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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第四章「白村江は朱に染まる」 後編 17

 百済の周留城に到着した倭軍は、護衛軍を城にあげ、本隊は河岸の船着場近くに陣を張った。

 そして百済に入れば、すぐにでも唐・新羅軍と決戦だと考えていた兵士に待っていたのは、長い篭城戦であった。

 篭城は、あくまで多大な物資と必要最低限の人員のみで実施するものであり、攻め手側の物資がなくなり撤退するか、また援軍が来ることが大前提で行われる作戦である。

 大人数で援軍なしの篭城戦は、まさに自殺行為であった。

 しかも、今回の唐軍は遠征軍ではなく、以前から半島に駐屯していた軍であったため、物資の補給には事欠かない状態であった。

 倭軍の兵士たちは、この篭城戦が不思議でしょうがなかった。

 敵が攻めて来ていないのに、なぜ城の中に閉じこもっているのか?

 なぜ、一気に攻めて出ないのか?

 倭軍の将軍と百済の旧臣の考え方の違いと、それを上手く纏められない豊璋王に責任があるのだが、このあまりにも長く、意味のない篭城作戦に、倭軍の兵士の中からは多くの不満の声が上がっていった。

 やがて不満は厭戦を生み出し、その厭戦が軍規の乱れを生み出した。

 加えて、城を避城に移し、その二ヶ月後にはまた周留城に戻るという訳の分からない行動が、兵士たちに上層部への不信感と不満をかき立てた。

 特に、倭軍は今回の百済救援のための寄せ集めの兵であったので、一度崩れ出すと全てが崩れるのに大して時間は掛からなかった。

 倭軍の将軍たちは、これに対してさらに厳しい軍律を課したが、結局は兵士たちの間からは厭戦の雰囲気は消えなかった。

 弟成たち斑鳩寺の家人や奴婢も、同じ気持ちであった。

「いつになったら、戦さが始まるのやろうの?」

 凡波多は、焚き火に枝を焼べながら言った。

 斑鳩寺の家人や奴婢は、百済に来て以来、焚き火を囲んで取り留めのない話をするのが日課となっていた。

 彼らだけではない、殆どの兵士が、いつ始まるとも、いつ終わるとも知れぬ戦いを待ちながら、毎夜のように四方山話に華を咲かせていた。

 中には、軍事行動中には禁止されていた酒を何処からともなく持って来ては、酒盛りをする連中もいたほどだ。

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