僕は人を信じていない

性善説経営全盛のこの世の中ですが、自分は仕事上、必要以上に人を信じてはいません。人を信じていないけど、くれぐれも人を信用していないわけではないのです。

「普通はここまでやってくれるだろう」とか「こういう場合はこういう対応をするはずだ」とか、何もかも暗黙の了解であったり空気を読んだりすること、人の善意を前提にした文化に憧れることはあります。

でもそれって結局コミュニケーション負荷が高いわけで、極端な話ではいわゆる「今私が何で怒っているか分かる?」と同レベルなんじゃないかと思っています。エスパーであることを求められるのって心理的負担も大きいと考えるのです。

例えば何かトラブルや障害が起こったとき、それは担当者が100%悪いわけではなく、そういうことが起こせる前提になっているシステムが悪いと考えます。不具合を起こせる自由度があること自体が不具合です。「信じていたのに!」というのは勝手ですが、そこを個人の頑張りだけに依存してしまうのは違うと思うのです。

新卒の時に所属していた会社はマニュアル文化で、最初に配属された営業部では一日にかける電話の数や訪問数が規定されていました。そこには個人のあれこれの事情なんてものは無視であり(新卒からの「効率が悪い!」と言う意見が出ても無視)、ただその行動をこなしていけば誰でもある程度の結果が出る仕組みが構築されていました。

同様に、原稿制作だったりお金の管理についても誰でもある程度はできる状態が作られており、異動の多い組織でしたが人の立ち上がりは速く、組織のスケールもしやすかったなと思い出されます。

これは単にマニュアル人間になれという話ではなく、ひとは一定の仕組みがある上で、さらにその先にクリエイティビティを発揮することでチームとしての成果が出せるんじゃない?ということです。少なくとも会社というのは目指す方向が定められていて、個人ではできないことを実現する、近くではなく遠くに行きたいためのツールであるはずです。そう考えているのに「みんながよしなに相手のことを察して同じ方向に突き進んでくれる」と思うのは幻想ではないかと。

メンバーが全然機能してないというのは仕組みを考えられていなかったり、必要なことを言語化していないマネジメントのせいであるし、現場でハレーションが頻発したり炎上ばかりしているとしたら、きっとプロセス自体がおかしいはず。

そんな風に考えていると「人が思ったように動いてくれない」ストレスとは無縁であり、必要以上に人に対して絶望したりすることもなくなります。むしろどういう仕組みであればこの組織はうまく機能するんだろうかということが気になります。

そんな感じなので、日頃メンバーには「やりにくいルールは変えた方がいい」「納得のいかない仕組みを続ける意味はない」という話をしがちなのですが、あいつはなんだか面倒くさいやつだと思われるので万人にはお勧めしません。

自分からは以上です。

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