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自宅学習を時間で決めることの無意味さ

 一般社団法人CAP高等学院の代表理事をしています佐藤裕幸です。CAP高等学院は広域性通信制高校である鹿島山北高等学校と提携しているサポート校で、高校卒業に必要な単位を所属する生徒さんに最適な形で取得をしてもらうためにサポートをする一方、時間割がないオンライン上の学校にすることで、生徒さんの情熱と才能を解き放ち、自分の在り方を考えてもらっています。
 そのCAP高等学院を運営しながら、他には増進堂・受験研究社の客員研究員として問題集の作問や編集などをしたり、青山学院大学地球社会共生学部の松永エリックゼミで、アドバイザーをしたり、福井県立高校で教員研修の講師などもしています。昨年は4月に刊行された『生徒一人ひとりのSDGs社会論』や10月に刊行された『学びとビーイング〜学校内の場づくり、外とつながる場づくり』に寄稿しました。また、今年度から東京にある上野学園中学・高等学校や岡山にある岡山理科大学附属高等学校など複数の中学・高校で「自分丸わかりチャレンジ」という講座をすることになりました。


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 新年度が始まり、もう間も無く1ヶ月が経とうとしています。年齢のせいでしょうか、本当に時間があっという間に過ぎていきます。
 年度の初めには、スタートダッシュを決めたいと、CAP生の保護者に限らず様々な方から、日頃の学習についてのご相談を受けます。
 その中で、「普段は1日何時間ぐらい勉強すればいいでしょうか?」というご相談を受けたので、今回はそのことについて、少し触れておこうと思います。

平日2時間、週末4時間と言われ

 今年度から中学1年生になるお子様をお持ちの保護者の方から、
「平日は1日2時間、週末は1日4時間自宅学習をさせてください」
と、学校から言われてきたそうで、保護者の方からは「どのように勉強させればいいでしょうか?」というものでした。
 僕は、「その時間の根拠ってなんでしょうかね?」と尋ね返しました。当然のことですが、保護者の方が決めたわけではないので、回答に困ります。考えた上で、「学習の習慣づけですかね…」と答えてくださいました。
 本当に意地悪な質問をしたと思いますが、保護者の方も回答に困るようなことを、根拠もなしに、時間だけ指定する自宅学習って本当に必要なのでしょうか?

僕が中学生(高校生)の時にも…

 すでに遠い昔のことですので、いつ言われたかさえも忘れてしまいましたが、僕が中学生、もしくは高校生の時には、
「毎日学年プラス1時間は勉強するように!」
と言われていました。
 僕は高校生の時、合唱部に所属していました。いわゆる強豪校で、全国大会で金賞を獲る実力校です。
 当時、全日本合唱コンクールは11月下旬でした。3年生まで所属していた僕は、いわゆる部活づけの高校生でした。それを言い訳に全く勉強なんかしませんでした。だから、ある意味余力十分のまま受験を迎え、案の定不合格。当たり前と言えば当たり前ですよね。

 そんな僕が、もし高校3年生の時に真面目に「学年プラス1時間」勉強していたとすると…
 部活を終えて、帰宅するのは夜の7時過ぎ。そこから夕飯を食べて勉強を始めるのは8時くらいでしょうか?全く休憩なしで、4時間勉強したとして、終わるのは深夜0時。そこからお風呂に入ったりとかすれば、おそらく寝るのは1時近くでしょう。
 翌朝起床が6時だとすれば、睡眠時間は5時間前後。これを毎日続けていたら、ちゃんと成長できたんでしょうかね?

 自分のことに置き換えれば、結構無理ゲーなことはわかるはずなのに、子どものことになると、それを当たり前のように言う。ちょっとおかしいと思いませんか?

時間で決める根拠はない

 仮に、前述した保護者の方が答えたように、“習慣づけ”が理由であるなら、なぜ平日2時間、週末4時間なのかという根拠くらいは語られてもいいはず。しかしながら、その根拠が示されることは全くありません。そもそも時間を根拠にすること自体、怪しいものです。

「1日⚪︎ページ」や「1日⚪︎個」、「1日⚪︎問」も同じ

 同様のことは、ページ数や個数・問題数で宿題を課すことにも言えます。子どもたちの個々の状況を全く考えずに一律に出すことを、仮に“平等”と捉えているのであれば、もしかすると、宿題をきっかけにたくさんの“勉強嫌い”の子どもを育てている可能性すらあると言えます。それでも“習慣づけ”を理由に自宅学習を時間で強要しますか?

