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手のひらから伝わる熱と、特別な夜に

反則だよなぁ、と思うのは。

不意打ちだったからだ。


写真撮るよ、とスマホを向けられて、思わず肩をちょっとだけ彼の方に寄せてしまった。

すると。

「コツン、とか」

と声がして、彼が自分の頭を私の肩に乗せてきた。

・・・え?

いやいや、「コツン」って言うなら頭にぶつけるんじゃないの、と間抜けなことを思いながら、心臓が重たい音をたてて爆ぜるのを感じた。

普段、一緒にいても滅多にボディタッチもしない彼が。何で。急に。

すぐに写真をLINEで送ってもらう。

見てみると、不自然なくらいに首を傾けた彼の姿が写っていた。

あぁ、どうして。

酔い過ぎて真っ赤になった頬と、目尻が緩んで半分下がってしまっている瞼と、その奥でうっすら光る瞳を画面越しに見つめながら、私はトイレの個室でため息をついていた。

逃げるように部屋を出てしまったけど、変に思われなかっただろうか。

私も今夜は少し飲みすぎた。立ち上がった時に一瞬足元がフラついてしまい、思わず壁に手をついたら友人が「大丈夫?」と声をかけてくれたけど、恐らく真っ赤であろう顔を見られたくなくて、一緒に行こうか?と言ってくれるのを断って一人でトイレまで来ていた。

その日の飲み会は、仲間の誕生日のお祝いが口実になっていた。

数ヶ月に一度は集まる仲間。

私は、彼が必ずその場に来ることを知っているからこそ毎回出席していた。

私自身は、お酒は弱くて、ほとんど飲めない。

でも、ビールを5杯以上は飲む彼は酔うと普段より饒舌になるのを知っていたので、少しでも話がしたかった。

弱いなりに飲める量を調節しながら、なるべく自分もその場を楽しめるように心を砕く。

下心があるのは自分でも十分わかっていた。

でも、片想いだから、そんな時間も共有したかった。普段、趣味の場で顔を合わせる時は会話はするけどそれ以上の進展はなくて、それでも幸せだったけど、どうしても欲が出てしまう。

いろんな彼の姿を見たい。知りたい。近くにいたい。

私と彼がとても仲がいいのは周りも知っていて、だけど節度を守った関係であることも一緒にいれば伝わっていて、そうやって「公認」されているのは居心地が良かったけれど。

飲み会でも、たいてい隣同士に座ってとりとめのない話をしていて、彼のお酒のお代わりを頼んだり料理を取り分けたり、自分でも小賢しいと思いながらも、それなりに尽くそうとしていた。

だけど、今日は。

いつもとは違うのだ。

先日、私は彼にメールで告白していた。

「好きみたい。恋愛感情の意味で」

たったそれだけの言葉。「送信」をタップする前に、少しだけ躊躇した。これを送ったら、もう元には戻れないんだな、と改めて実感して。

でも、もう限界だった。

毎日のようにLINEでする会話も、仲間に隠れてこっそりお揃いの服を着込んだりすることも、会えば必ず笑顔で寄ってきてくれることも。

なのになぜか、二人きりでは決して会えない距離感も。ご飯に誘ってもはぐらかされてしまう寂しさも。気がつけばいろんな言葉を我慢している自分も。

踏み込めば、嫌われる。

いつからかそう思い込んでいた。

なぜ距離が縮まることを避けられるのか、わからなかった。誘いには乗ってくれないくせに、彼の方からは積極的にメールが来る。

仕事の話、家族の話、趣味の話。たくさんの情報を共有しているのに、どうして。

「決定打」を避けるように、友達以上の好意は絶対に見せない。

それでも良かった。関係が続けられるなら。「好き」と伝えることで今のふたりが変わってしまうなら、いっそずっとこのままでいいとも思っていた。

だけど。

受け入れて欲しかったのかもしれない。「俺も好き」と言われる確信は50%くらい。決して嫌われてはいない。付き合おうと言われる自信はないけど、拒否もされないだろう。

変わってしまってもいいから、私は、あなたとの関係を進めたいと思った。

メールを送ってから半日後にきた返事は

「ごめん、今はちょっと考えられない」

という内容だった。

恐らくお昼休みの時間なんだろうけど、早く返事をしなくちゃと思ったのだろうか。

あぁ、やっぱり、という落胆。

私のことが好きなら、とっくに恋人になってるよね、きっと。

それを避け続けたのは、やっぱり友達以上の好意はないということなのか。

それでも、彼の態度は変わらなかった。表面上は。

会えばいつも通り挨拶してくれて、私から逃げるような素振りもなく、まるで何事もなかったように振る舞う。もちろん仲間には言っていない。彼も言わないだろう。だから、「日常」に変化はなかった。

