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もやしなりの悩み

また感じるこの気持ち。
焦り、不安、やるせなさ、無力感。
自分の近くにいる人が、すごいって事を見せつけられる度に、ふつふつと心の中に浮き上がってくる。
自分から距離が近ければ近いほど、自分の向ける尊敬が多ければ多いほど、焦る。

「自分はここでやることが多過ぎて、ときどきどっか遠い所に行かなきゃ、本当にパンクする」と、相方は言った。
これを言う方はいいだろう。
自分は頑張ってるって思えるって事だし、そんな自分にたまのご褒美、なんてなんかいい気分になるだろう。

でもそれを言われた方はどうだろう。
この「たまのご褒美」に付き合わされる方は。
言われた方の人も、「自分普段からよく頑張ってる!一息つきたい!」って思える場合はいいと思う。
でも、自分の頑張りが、他人にも認められないし、自分でも認められないと感じている場合は?
そんな休んでる暇ない、自分だって自分が壊れるまで努力しないといけない、と思っている場合は?
この、どこに向かっているわけでもないけど走り続けないといけない感覚の中、随分先を行っている人から「疲れたから少し休もう」なんて言われて、簡単に休めるだろうか。
それとも、こうやって思ってしまう自分はナイーブ過ぎるのだろうか。

この、目的のないマラソンの感覚。
努力をするつもりはあるけど、その努力を向ける場所がわからない。
周りの人が今いる高みまで、一つのことを極めるという事が出来ていないし、出来そうな兆しも見えない。
今はいろいろと諦めて、一つのことに集中しなくてはいけないのかもしれない。
でも捨てるにはあまりにも代償が大きすぎるものもいくつもある。
この、わからないわからないと言っている状況も、もしかしたら単なる言い訳に過ぎないのかもしれない。


兎に角、何者でもないし何者になれそうもない今の自分の状況は、惨めだし、情けない。
こんな小さな事で悩んでる自分にも腹が立つ。
結局のところ、自分は周りの環境に守られすぎて、外の世界に適応できなくなった、温室もやし人間なのかもしれない。
そうなりたくなくて、いろいろ挑戦してきたつもりではあるが、根っこのところは変えられないのかもしれない。

まぁでもぶーたれていてもしょうがないから、もやしにはもやしなりのやり方で、毎日生きていくしかない。

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