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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その一 おけいの一件始末 14 (落着)

 井戸端で、女たちが洗い物をしている。その脇で、嘉平が薪を割っている。その周りを子どもたちがちょろちょろしているので、嘉平が「危ない、危ない」と声をかけている。

「松太郎、そこへ座れ」

 清次郎の指示で、松太郎はその場に正座した。

「嘉平、その斧をかせ」

「へぇ、この斧ですか」

 嘉平は、首を傾げながら斧を手渡す。

 清次郎は、刃を秋光に照らしながら振りかざす。

 まさかと思うが、そのまさか。

「松太郎の身に巣くう酒の魔物よ、覚悟しろ」

 と、松太郎目掛けて振り下ろした。

「ひえぇぇぇぇ!」、悲鳴をあげて逃げる松太郎。

「待て、待たんか、松太郎」、追いかける清次郎。

 呆然とする一同。

 寺内へと駆け出す清次郎の妻、由利。

 止めに入る惣太郎。

「待て、待ってください、中村さま。何をお考えですか」

「見ての通り、酒の魔物を叩き殺してやるのだ」

「それはまずいですよ」

「おお、そうですね、ここは寺の中。幾ら相手が魔物といえど、殺生はまずいですな。では、道端で」

「いえいえ、そうではなく。魔物を殺したら、松太郎まで死んでしまいますよ」

「この際、それは仕方がないでしょう。これも、酒の魔物に魅入られた松太郎が悪いのですから」

「いや、まあ、そうかもしれませんが、しかし幾らなんでも……」

「まあ、そういうことだ、松太郎。怨むなら、酒の魔物に憑依(と)りつかれた己の弱さを怨め」

 清次郎は、一気に止めを刺そうと、大きく振りかぶった。

「お、お助けぉ~~」

 両手を合わせて松太郎が命乞いをする。

「問答無用」

「お待ちください」

 その声は――おけい!

 振り返ると、おけいが駆け寄ってくる。その後ろに続くは、由利である。どうやら、おけいを呼びにいったようだ。

「お待ちを、お待ちを」と、松太郎の庇うように、間に入った、「お願いです、お助けください」

「何を助けることがあろうか、おけい。おぬしは、こやつの酒癖の悪さをを憎んでおったではないか。それは、酒の魔物がすべての元凶。その魔物を、拙者が退治してやろうと言うのだ、喜べ」

「そ、それでは、この人も死んでしまいます」

「それも仕方があるまい。おぬしも、別れるつもりであろう。であるのならば、どうせ赤の他人。死んでもどうとあるまい」

「そんな、そんな、とんでもない。この人は普段は本当にいい人なんです。ただ、お酒を飲んだときに、ちょっとあたしに当たるだけなんです。普段は色んな嫌なことを心に抑えているんですが、それが酒を飲んだときに出るだけなんです。本当に、本当にいい人なんです。こんないい人、どこにもいないんです」

 おけいは、涙ながら訴える。

「ならばおけい、おぬしは松太郎のもとに戻るというのか。あれほど縁を切りたいと願っていたおぬしが、こんな駄目亭主のもとに戻りたいと言うか」

「駄目亭主ではありません。お酒を飲んだときだけ、少し気が大きくなるだけで、素はとてもいい人なんです。ええ、そうです、あたし、戻ります。この人のところに戻ります」

「こんな馬鹿亭主のところに戻って、幸せになれると思っておるのか。どうせまた、酒を飲んでおぬしに手をあげるだけだぞ」

「いえ、そんなことありません。絶対にそんなことありません。あたしが、絶対にお酒を飲ませません。金輪際、きっぱりとお酒を止めさせます。そうだよね、あんた、もう絶対にお酒なんか飲まないよね、ねえ、あんた」