私の「告白」は、ふたりの間で話題にはならなかった。

完全に「なかったこと」にされている、と気づいたとき、落胆も大きかったけれど、関係を壊そうとしないことには安堵した。

失うくらいなら、「なかったこと」にされてもいい。

だけど。

彼からの連絡は激減した。

毎日のように届いていたLINEの通知音は鳴らなくなり、電話もかかってくることはなくなった。

私の方から送れば返事はあったけど、以前のようなラリーにはならない。

覚悟していたけれど、とてつもなく寂しかった。

仲間の前ではいつも通りだからこそ、「ふたりの時間」が消えてしまったことは余計にショックだった。

言わなければ良かった、とは思わない。

いずれこんな瞬間は迎えただろう。止めることができるならそもそもここまで相手に関心を持ったりしない。

関わりたくて。関わって欲しくて。

同じ分量じゃなかった気持ち、というのが悲しくて、ひとしきり泣いたけど、縁を切らなかった彼には感謝した。

困らせたかもしれない。予想外だったかもしれない。迷惑だったかもしれない。

それでも、「ちゃんと」してくれる。

だから、私も、これからどうなるか分からないけど、好きでいようと。

気持ちがバレてしまった以上は、以前みたいな気楽な関係には戻れないかもしれないけど、彼が私を「友達として」受け入れてくれるなら、私もその彼を受け入れようと。

そんな新しい覚悟を決めて臨んだ飲み会の席だった。

そんな時だからこそ、彼の方からアクションがあったことが新鮮で、嬉しくて。

戸惑って。

トイレの鏡に映る自分は、頬が紅潮して瞼も腫れていて、明らかに酔っていた。

緊張してたからなぁ・・・つい飲みすぎた。

周りの仲間はいつものように私と彼を隣同士に座らせてくれた。

何も知らない。私と彼の関係だけ変わっていて、きっと空気も微妙に違っているだろうけど、誰も気にしない。

それは救いだった。

しっかりしなくちゃなぁ、あと少しでお開きだし。

彼は二次会に行くだろうか。そう言えば、一次会で帰る時はいつもタクシーで送ってくれていたけど、今夜はどうなるんだろう。

そんなことを考えていると何だか頭痛のようにこめかみがチリチリとしてきて、部屋に戻ったらお水を飲んで酔いを覚まそうと思った。

手を洗い、身支度を整えて、ドアを開ける。

すると。

目の前の廊下に、彼が立っていた。いや正確には、壁にもたれていた。

「あれ」

思わず声が出て、彼が私を見た。

「どうしたの?」

あんたもトイレ?、と笑おうとして、彼の顔が真剣なことに気が付き、口角を上げることに失敗した。

「大丈夫?」

壁から背中を離しながら、彼が言う。

・・・何のことだろうと思いつつ、「うん」と答えてしまう。

部屋から離れたところにある廊下には、私たち以外誰もいなかった。遠くでどこかのグループの嬌声が聞こえていた。

彼はそう言ったきり、黙っていた。

まだ酔いの覚めていない顔だけど、写真の彼と違うのは、半分閉じたようなまぶたの奥にある瞳がはっきりと光っていることだった。

酔った顔なんて、普段見ることはないから、それも新鮮だけど。

思わず見つめてしまう。

口をつぐんでしまった彼に、私はどう言葉をかければ良いのか分からず、

「トイレ入るの?」

と訊いていた。とりあえず、何とか笑顔は作れる。うん、大丈夫。

「・・・・」

それには答えず、彼は私から視線をそらすと、もと来た道を引き返すように背中を向けた。

「大丈夫?」

肩越しに振り返りながら、もう一度、彼が言った。

今度は少し強めのトーンで。

「・・・うん」

あぁ、もしかして。

心配して来てくれたのかな。

そう長い時間トイレにいたわけではないけど。

部屋を出る前に足がフラついていたのを、見ていたのかな。

「・・・・」

どうすれば良いのか分からなかった。

彼の気持ちが見えなくて。

だから、思わず腕を伸ばして彼の袖を掴んでしまった時、びっくりしたように背中を伸ばした彼が私を振り返り、至近距離で視線が結ばれた瞬間、泣きそうになっていた。

もう散々泣いたはずだけど。

それでも。

こみ上げてくるのは、この人が好きだというせつなさ。

彼は無言のまま、掴まれた袖口を見て、その腕を上げた。

一緒に私の腕も上がる。

視界に影が落ちた、と思ったら、彼の手が私の頭にあった。

「あまり飲みすぎないで」

低い声。

とんとん、と優しい力で触れてくる手のひらのあたたかさ。

私は中途半端に彼の腕にぶら下がったままだった。動けない。口を開けば、涙がこぼれそうだった。

「・・・・」

彼は頭から手を離すと、私に袖口を掴まれたまま、前を向く。

つられるように私の足も動く。

とん、と一歩踏み出した時、するりと彼の手首が動いて、私の手を掴んだ。

さっき私の頭に触れた時とは違う、力のこもった指。

意思のある手だった。

こんな握り方は、今までされたことがない。

そもそも、手を触れるような機会すら、今までなかった。

どうして。

私はもう力が抜けてしまい、されるがまま、歩き出した彼の後ろをついていくだけで。

掴まれた手の熱っぽさに意識がいって、おかげで涙が引っ込んだ。

良かった、泣き顔で部屋に戻ることにならなくて。

彼は私を振り返ることなく部屋の前まで来て、ドアを開ける直前に手を離した。

その時、ちらりと顔をあげた私と彼の視線が、再び交わった。

私は思わずにやりと笑っていた。今度はちゃんと口角を上げることができた。

私を見た彼も、同じようにふてぶてしい笑みを浮かべた。

そう、仲間の中に戻るなら。

いつものふたりで。

共犯者のままで。


手のひらから伝わる熱と、特別な夜。


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