浪人時代の学習

 先ほど、僕は大学受験に失敗し、浪人したと書きましたが、恥かきついでに話すと、浪人は1年ではなく2年しています。通っていた予備校の数学講師の方に、「君は人よりも2倍時間がかかることを忘れないでね!」と言われたことは今でも覚えています。
 そんな僕が、2年目の浪人が決定した時に、「流石にこれはまずい!」と思い、そこでやっと本気になりました。そこで決心をしたことが、

“毎日12時間勉強する!”

でした。
 「お前、さっきまで言ってることと違うじゃないか!!」
という声が聞こえてきそうですが、もう少しだけ、お話に付き合ってください。
 毎日、12時間も勉強するには、結構な工夫が必要です。もちろん、身につける(当時の学習は所謂“詰め込む”)知識は莫大なので、「1日⚪︎個」みたいな決め方では、集中力も切れてしまうし、時々訪れるなんとも言えない“虚無感”みたいなものとも戦わなくてはいけません。
 1日の睡眠時間は5時間ちょっとでしたので、特に昼食後はとんでもないほどの睡魔にも襲われます。
 そんな、時間だけで決めて行う勉強ではとても長続きしないわけです。ここまで来るともはや苦痛という言葉だけでは語れないほどです。

曜日ごとに自分の心身のリズムを知る

 そこで、予備校の授業時間割と科目についての得意・不得意や好き・嫌い、食事などのルーティーンを考慮して、どの時間帯にどの科目の何を学習するかを決めていきました。たとえば、昼食後の時間に最も不得意な古文を学習すれば、良質の睡眠を確保するのには役立つものの、良質の学習を行うとなると最悪の選択をしていることになるわけです。
 また、2年目の浪人になると、自分と相性がいい講師の授業は週ちゅできるものの、そうでない講師の授業はただ参加しているだけになりかねなかったので、思い切って出ないと決断しました。「授業料もったいないだろう!」と思うかもしれませんが、無理して自分を合わせていることの方が、時にお金以上に大事な時間を奪われていることになると判断しました。(もしかすると親には申し訳ないことをしていたかもしれません)
 予備校から自宅に戻ると、最初にしたのは仮眠です。予備校で6時間勉強して、疲れ果てている状態を完全リセットするために、2時間仮眠をとりました。また、夕飯の時間には必ず家族が起こしてくれるというのもメリットです。夕飯後に仮眠にすると、永遠に寝てしまいそうだったので、そうすることにしました。
 リセットしてからは、苦手・嫌いな科目をするのも苦にならなくなりました。苦手なもの・嫌いなものに臨むためには、やはりある程度心身が整っていないと向き合えないということを実感しました。

週末の模試も考慮する

 月に1〜2回は、日曜日に模擬試験がありました。実は、日曜日の模試は結構きつかったです。というのも、土曜日にしか東京から来ない英語の講師の授業を集中して受けていて、さらに月曜日は同じく東京から来る国語の講師の授業が集中してあったので、予習・復習に日曜日を充てていた時間を模試で奪われるので、その時は1週間のスケジュールを別にしなくてはいけませんでした。それでも全ての予定が予めわかっているので、どうにかなってはいましたが…
 高校に通っていれば、突発的な学校の予定が入ってきて、なかなかスケジュール通りにいかないこともありました。その点も考えると、やはり単純に学習時間やページ数、問題数などで学習を決めることはあまりにも無理があると、改めて感じます。

自分ではやってみているのか?

 そして、何よりも一番感じるのは、学習時間やページ数、問題数などで勉強内容を決めることを、そのように話される方が実際に自分でやってみて、その成果を実感しているのかということです。
 少なくとも僕自身の経験で言えば、1日12時間学習することが成果につながったとは言い難いです。むしろ、自分の日常の生活を根本から考え、どのタイミングで何をどのように進めたらいいのかを身につけた方が圧倒的に大きいように思われます。そして、実際に記した僕の学習方法が他の方にも当てはまるのかといえば、僕よりも短時間でもっと効果を出す人もいれば、僕以上に学習時間を取っても全く苦にならない人もいるはずです。にもかかわらず、根拠があるかも不明な時間や量で学習を決めて、しかもそれを“みんな”が“同じように”することは、違和感でしかないということです。
 1日12時間勉強してみた僕が言えることは、「勉強は決して時間で決めるものではない」ということです。

