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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第三章「皇女たちの憂鬱」 後編 20

 弟成が月夜の川筋を歩いて行くと、その川端に座り込む人影を見た。

 月明かりに照らされた横顔は稲女だ。

 こんな遅くに、こんな所で何をしているのだろう?

 彼は、不思議に思い、川端に降りて行った。

「稲女、如何したん、こんな所で?」

 突然の弟成の声に驚いた稲女は、彼の方を振り返った。

 彼女の両目からは、涙が止め処なく溢れてきた。

「如何したん? 誰かに、ひどいことされたん?」

 彼女は激しく泣いた。

 そして、しゃくり上げながら言った。

「弟成が……、お、お寺に入って行っちゃったから、だ、誰かに見つかったら、どないしよかと心配してたん」

 彼女の話では、弟成が毎月寺に忍び込んでいるのを知っていたらしく、それで心配になって後を付けたらしい。

「そんなことで……」

 弟成は安堵の顔をした。

「そんなことって……、うち、めっちゃ心配したんよ。弟成が捕まったどないしよう。もしも、寺を追い出されることになったらどないしようと思って。だって、うち、弟成の傍にずっとおりたいもん」

 そう言うと、彼女はまた激しく泣き出した。

 少年は、こういう時、如何したら良いのか分からない。

 ただ、「ごめん」と言いながら、稲女を優しく抱いていた。

 なぜだか分からないが、彼の行為は自然だった。

 稲女は、その温かい胸の中で激しく泣き続けたが、半時もすると気持ちも落ち着いたのか、弟成の胸の中で、ほっと小さなため息を付いた。

 弟成は稲女を見た。

 笑顔の稲女は可愛いが、涙の後の稲女は艶っぽい。

 彼は、稲女のことが急にいとおしく思えてきた。

 これほど俺のことを想ってくれているなんて……………彼は、初めて女性をこのまま押し倒したい衝動に駆られた。

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