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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第四章「白村江は朱に染まる」 前編 16

 鎌子は、これだけの女性に取り囲まれたこともないので、何をされるのだろうと逆に怖くなった。

 すると、一人の女性が赤子を抱いて出て来た。

 眉毛の濃い、目がくりっとした、可愛い男の子である。

「どう、可愛いやろ。眞根売(まねめ)の子やねん」

 どうやら、あの娘の子供らしい。

 彼は、「ああ」と頷いた。

 「やっぱり親子は似るもんやね。眉と目元なんか、そっくりや」

 女たちは、鎌子と赤子の顔を見比べながら、そんなことを言い合ったが、彼には何のことだが分からなかった。

「あんたに似てるって言ってんの。この子、眞根売とあんたの子やねん」

 鎌子は唖然とした ―― そうか、こうやって脅迫するのか。

「ちょっと待て、なんで俺の子なんだ?」

「何でって、あんた二年くらい前に眞根売と寝たやろ。覚えがないって言うのかい」

「待て待て、確かに寝たぞ。しかし、一夜だけだ。その日以来、顔も見ていないんだぞ」

「一夜やろうが、1年やろうが、寝たことには変わりないわ。しかも、あの子は、あの日が初めてだったんやからね」

「余計、俺じゃないじゃないか」

「何寝ぼけたこと言ってんの。当たるときゃ、1回でも当たるねん。それに、この子、5月生まれやからね。計算が合うやろ」

 鎌子は指を折って数えた、確かに計算が合っている。

「しかし、眞根売が俺の子だと言っているのか?」

「ああ、女は身篭った時は分かるからね」

 それを言われたら、男としては何とも言いようがない。

「分かった、縦しんば俺の子だとして、眞根売は何処だ? 眞根売と話がしたい」

 女たちは顔を見合わせた。

 子供を抱いていた女が、胸の中の子供の顔を見ながら寂しそうに言った。

「眞根売は去年の秋に死んだねん。産後の肥立ちが悪くてな」

 鎌子は次の言葉が出なかった。

「お願いやから、この子を引き取ってえな。うちらは、自分らが食べていくだけで精一杯なんや。このままやったら、野垂れ死にか、奴婢として売り飛ばされるねん。折角、父親も分かってんのに、そんなんあんまりやんか! 可哀想すぎるやんか! ねえ、ほんま、お願いやから」

 女たちは皆、土下座をして鎌子に頼み込んだ。

 彼は、子供の顔を覗き込む。

 かの子は、微笑み返す。

 ―― なるほど、こうやって見ると俺に似ているし、眞根売の母親の赤根売にも似ているな。

 彼は、人の縁の不思議さを改めて感じた。

「名前は、何だ?」

 彼は、女たちに訊いた。

 彼女たちは顔を上げた ―― その顔は笑顔であった。

「文人(ふみひと)って言うんや」

 その夜、彼はその子を鏡姫王(かがみのおおきみ)の下に連れて行った。

「まあ、与志古娘(よしこのいらつめ)殿には、このような大きな子がいらっしゃったのですか? 私、全然知りませんでしたわ」

 与志古娘とは、車持国子君(くるまもちのくにこのきみ)の娘で、鎌子のもう一人の妻であった。

「ええ、あいつの忘れ形見でして。それで、その……、鏡様に折り入って、お話がありまして、その……」

「私に、この子の面倒を見て欲しいというのでしょう? 良いですわ、鎌子様のお子ですもの。喜んでお育てしますわ。さあ、こちらに」

 鏡姫王はそう言うと、両手を鎌子が抱える子供の方に差し出した。

「鏡様、ありがとうございます」

「鏡様は止して下さいと言ったはずですよ。私は、あなたの妻なのですから。さあ、こちらに。何とお呼びしたら良いのですか?」

「あっ、はい。えっと。文……、いや、史(ふひと)です。中臣史です」

「そう、史ですね。良い名前ですね。ね、史」

 鏡姫王は、早速、史をあやしに掛かった。

 史も鏡姫王の胸の中が気に入ったのか、一際、大きく笑った。

 鎌子はそれを見て、そっと胸を撫で下ろすのだった。

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