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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その四 おみねの一件始末 13

 満徳寺に着いたのは、翌日の昼前だった。

 花畑を耕していた嘉平や女たちが驚くのを尻目に、役場へと飛び込んだ。

 宋左衛門は、文机に向かって書状を読んでいた。

 汗まみれ、埃まみれの男が駆け込んできたので、宋左衛門は呆然としていた。

「どうした、惣太郎、お前、江戸ではなかったのか」

 惣太郎は、荒れる息を必死で押さえ訊いた。

「父上、はぁ……、はぁ……、母上と姉上、いえ、おみねはどこです」

 宋左衛門は首を傾げる。

 不審に思った清次郎が、花畑にいた妻を呼び、波江とおみねの居場所を尋ねた。

「波江さまが、ずっと寺に籠もっているのも身体に悪いからと、外へ……」

 惣太郎は、外に駆け出そうとする。

「待て、惣太郎! いったい何事だ、理由(わけ)を言え!」

 父は、いつになく厳しい口調で訊く。

 惣太郎は振り返り、

「おみねは、私の姉上なんです」

 と、飛び出した。

 続いて、清次郎も飛び出す。

 走りながら、

「嘉平、至急、郷役と男衆に、波江さまとおみねを捜せと伝えろ」

 と、指示を出す。

 嘉平もすぐさま走り出す。

 どこだ?

 母上とおみね、いや、おゆり………………どこだ?

 早まるな、早まってくれるな、姉上!

 苦悶の表情で、土手を駆け抜けていく。

 突如、女性の悲鳴が響き渡る。

 近い!

 どこだ?

 辺りを見回す。

 川縁に女がふたり、いや、男もいる。

 男が、ひとりの女を羽交い絞めにしている。

 寅吉……いや、銀蔵だ。

 そして、女は波江。

 ふたりに対峙する女はおみね ―― 手には脇差が握られていた。

「やれ、おみね、こいつをずぶりと殺(や)りに、寺まできたんだろう。捨てられた怨み、晴らしてやれ!」

 銀蔵が叫んでいる。

 おみねは、脇差を持ってじりじりと母に近寄っていく。目はかっと大きく見開かれ、かなり息があがっている。肩が大きく上下する。

「早く殺(や)っちまえ!」

 おみねは、波江に刃を向けて走り込もうとする。

 殺(や)られた!

 一瞬そう思った。

 だが、おみねは得物を落とし、その場に座りこんで、泣きはじめた。

「くそっ、お前が殺(や)らねぇんなら、俺が代わりに殺(や)ってやる!」

 銀蔵は女を放り出すと、短刀を取り上げ、波江に向ける。

 おみねは、はっと立ち上がり、

「駄目!」

 と、母の前に飛び込んだ。

「あっ!」

 と、どんよりとした雲に覆われた空に、鋭い女の声が響き渡った。

「ゆり!」

 確かに母はそう叫んだ。

 おみねは、母の膝の上にどっと倒れこむ。

「母上! 姉上!」

 惣太郎は、土手を駆け下りる。

 銀蔵は、今度こそと刃を振りかざす。

「立木殿は波江さまとおみねを」

 惣太郎の傍を一陣の風のごとく駆け抜けていくは、清次郎である。

 彼は、脇差を抜くと、銀蔵が得物を振り下ろすよりも早く、懐に飛び込み、「やっ!」と薙ぎ払った。

 男は、うげっと鈍い声を発して、丸太棒のようにどっと倒れ込んだ。

「殺(や)りましたか」

「いえ、刀背(みね)打ちです。それより、波江さまとおみねは」

「母上、大丈夫ですか」

 母を見ると、青ざめた顔ではあるが、しっかりとした表情である。

「私は大丈夫です。それよりも、ゆりが……、ゆりが……」

 おみねは、ぴくりともしなかった。

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