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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第四章「白村江は朱に染まる」 中編 16

 豊璋王の捜索部隊がすぐさま組織された。

「しかし、前代未聞ですな、総大将が敵前逃亡とは」

 物部熊は、門を出て行く捜索隊を眺めながら呟いた。

 彼の後ろでは、護衛軍将軍の狭井檳榔と朴市秦田来津が百枝の叱責を受けていた。

「何をやっているのだ! お前たちは王の護衛ではないのか! いままで、何をやっていたのだ!」

「はっ、申し訳ございません」

 檳榔と田来津は畏まった。

「そこで2人を責めても始まらんだろう。狭井将軍、秦将軍、すぐさま王を連れ戻して来るように。宜しいな?」

 比羅夫は、背を向けたまま2人に言った。

「はっ!」

 2人は、急ぎ門を出ようとする。

 それを、また比羅夫は引き止めた。

「見つからなければ当然だが、見つかってもそれなりの処分は覚悟しておくように」

 2人はその言葉を聞くと、頭は下げ、門を出て行った。

 比羅夫は、深いため息を付いた。

 3日3晩探し続けたが、豊璋王の一隊は見つからず、17日には唐・新羅軍に城を囲まれたので、捜索は打ち切りとなった。

 唐・新羅軍に周留城を取り囲まれたその夜は、鮮やかな満月であった。

 田来津は、夕刻より夜陰に紛れて豊璋王の捜索に当たったが、成果はなかった。

 彼が城に戻った頃には、月が僅かに西に傾き始めていた。

 そのまま疲れ切った体を無理やり寝床に押し込もうとしたが、逆に頭が冴えて眠れなかった。

 仕方なく、彼は風に当たろうと外に出た。

 何処からともなく歌声が聞こえてくる。

 それは、彼の耳に懐かしい倭歌であった。

 その歌声のする方へと足を進めた。

 女性の声のようだ ―― 優しいが、どこか悲しみを含んでいる。

 彼は、城の南の岩場の一本松の下に、一人佇む女の姿を認めた。

「安孫子?」

 思わず声に出していた。

 その声に気付いた女性は、振り返った。

 豊璋王の倭人妻、安媛である。

 彼は、しばらくの間、彼女の中に安孫子の姿を見た。

 しかし、妻がそこにいるはずはなかった………………

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