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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第四章「白村江は朱に染まる」 中編 4

「ちょっと待って下さい、王様。いま、何と仰られましたか?」

 豊璋王の言葉に我が耳を疑った狭井檳榔は、失礼ながらと訊き直した。

「城を、ここから南の避城に移そうと思うのですが、如何でしょうか?」

 安曇比羅夫ら倭国の将軍たちは、一様に互いの顔を見合わせた。

「その理由はなんですか? この周留城は天然の要害、しかも泗沘・熊津の両城へも迅速に対応でき、攻守ともに優れた城ですが。それを敢えて行こうというのですから、よほどの理由がない限りは賛成しかねますが」

 比羅夫は畏まって訊いた。

「腹が減ったのですよ」

「はあ?」

「いや、要は、腹が減っては戦さができぬということですよ」

「意味が良く分からないのですが……」

「つまり、ここでは食料の確保が難しいと言っているのです。確かに、この城は守り戦うに優れていると思います。しかし、田畑から遠く離れ、土地も痩せており、とても農業や養蚕ができるような土地ではありません。ここに長く留まれば、必ず我々は餓えてしまうでしょう。しかし、避城は北西に古連旦涇(これんたんけい)の川がありますし、東南に深泥巨堰(しむでいこえん)の防塁があります。周囲に田を廻らし、溝を掘って雨を溜めることもできます。また、果実の実りは三韓の中で随一ですし、衣食の源も天地の中で最も豊富な場所です。ここに移れば食料の問題はないでしょう」

 豊璋王は、その長い鬚を揺らしながらゆっくりと説明した。

 比羅夫は如何返答したものか迷っている。

「その避城とは、何処なのですか?」

 朴市秦田来津は福信に訊いた。

「はい、ここより南の低地です」

「南ですか……、それはまずいです」

 田来津は、前に進み出て豊璋王に上申した。

「王様、間者の情報によれば、新羅軍は南の城から落としているということです。ここで南に移れば、一気に敵と接近する可能性が出てきます。もし、不意の事態が起きれば対処できません。そもそも、我々が餓えか如何かなど後の問題、いまは百済の存亡が先決です。敵がみだりに攻撃しないのは、周留城が山険しく、天然の要害となっているからです。高い山、狭い谷こそ、守り易く、攻め難いのです。しかし、低地であれば、いかように守ることができましょうか? ここは、この周留城を動かず、守りを固めるべきです」

 田来津の諫言をじっと聞いていた豊璋王は口を開いた。

「そうですね。しかし、避城に入れば、百済の経済も復興できますからね。そうすれば、唐・新羅に十分対抗することができるでしょう。そうは思いませんか?」

「百済経済の復興など後の話です。いまは、百済の領域を復活させることの方が重要です」

「しかし、このままここに籠もっているだけでは如何にもならないでしょう。これ以上の援軍がある訳でもなし。攻撃に打って出ますか?」

 豊璋王は、比羅夫を見た。

「我々は構いません。王様の命とあれば、命を捨てる覚悟ですから。ここで命令してくだされば、いまからでも泗沘・熊津を落として見せますが」

 実際のところ、百済側も唐・新羅軍の守る泗沘城・熊津城を攻めあぐねていた。

 これは、守りが堅いのもその原因であったが、大きな要因は百済の旧軍と倭国軍の意思疎通が上手くいっていないところにあった。

 百済の旧臣たちはゲリラ戦を展開し、一つずつ城を落としてゆくことを主張していたが、倭軍の将軍たちは、唐・新羅軍の要となる泗沘城・熊津城を一気に攻め落として、百済復興を宣言すべしと主張していた。

 百済にとってみれば、わき道や支流まで知りつくしている本拠地での戦さであり、じっくり時間を掛けて攻め落とすことを考えていたが、倭軍としては、故郷を遠く離れた戦さは兵士たちに厭戦気分を生み出し、時間が掛かれば唐からの援軍も覚悟しなければならないと、速戦で勝負をつけたいと考えていたのであった。

 このような意見の食い違いは、有能な取り纏め役がいれば、事が良い方向に転がるものである。

 だが残念かな、豊璋王にはそれを取り纏めるだけの能力も、決断力もなかったのである。

 そのため彼らは、今日まで戦さらしい戦さをせずに、周留城にずっと立て籠もっていたのであった。

「それも考えられますが、しかし……」

 比羅夫は、豊璋王の優柔不断さに苛立って上申したのだが、彼にはそんなことは通じないらしい。

「やはり、ここは避城に行った方が良いでしょう。それで、お願いします」

 と言って、豊璋王は席を後にしたのである。

 狭い部屋の中に残された男たちは、一斉に深いため息をついた。

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