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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第二章「槻の木の下で」 前編 17

 蘇我倉麻呂臣は、蘇我蝦夷(そがのえみし)の弟 —— 蘇我倉摩呂臣(そがのくらのまろのおみ)の子であり、蘇我入鹿とは従弟同士になる。

 大王家の財産等を収蔵した三蔵を管理するのが、蘇我倉家の本業である。
彼は、河内石川・河内山田(大阪府南河内郡)を本拠地としていた。

 山田寺がある大和山田(奈良県桜井市山田)は、河内山田から移り住んだために名付けられた。

 鎌子は、度々、蘇我倉の屋敷に通うようになった。

 麻呂は、三蔵管理とともに外国からの献上品の管理も任されていたので、その一環として外国使節団の饗応を行うことも多かった。

 鎌子が麻呂の屋敷を頻繁に訪れる理由は、外国人と接することができるからであったが、もう一つの理由は麻呂の娘たちにあった。

 麻呂の子供は、男子三人・女子四人の、合わせて七人いた。

 その内、鎌子の目を引いたのが、次女の遠智娘(おちのいらつめ)であった。
姉の造媛(みやつこひめ)も美しかったが、妹の遠智娘はさらに美しかった。

 美しいのは顔だけではない、その仕草も鎌子の心を捉えた。

 俯いた時の目。

 微笑んだ時のえくぼ。

 彼女の首筋を流れる黒髪。

 鎌子は、常に彼女を目で追った。

「あの、私の顔に、なにか付いてますか?」

 蘇我倉家の庭先で、麻呂とともに酒を飲んでいた鎌子は、二人に酌をしていた遠智娘の顔をいつのも如く見つめていると、彼女からの突然の質問を受けた。

「はい、美しいです」

 鎌子は油断していた。

「えっ?」

 遠智娘の顔が真赤になった。

 そして、美しい首筋まで真赤な遠智娘を見て、鎌子は初めて自分の不躾な一言を恥じた。

「あっ、いえ、その……、美しい……、ゆ、夕日ですね」

「は? 夕日ですか?」

 今日は、生憎の曇り空である。

 仕舞ったと思った。

 気まずい雰囲気が二人を包んだ。

「あっ、お酒、お注ぎいたします」

 しかし、鎌子の杯は、まだ一杯である。

「えっ、あっ、はい」

 彼は、飲み干そうと杯を手にしたが、余りの慌てように落としてしまった。

「あっ!」

 二人の声が重なった。

 重なったのは声だけではない。

 杯を取ろうとした二人の手も重なっていた。

 遠智娘は、真赤な顔を、さらに真赤にした。

 鎌子も、自分の顔が熱っているのに気が付いた。

「あの、私、拭くもの、取って来ますので」

 遠智娘は、顔を覆うように屋敷の中に入って行った。

 鎌子は、その興奮にまかせて、杯に酒を注ぎ、勢いよく煽った。

 そんな二人の様子を見ていた麻呂が訊いた。

「中臣殿は、どなたか契りを交わした相手はおありかな?」

 突然の麻呂の質問に、鎌子は飲み込んだ酒で咽てしまった。

「いえ、私は不調法者で」

 とは言うものの、既に女は知っている。

 鎌子は赤根売を思い出したが、あれは違うなと思い直し、頭を振った。

「そうですか、まあ、別に何人妻を娶ろうと宜しいのですが……、どうでしょうか、私の娘 —— 遠智をもらって頂けないでしょうか?」

 鎌子は、今度は酒無しで咽てしまった。

 麻呂は構わず話した。

「どうやら、娘の方も中臣殿のことを想っておるようですし。私としても、学問に名高い中臣殿に婿殿となって頂けると嬉しいのですが」

 この頃では、鎌子は摂津・河内・和泉地方では並ぶものなき存在となっていた。

 もちろん、飛鳥の蘇我入鹿には適わなかったのだが。

「本当に、私でいいのですか? それよりも、大王家に嫁がれた方が……」

 内心は飛び上がるほど嬉しいのに、彼はこんなことを訊いた。

 大体、蘇我家は大王家に妃を出す家柄である。

 蘇我本家には、いまのところ娘が生まれていなかったので、当然その役割は蘇我倉家に回ってくるはずである。

「いえ、長女の造が葛城様に嫁ぎますので」

「あっ、そうですか」

 上宮王家ではないのかと鎌子は不思議に思った。

「それに、三女の姪(めい)の相手は……、ほれ、いま来られました」

 鎌子は、麻呂の指し示す方へ目をやった。

 そこには、頬のふっくらとした、穏やかな顔の貴人が立っていた。

「軽(かる)様に嫁ぎますので」

「えっ、軽様ですか?」

 軽様は確か、今年で40……、蘇我倉殿の三女の姪娘はまだ10になっていないはずだが………………鎌子は首を傾げた。

「ええ、軽様が随分気に入られて、是非にとのことですので」

 なるほど、そう言う趣味かと鎌子は思った。

「どうも、山田臣、酒を呼ばれに参りましたよ」

 鎌子が顔を上げた時には、軽皇子が目の前まで来ていた。

「お待ち申しておりました、軽様、さあ、どうぞ、こちらへ。おい、軽様がお見えだぞ、酒の準備はできているか? 姪はどこに行った? こちらへ呼んで来なさい」

 麻呂は、そのまま屋敷の奥へと入って言った。

「軽様、御機嫌いかがでしょうか?」

 鎌子は、軽皇子に挨拶をした。

「おお、中臣連、お前も呼ばれていたのですね」

 と、彼も麻呂の後を追って屋敷の中へ入って行った。

 鎌子も、軽皇子の後に続いた。

 全く貴人の趣味は分からん、と頭を振りながら。

 この後、鎌子と遠智娘の話は、麻呂からの「あの話はなかったことに」という一言で終わってしまった。

 理由を問うても、麻呂は答えなかったが、鎌子が蘇我倉家の従者から聞いた話では、葛城皇子と造媛の縁談が、造媛の止むを得ない事情で破談となり、代わりに遠智娘と姪娘を嫁がせたということであった。

 因みに、軽皇子には四女の乳娘(ちのいらつめ)を嫁がせたということだった。

 鎌子は、これを聞いて思った。

 所詮、高値の花だったか、と。

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