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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第三章「皇女たちの憂鬱」 前編 17

 大化2(646)年3月2日、東国に派遣されていた国司を集め、その勤務査定が行われた。

 この査定により、8人中2人に違反が見つかった。

 しかし、この査定に異議が申し立てられ、再度査定をした結果、6人に違反が見つかるという厳しい結果が出た。

 罪状は、百姓や国造等の馬・武器などの略取や職務の怠慢である。

 だが、彼らは大赦によってお咎めなしとなる。

 3月20日、中大兄は、所有していた入部(いりべ)524口と屯倉百81箇所を軽大王に献上した。これは、改新の詔を皇族自らが示し、公地公民の制を促進させようとしたのである。

 3月22日、薄葬令と旧俗の廃止の詔が下った。

 薄葬令は、それまでの大げさ過ぎる葬儀・墓を取り止め、身分に合わせて簡素化することを定めた詔で、旧俗の廃止は当時の婚姻や宗教的習俗を改めるよう定めた詔である。

 8月14日、臣・連等の持つ品部を廃止する詔が出される。

 併せて、旧官職を廃止し、新たに百官を設置する詔と国司派遣の詔が発される。品部を廃止し、国司を再度派遣したのには、やはり公地公民制を重視した結果であろう。

 年が改まって、大化3(647)年4月26日、再度、品部廃止の詔が出される。

 何度も同じような詔が発せられるが、公地公民の制があまり進展していなかった裏返しである。

 同じ年、それまでの冠位十二階の制度が、冠位十三階の制度に改められた。

 冠位十二階は、徳・仁・礼・信・義・智を大小に分けたものだが、冠位十三階は、織・繡・紫・錦・青・黒の大小と新たに下級官僚の建武冠が設けられた。

 だが、この冠位十三階は、大化5(649)年2月に、冠位十九階制度に改められる。

 冠位十九階は、織・繡・紫・花上・花下・山上・山下・乙上・乙下の大小と下級冠の立身が置かれた。

 このように冠位が短期間で増えるということは、需要が増えた、即ち豪族が私民私地を手放す代わりに、中央政界での確固たる地位を要求した証拠とである。

 さて新政府の船出が順風満帆であったかと言うと、そう言う訳でもなかった。

 彼らには、消し去っておきたい人物が2人いた。

 それは、吉野に隠居した古人皇子(ふるひとのみこ)と、最後の有力な蘇我氏となった蘇我倉麻呂である。

 古人皇子の母は蘇我蝦夷の妹、法提郎女(ほほてのいらつめ)である。このまま、野放しにしていては危ない。

 蘇我倉麻呂も新政府に付いたとはいえ、蘇我の人間である。いつ、反旗を翻すか分からない。

 ―― 混乱の芽は、予め摘んでおいた方がよい。

 古人皇子に関しては、その機会は蘇我本家滅亡から3ヵ月後の9月12日に訪れた。

 吉備笠垂臣(きびのかさのしだるのおみ)が、
「古人皇子、謀反あり」

 と中大兄に上申したのである。

 当然これは、古人皇子を陥れための改新政府の策略であった。

 中大兄は直ちに兵を送り、古人皇子と息子たち及び蘇我田口川堀臣(そがのたぐちのかわほりのおみ)を処刑した。

 彼の妻娘も、自ら彼の後を追った。

 今後禍根を残さぬように、古人皇子の一族、その関係者の血筋が全を抹殺しなければならない………………はずだったが、この混乱を生き延びた皇女がいる。

 古人皇子の娘 ―― 倭姫王(やまとひめのおおきみ)である。

 彼女は、父に殉じて自ら命を絶つ寸前に、中大兄の使わした兵に捕縛され、難波の地へ送還されたのである。

 中大兄の前に引き出された彼女は、あまりにも美しかった………………それは、父の無実を信じる娘の一途さであり、死を覚悟した女の儚さであった。

 中大兄は、一目でかの女に心を奪われた。

 彼は、強引に彼女に迫った。

 彼女は争った。

 が、争えば、争うほど、男は女を征服しようとした。

 美しい花は………………無残にも踏み荒らされた。

 冷たい床の上に、彼女の涙が音を立てて零れた。

 ―― この瞬間から、彼女の復讐の人生が始まる………………

 中大兄は、倭姫王を正妻の座に付けた。

 皇族の血筋を持ち、自分と近親である蘇我一族の血も引く。皇子の妻 ―― 今後大王を狙うなら、大后としても申し分ない身分であった。

 中大兄は、彼女を求め続けた。

 彼女の美しさと性的な魅力ももちろんあったが、何より子どもを作ることが彼の目的でもあった。

 しかし、2人の間には子供はできなかった。

 できなかったのではない。

 作れなかったと言った方が良いだろう。

 彼女は、自ら薬を飲んで、子供を作れない体にしていたのだ。

 ―― 中大兄の血筋を絶やすこと、これが父を無実の死に貶め、彼女自身を汚した男への復讐であった。

 そんなことも知らずに、中大兄は彼女を求めた。

 そして彼女は、中大兄が絶頂に至る瞬間の顔を見て………………心の中で嗤うのであった。

 しかし、流石に五年近く子供ができないと男も訝るものである。

「どうして、お前には子供ができないのだろうな」

 中大兄の冷たい視線に、倭姫王は一瞬凍りついたが、

「申し訳ございません。私が至らないばかりに」

 と、涙を零した。

「いや、悪かった、子供は天からの授かりものだ。そのうちできるだろう」

 中大兄は、彼女の涙に絆されたのか、そう言うと、彼女を寝所に誘い入れた。

 倭姫王は、これを見てまた嗤うのであった。

「倭姫王様、失礼致します」

 中大兄がもう少しでと言うところで、邪魔が入った。

「何事ですか?」

「中大兄様はお休みでしょうか?」

「なんだ」

 中大兄は、倭姫王を抱いたまま訊いた。

「はい、ただいま、中大兄様のお屋敷から火急の知らせがございまして、大鳥大臣様が御逝去遊ばされたとのことです」

「大鳥大臣が?」

「はい」

「分かった」

 中大兄は、再び行為に集中した。

「あの……」

 それをまた、倭姫王の侍女が邪魔した。

「何だ?」

「使いの者は如何致しましょうか?」

「朝には帰ると伝えろ」

 中大兄の大声に驚いたのか、侍女は駆け出すようにして部屋を後にして行った。

「宜しいのですか、すぐにお屋敷にお戻りにならなくとも?」

 倭姫王は、未だ自分の上に居座る男に訊いた。

「構わん、明日にでも大鳥の屋敷に出向けば十分だ」

 中大兄はそう言うと、再び行為に耽り出した。

 その甲斐のない、己の快楽を満たすだけの行為に。

 倭姫王はその間中、こう思うのだった ―― あなたに跡継ぎはできませんわ、あなたは皇子で苦労なさるのです。

 大化5年(649)年3月17日、改新政府の重鎮であった阿倍内麻呂がこの世を去った。

 そして、彼の死を切っ掛けに蘇我家への最後の追撃が始まる。

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