってしまった。若い人達が特にクセを嫌うようになってしまってねぇ。ファンだったお年寄りも亡くなって、飲まれる方がだんだん少なくなってきたんですよ・・・」

けんじ「どうして、粕取焼酎を作りつづけていらっしゃるんですか?」
社長「ある時に、地元のお年寄りが『昔の粕取は、本当に旨かった・・・』としみじみおっしゃったのを聞いたんですな。それで私もはっとしましてねぇ。こりゃ、ちゃんと遺さないといかんと、発起したわけです」

けんじ「でも、当時の造りを再現するのは難しかったんでは?」
社長「実はいろいろと昔の造りを調べていたんですが、肝心の器具がもう無い。諦めかけていたら、偶然に古い醸造用器具を収蔵している場所で、倉庫の奧に昔の蒸留器があったんですな! その時はほんとうれしかった! セイロの部分はもう朽ちて使えないが、かぶと釜の部分は少し補修すれば使えたんですよ。それで前進したわけです」


■「セイロ式かぶと釜蒸留器」を実見する。

というわけで、社長と一弘氏にご案内いただいて、さっそくその蒸留器を拝見する。事務所を出て、醸造現場へと向かう。

さすがに筑後を代表する大手蔵である。敷地は広い。事務所から少し奧に蒸留の場所があった。見ると、手前に大型の四角い4段重ねの器具がある。これが現代の蒸留用のセイロだとのお話だ。

新式の蒸籠

ふと、その左隣を見ると・・・あった。
木製の円形をしたセイロ、これが3段重なっている。

これが『さなぼり焼酎』を生み出す古い形式の「セイロ式かぶと釜蒸留器」の下部、酒粕を熟成させたもろみを入れる部分である。このセイロの中に酒粕を置き、下から蒸気を当てて、酒粕から焼酎蒸気を立ち上らせる。新旧の対比があざやかな配置であった。

古式蒸留を行う木製蒸籠

このセイロの上に載って、焼酎蒸気を受け、冷やして液体に戻すのが「かぶと釜」。当日はすでに仕込みも終わったために、生き別れ状態でさらに蔵の奧に収蔵されているという。入り組んだ階段を登って、実際に拝見させていただく。

兜釜を上から見たところ。冷却水を入れる。
兜釜の下側。蒸籠から立ち上る蒸気を冷やして外部に出す構造。

これが、発見され補修された蒸留器である。左写真が冷却水を入れる上部。そして、右が内部で、焼酎蒸気を受けて、冷えて液体になったものを樋(太い線に見える○部と右上に向かって外に突き出た部分)で受けて外部へと出す仕組みになっている。

この蒸留器では、最初アルコール分60%位の初留から始まり、アルコール分25%位までの本垂れまで採り、その後の後留は除いて商品化しているとのことである。


■「さなぼり焼酎」試飲で、感涙のけんじ隊員。

というわけで事務所に戻って、製品の試飲をさせていただいた。

銘柄は4つ。左から全麹の麦焼酎『歌垣』『うすは音』、同社の主力である『吟香露』、そして先ほどのかぶと釜で蒸留された『さなぼり焼酎』だ。けんじ隊員のノドが鳴るのがわかる。『さなぼり焼酎』については、今回が初体験とのこと。

森永一弘氏(現社長)

まずは、『吟香露』から。吟醸香もきつくなく口当たりもいい。粕取には弱いわてもイケル味である。

次ぎに古式蒸留による限定品『さなぼり焼酎』である。

一弘氏「粕取は独得の香りがあるでしょう? でも、意外と若い女性がファンになっていただくことがあるんですよ。グラッパとかを飲みなれた方なんかが、新しい味として認識されるようですね。個性が逆に新たなファンを惹きつけるのではと思います」

さて、一口いただく・・・。わてはふだん粕取の匂いと味が合わない。ちと腰が退けるのだが、今回実際にこれを飲んでみるとあまり抵抗がなかった。何口かいただく。

それを隣りで見ていて気が気でなさそうなのが、けんじ隊員。

社長がけんじさんにグラスを差し出す。『さなぼり焼酎』を一口含んだけんじ隊員・・・

けんじ「・・・旨い!、旨いですねぇ、これは。ほんとうに美味しい!」

限定版の粕取焼酎を飲むことが出来て、けんじ隊員、まさに至福の表情だ。味も期待していた以上のものがあった、感動した・・・と後でも述懐されていた。

さて、わてが気に入ったのが麦の全麹造りの商品である『歌垣』。麦の香ばしさとまろ味がなんとも言えん味わい。『兼八』や『万年』、『杜氏寿福絹子』など、麦の旨味で勝負する銘柄とも甲乙つけがたい独自の世界があると思った。

goida隊員とわては『歌垣』を購入。けんじ隊員は『さなぼり焼酎』を購入しようとしたが、残念ながら品切れ!(T_T)。社長がそれならと、試飲用の『さなぼり焼酎』をプレゼントしてくれた。

けんじ隊員は本当にうれしそうな表情で胸に抱いていたのだった。


■粕取で漬けると、梅酒はこんなに旨いのか!

最後に、35度の『梅酒用・常陸山』で漬けたという、社長宅の自家用梅酒を振る舞っていただいた。もちろん商品版ではなく、自宅用に漬けたもので家族で飲んだり来客に勧めたりするそうである。

さっそく一口いただく。次ぎに感嘆の声を挙げたのは、わてだった。

猛牛「・・・美味い!。これは本当に美味い!!(@_@;)」
けんじ「美味しいですよ。これは!・・・(ごっくん)(~Q~;)」

社長「『常陸山』で漬け込んだものです。粕取焼酎とホワイトリカーでは、味が全然違うでしょう? コクとか深みがまったく別物です。やっぱり粕取焼酎で漬けないとダメだと地元の方もおっしゃいますよ」

たしかにそうだ。この梅酒、メチャ旨だ! 深みが数枚上手という感じ。梅酒なら絶対に粕取焼酎に限る!とわても社長の言葉に異論は無かですばい。

◇   ◇   ◇

さて。梅酒と言えば、けんじ隊員が以前筑前に住んでいた5年ほど前のこと。ある日、近くの酒販店を覗いたら、棚に『池田』という珍しい粕取焼酎が置いてあったという。何故、置いているのかと聞けば、梅酒を漬けるために買う人が居るというのだった。

日も傾き掛けた頃、お世話になった『杜の蔵』さんを後にして、3人はその『池田』の蔵元があるという福岡市西区へ、On The Roadのゴールへと向かうことにした。

しかし、そこで待ち受けていたのは、筑前焼酎蔵の厳しい現実を目の当たりにする、まさに“黄昏”の逢魔が時だったのである・・・。


■2022年追記:森永和男氏は勇退され、ご子息一弘氏が社長となられた。また粕取焼酎については、地元の文化と歴史を大切にしたいとの和男氏の意向もあって元々地元他社の銘柄だった『常陸山』を継承していたが、現在では『弥久』として販売を継続されているようである。


(4)に続く。

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