【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第四章「白村江は朱に染まる」 中編 20
周留城に戻った百済の旧臣と倭軍の将軍は、その夜、作戦の建て直しを迫られた。
「本日は、第二陣が風に阻まれ、所定の時刻に奇襲できなかったということですが、明日、状況が許せば、再度奇襲を行うとのことです」
河邊百枝は、第二陣からの書状を手に、その作戦を比羅夫たちに知らせた。
「しかし、また風に阻まれたたら、今度は目も当てられませんぞ!」
守大石は、今日の第二陣の状況に怒りを隠しきれないようだ。
「今度は万が一を考えて、中央突破の隊形を取っておきましょう、大将軍」
物部熊は、腕組みする比羅夫に言った。
「うむ、そうだな。これ以上、篭城を続ける訳にもいかないし、ここは一気に突き進むか。では、前軍、護衛軍、後軍の隊形で出陣する。百済の皆様方は、護衛軍がお守りいたします。宜しいですかな?」
比羅夫の作戦に、百済の旧臣たちは頷いた。
「狭井将軍、秦将軍、両名は百済の民を護衛せよ。河邊将軍、前軍をもって唐軍を北方に誘導してくれ、その間に、手薄になった南岸を護衛軍・後軍が抜けていく。護衛軍は、そのまま南下、前後軍は回頭して南北から唐軍を挟撃する。我々の目的はただ一つ、百済の民を無事に倭国まで連れ帰ることだ! そのための命、皆のもの、惜しむなよ!」
倭軍の将軍たちは厳しい顔をした ―― 夫々の思いは複雑である。
「失礼します」
その時、深草が入って来て、田来津に耳打ちした。
「本当か?」
田来津は、深草の言ったことが信じられなかった。
「はい、確かに。大伴様が連れて来られたと」
「どうした、秦将軍?」
比羅夫は、田来津の慌てようを不思議に思い訊いた。
「はあ、王様が見つかったそうです……」
部屋にいた全員が顔を見合わせ、一斉に表に飛び出した。
豊璋王は御座所の玉座に座っていた。
その服はボロボロである。
顔にも、あちらこちらに切り傷を作っていた。
田来津は、部屋の隅に控えていた大伴朴本大国に事の仔細を訊いた。
「巡回していた俺の部下が、藪の中に隠れているのを発見してな。初めは敵だと思ったらしいが、着ているものが百済服なので、不審に思って私のところに連れて来た次第だ」
「それで、王は、ここを出られてからのことは話されたか?」
比羅夫は、大国に小声で訊いた。
これに対して、大国も小声で答えた。
「ご本人は何も話されておりませんが、藪の中にお供の者が数人隠れておりまして、その者たちが言うには、徳執得に連れられて、高句麗に逃れようとなさったらしいのですが、途中で敵に見つかって、命からがらここまで逃げて来たと」
「それで、徳殿は?」
大国は、首を横に振った。
「それで、これからどうするのじゃ?」
豊璋王は、自慢の鬚を手で弄りながら訊いた。
「はあ……、我々と致しましては、百済復興を諦め、百済の皆様を連れて倭国に帰還したいと考えておるのですが………………」
比羅夫は、豊璋王に向き直り上申した。
「私は、どの船に乗れば良いのじゃ?」
「はあ……? はい……、えっと……」
どうやら、豊璋王も既に百済復興の野望はないらしい。
「では、私の船が良いかと思いますが」
田来津は、王の護衛として最後の役目を果たそうとしていた。
「御座船ではないのか?」
「御座船は危なすぎます。一目で重要人物が乗っていると分かります」
比羅夫は、豊璋王に諫言した。
「あっ、しかし、それはいい考えかもしれません」
「なに?」
「いえ、私が御座船に乗り、敵の目を引き付けて、その隙に王様は他の船で唐軍を突破していただく。如何でしょうか?」
「なるほどな!」
田来津の考えに比羅夫は同調した。
「如何でしょうか、王様、この作戦は?」
「如何でも良い。全て、任せる」
豊璋王はそう言うと、玉座の上で鼾を掻き始めた。
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