それでもこういう発言が出ることは…

 4月5日に毎日新聞に「地方で基礎学力の養成を阻むものとは」という記事が掲載されました。

記事の冒頭から
「都会の中高一貫校では中学校までに4000語の慣用句や漢字を詰め込んでいるんです。高校からでも毎週、小テストを繰り返す必要があります」
と始まります。
さらには
「高校教員が東北の進学実績を低下させた要因ととらえるのは、少子化に加え、21年度に中学校で導入された学習指導要領が重視する『主体的、対話的で深い学び』(アクティブラーニング)がある。」
とまで…
 もう完全にメチャクチャな論理展開で、因果関係はもちろん、相関関係まで無視した感情だけの考え方。空いた口が塞がらないというのはこういうことなのでしょうか。
 たとえば、東北のみでアクティブラーニングをしているのであればまだわからなくもありません。実際にアクティブラーニングによって劇的に力をつけた地域や学校もあるし、児童・生徒もたくさんいるのに、そこは無視。
 そもそも、バブル崩壊以降、完全に浮上のきっかけを失ってしまった日本をなんとかしなくてはという思いがある中、これまでとは違う試みをしていこうとしているのに、一昔前の詰め込み型に戻そう!って、どういうことなんでしょうね?
 これまでの学習方法が全部悪いとは、決して思っていません。中には、そういう勉強方法が向く人もいるし、かつて僕が担任をしていたクラスに、スポンジのように知識を吸収し、吸収し切れなくなると、さらにそのスポンジを大きくしていくような生徒もいましたので、詰め込み全てを否定するわけではないのです。
 しかしながら、一部の事例を取り上げて、さもそれが全てのように話し、それに他の人たちも従わせるような流れこそが、今の若い人たちの情熱と才能を解放することから妨げてしまうことになりかねないのです。

大切にしたいこと

 ここまでいろいろなことを書いてきましたが、僕が今大切にしたいことは、

学ぶためにどのように心を整えていくか

ということです。
 時間やページ数などで学習を決めるのではなく、「どうすれば自分なりの目標のために日々行動し続けられるか?」と「自分なりの目標を叶えるためにいつまでに行動するか?」を決めることのように思います。
 以前、「やりたいことをやり続けるために」という記事を書きましたが、やりたいことをやりたい時にだけやっていても、なかなか自分の思いを実現することはできません。やりたいことをやり続けるためには、時に強制力を働かせ、それによって習慣化することが重要です。ただ、その強制力は、周りが働かせるものではなく、自ら働かせることが重要です。そしてもし、自分で強制力を働かせるのが難しいと考えるのであれば、その時は周りを思い切り頼ればいいと思います。このことについても、「『自立』とは人に頼らないことではない」で触れました。

 もし、新年度をきっかけに、学習について見直そうというのであれば、まずは、1〜2週間、自分の日常を深く見つめて、自分の心身のリズムを知り、その中のどの部分にどのような内容を入れ込んでいくと、学ぶことが苦痛にならないかを考えてみることから始めてみませんか?

最後に

 僕が代表理事を務める一般社団法人CAP高等学院は、広域性通信制高校・鹿島山北高等学校提携のサポート校です。教室を持たず完全オンラインで最適・最速の単位取得を実現し、空いた時間を生徒が自分のやりたいことを見つけるための活動に使ってもらっています。
 1日6〜7時間、机の前に座り先生の話を聞くだけの授業は一切ありません。自分の学びは自分で決めることができます。
 新年度が始まり、「新年度のスタートはこれでいいのだろうか?」と漠然とモヤモヤしている時期になっているかもしれません。
 さらに、お子さんを見ていて、どことなく不安を感じている保護者の方もいるでしょう。
 もしそういう悩みやモヤモヤがあるようでしたら、いつでもCAP高等学院のホームページにアクセスして、お問い合わせください。入校するしない関係なく、無料でご相談に乗らせていただきます。もちろんCAP高等学院に関することも大歓迎です。「完全オンラインの学校って、切磋琢磨できる仲間が見つかるの?」という疑問も出るかもしれません。そのような様々な疑問にも答えます!
 お問い合わせは、私の個人メールhiro.sato@caphighschool.comにでも構いません。
 最後までお付き合いいただきありがとうございました。皆さんが素敵な新年度を迎えていることを祈念しています。

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