 松太郎は、うんうんと頷く。

「飲まねぇ、オラ、絶対に飲まねぇ、誓うよ、おけい、オラ、飲まねぇ」

「うんうん、あたしも誓うよ。あんたに絶対お酒を飲ませないって」

「事実(まこと)だな、松太郎。絶対に飲まないと誓うな」

 清次郎の言葉に、松太郎は力強く頷く。

「おけいも、この馬鹿亭主に酒を飲ませないと誓うか」

「馬鹿亭主じゃございません。でも、絶対に飲ませません」

 おけいも、まるで神仏に誓うように、清次郎をきっと見つめた。

「ならば、この一件はこれにて落着とする。熟縁したならば、もはやここにいることかなわぬ。夫婦、縁者ともども、早々に立ち去れ」

 清次郎は斧を嘉平に返し、怒ったような足取りで役場へと消えた。

 おけいと松太郎は、お互い肩を抱き合うようにして寺を後にし、和助と新右衛門は惣太郎に何度も頭を下げて帰っていた。

 よく分からないが、丸くおさまったということだろうか。

 女たちを見ると、何事もなかったように洗い物を続け、子どもたちは嘉平の周りで遊びまわり、「危ない、危ない」と嘉平は笑っている。

 ここでは、ああいったことが日常茶飯事なのだろうか。

 役場に入ると、清次郎は涼しい顔でおけいの始末を書面に認(したた)めていた。

 新兵衛は、にやけた顔をしている。

「今回は派手にやりましたな」

 清次郎は、ちらっと視線を向けただけで、物書きを続けた。

 頃合を見計らって、惣太郎は尋ねた。

「あの……、中村さまは、はじめからあの2人は縒りを戻すとお思いでしたか」

 清次郎は筆を滑らせながら言った。

「まあ、大凡は」

「なぜ分かったのです」

「おけいを取調べたときです。覚えていらっしゃいますか」

 首を捻って思い出すが、からんからんと音がするばかり。

「すみません、よく分からないんですか」

「あのとき、わたしが松太郎の悪口を言うと、それを庇うようなことを言いました。本当に亭主のことを嫌っているなら、そんなことはないでしょう。それで、もしかしたらおけいに少し未練があるのではないかと思ったのです」

「それではなぜ、おけいにそう述べて悟らせなかったんですか」

「自分では薄々分かってることを、他人に指摘されると嫌な気がしませんか。それですよ。私が、おぬしはまだ未練がある、帰縁しろなんて言えば、ますます離縁をしようと意固地になりますよ。それよりは、ああやって自分の気持ちをしっかり悟らせることのほうが大切なんです」

「そんなものですか」

「そういうものです。多くの夫婦を見ていると、分かってくるものです」

「はぁぁ、なるほど、さすがですね」

 少々芝居染みたところはあったが、清次郎の巧みな裁きに感心した。

「それではこれで、おけいと松太郎は大丈夫ってことですね」

「それはどうじゃろうな」

 そう言ったのは父の宋左衛門であった。

「それは、どういことですか」

 折角清次郎が大団円で終えた芝居をぶち壊すのかと、惣太郎は父に少し腹が立った。

「あれは多分、また離縁すると騒ぎ出すぞ」

「まさか、そんな」

「いえ、立木さまの言うとおりですよ」

 なぜか、清次郎までもが賛同する。全く意味が分からない。

 困惑する惣太郎に、清次郎は言った。

「あの松太郎、きっとまた酒を飲みますよ」

「あれほど誓ったのに」

「いままで散々誓って、何度も破ってきたのです。今度は大丈夫なんてありませんよ」

 確かに一理ある。

「まあ、今回のことがあるので半年は持つでしょうが、それでもまた酒が恋しくなって浮気をします。そうすれば、また女に手をあげる。手をあげれば、おけいは離縁すると泣く、すると松太郎は酒を止めるとまた誓う、でも耐え切れずに酒を飲み………………の繰り返しですよ。酒飲みというのは癖になりますからね」

「しかし、そうなればおけいだって今度こそ……」

「いや、それはないですね」、今度は新兵衛である、「その女も、離縁と叫ぶのが癖みたいになってる。別れると言って家を飛び出しても、結局戻ってしまうんですよ。もう理屈じゃないんです。その女の癖なんです」

「じゃあ、ふたりは一生不幸せのままですか」

「あれはあれで、あの夫婦にとっては幸せなのでしょう。世の中には、色んな夫婦がいます。一筋縄ではいかんですよ、このお役は」

 新兵衛は、得意の大口を開けて笑う。

 父も、阿呵呵と笑う。

 清次郎も、珍しく柔らかい笑みを零している。

 惣太郎だけは、小難しい顔で考え込んでいる。

 冷たい秋風に乗って、女たちの笑い声も聞えてきた。

(一件落着)

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