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11月の詩

11月になるとやはり毎年、
フレディ・マーキュリーを
思い出す。

11月24日、命日。

それぞれのスターが
誕生日と命日を持っているが
なぜ、彼のだけ特別なのか・・・。

まぁ、ファンだからというのも
あるが、自分の青春が重なった
のが大きな理由だろう。

私はいつも出遅れるんだけど、
フレディが死んでから好きになった。

ちょうど、海外生活を始めて
ばかりのころ、モントリオールで
フレディの追悼ライブを見た。

そしてナイアガラの店でかかる
ラジオから毎日、Queenの
曲を聴いていた。

あのとき、フレディが生きてたら
単なるファンで終わったかもしれない。

でも、私の外に飛び出してばかりの
幼い魂には、幻が必要だった。
死んだフレディになら、なんだって
話せる気がした。

死者にとっては、身内であっても
死後1年くらいじゃ、他人になんて
構ってられないだろうけど。

いわゆる、フレディの神格化が
私の中で始まっていたわけだ。

それが数年前の映画で、
どっひゃーん!!と崩れた。

あの映画で初めてフレディを
知った若者へのいら立ちは、
追悼ライブでフレディのファンに
なった私自身へのいら立ちに
似ていた。

何を今更感?

スターも神様もこうやって
架空の物語によって
神格化されるのであろう。

フレディも、ジーザスも、
シッタールダもご苦労なこって。

本当の自分ではない
亡骸にすがっている人々を
死者はどう思っているのだろう。



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