見出し画像

【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 前編 13

 唐からの表函には、飛鳥の群臣が危惧したような、戦の文字は含まれてはいなかった。

むしろ、関係を修復する趣旨の書状であった。

ただし、今回の使者は劉仁願の私的なもので、正式な唐からの使者は翌年に派遣されるとのことであった。

倭国としては、唐のこの申し出は願ったり叶ったりであった。

飛鳥の群臣は、すぐさまこの話に飛びついた、と言ったらことは簡単なのだが、やはりここでも中大兄と中臣鎌子の対立が浮き彫りになった。

この時、間人大王は病の床に伏しており、蘇我連子大臣(そがのむらじこのおおおみ)も既に故人となっていた。

この段階で宮中を引っ張っていたのが、中大兄と鎌子である。

鎌子は、もちろん唐の申し出を受けるつもりでいた。

倭国としては、これを断る理由はない。

だが、中大兄は唐に懐疑的であった。

「我が国との関係を修復したいと言っているが、油断させておいて、高句麗征伐が終われば我が国に攻めてくるに違いない」

 これが、中大兄の主張であった。

「お言葉ですが、ここで唐の申し出を却下すれば、逆に関係が悪化します。そうすれば、我が国は孤立することになるでしょう」

 鎌子は、中大兄の意見に反対した。

「内臣、お前は、我が国を新羅のような唐の属国にするつもりか? 我が国は開闢以来、他国の侵略は受けていないし、まして他国の属国すらなったこともない。これは、我が国の国益を損じる大罪だぞ」

「これは心外な。私は、唐と手を結ぶことが国益を損なうとは考えておりません。唐との関係を改善すれば、唐の文化・物資・情報を輸入することができます。さらに、唐より西の国々の情報を得ることも可能になるでしょう。これの何処が、我が国の国益を損ねるのですか?」

「唐の外交は冊封政策だ。彼らの頭には対等外交などない。唐と結べば、我が国は属国化されたのと同じだ!」

 いつもなら、ここで蘇我赤兄が助け舟を出すのだが、今回は珍しく中臣金連(なかとみのかねのむらじ)が二人の間に入った。

金は、中臣御食子連(なかとみのみけこのむらじ)の弟の糠手子連(ぬかてこのむらじ)の息子であり、鎌子の従弟にあたる。

「お二人のお考えは御尤もです。しかし、今回の使者は公的なものではないのですから、正式な回答は唐からの使者が派遣された折にするとして、今回は引き取らせては?」

 幕末でもこれと同じ様な話があったが、どうも日本人 ―― それも政治家や官僚は、ややこしい話を先延ばしにする癖があるようだ。

しかし、大抵先延ばしが良い方に転がったことはないのだが………………

「待って如何する? それまでに攻め込まれるかも知れんのだぞ」

「先の戦で、我が国は唐の軍事力の強大さを思い知らされました。しかし一年あれば、我が国も唐と同じ水準の軍事力を持つことも可能でしょう。そうすれば、唐も簡単には我が国を属国にしようとはしないでしょうし、対等外交も可能になるでしょう」

 なるほど、金は良い案を出したなと鎌子は思った。

金に同調したのは鎌子だけではなかった。

蘇我赤兄も、彼の意見に賛同した。

「私も、中臣殿の意見に賛成です。中大兄の言われるとおり、唐は我が国を属国としか考えてはいないでしょう。しかし、いま唐と戦っても勝てる確立が幾らとありましょうか? 加えて白江で、我が国は唐との軍事力の差を痛いほど思い知らされました。ここは中臣殿の言うとおり、唐側への返答はしばらく控えて、その間に軍備の増強をすべきでしょう。そうすれば、唐との交渉にも有利に働きます。如何でしょうか、ここは唐との外交は内臣殿、軍事に関しては中大兄が指揮を執られては?」

 赤兄は、これ以上、宮内で中大兄と鎌子を対立させることは得策ではないと考えていた。

中央の対立は、地方にも伝播するものである。

特に、その対立が宮内の有力者同士なら、豪族たちが双方の後ろについて、さらなる対立を起こしかねない。

しかも白村江の戦いで、地方の中央への批判が高まっている時期だ。

ここは少々歪な関係だが、宮内を纏めることが先決であった。

赤兄の意見は、中大兄と鎌子の両者に受け入れられた。

これより以後、唐を仮想敵国として軍事を強化する中大兄と唐との友好関係を推進する鎌子の二頭政治が行われるようになる。

しかし、外交と軍事は国政の大きな両輪である。

進路が一致してこそ国家を動かすことができるのに、夫々が違う進路を目指していれば、その国家は動かなくなり、挙句の果には転覆してしまうものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?