【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第二章「槻の木の下で」 中編 5
中臣鹽屋枚夫の葬儀から数日後、中臣鎌子は安倍内麻呂の屋敷にいた。
麻呂の屋敷には、反蘇我派が集結していた。
反蘇我派の中心的人物は、大王家からは軽皇子、安倍内家からは麻呂、大伴家からは長徳、巨勢家からは徳太であった。
やはり、飛鳥の主だった重臣が集って来ている。
これほど反蘇我は根強いのか。
そして、何より鎌子を驚かせたのは、蘇我の分家、蘇我倉家から麻呂が参加していることであった。
山田殿は、一体何を考えておられるのだろう?
鎌子は訝った。
安倍家での話は、決まって蘇我家の最近の傍若無人振りから始まった。
なるほど、この話だけを聞いていると蘇我殿が大悪人だと思えてくるなと鎌子は感じた。
入鹿とは、まだ会ってはいない。
枚夫の葬儀の際に、ちらっと顔を見ただけだった。
しかし、鎌子には、それが入鹿とはどうしても信じられなかった。
それほど、彼の顔は変わっていた。
美しい曲線を描いていた頬は扱けて、目の下には痣のような隈ができていた。そして、あの鋭く、しかし、優しかった目には、いまは冷気すら漂っていた。
鎌子は、入鹿に声を掛けることすらできなかった。
中臣家の事実を知ってからというもの、入鹿に顔を会わせづらかった。
何より、様変わりした入鹿の容貌が、彼を近づき難いものにしていた。
入鹿も、それを知ってか知らずか、鎌子に声を掛けてこなかった。
俺は如何したいのだろう?
蘇我殿に会うべきなのだろうか?
しかし、会ったところで如何するのだ?
反蘇我派のことを話すのか?
我が中臣のことも?
それで如何するのだ?
蘇我殿に詫びをいれるのか?
そして、ともに反蘇我派を打ち破り、新しい国を造るのか?
彼は、自問自答していた。
その度に、枚夫の「中臣家の、父の願いだ」の言葉が頭に響き渡るのであった。
なぜだ、俺は蘇我殿と約束したじゃないか?
新しい国を造ると。
中臣の名を捨てても良いではないか、何を迷っている?
いや、それで良いのか?
代々受け継いできた中臣の名を、俺の代で絶やして良いのか?
その勇気が、俺にはあるのか?
鎌子は、父の顔を思い描く。
なぜだ? なぜなのだ?
なぜ、父上は、亡くなっても私を苦しめるのだ?
なぜなのだ?
そんなに私のことが嫌いなのか?
鎌子は踠き苦しんだ。
それでも答えはでない。
彼は、宙ぶらりんの気持ちのままでいた。
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